59 公爵と魔術師の最後・前哨戦1
微ホラーです…。
捕らわれた部屋の中で、リズは耳を澄ました。静かだ。
第一神殿付きの侍女たちは、偽の聖女に暇を出されたと聞く。その事で神官長に訴えた者も多かったそうだ。中でも現聖女の一番近くで世話をしていた侍女たちは「何だか現聖女様が別人みたいだ」と、こぼしていたという。
考えていると、ドアの外側で何か大きなものがぶつかるような音がした。続いて「キュ――!!」と高い鳴き声。シロだ。
「リズ、いるか!?」と、ロイドの声もした。
「います! オリビアも一緒に!」
勢いよくドアが開き、そこにはシロと、眠るペンギンを抱えたロイドがいた。ロイドが安心したように息を吐く。そして聖竜の炎で気を失っているのだろう見張りの神官たちを、リズたちがいる部屋の中へと押し込んだ。
「ペンギン、無事だったのね!」
オリビアがロイドの腕からペンギンを奪い取り、嬉しそうに抱きしめた。ロイドが言った。
「とろい足で、一生懸命聖竜を探してたぞ。オリビアを助けてもらおうと考えたんだろうな」
「私を……」
後ろに反り返って平和に眠るペンギンを、オリビアがじっと見つめる。
「私イライラしてばかりで、ひどい事を言ったのに……ありがとう」
泣きそうな顔でギュッと強く抱きしめた。
リズも聖竜に駆け寄った。だがシロの様子が変だ。心ここにあらずという感じで、ぼうっとしている。
「熱でもあるの?」
だが体は特に熱くない。両手で顔の高さまで抱き上げて全身をチェックするが、特に異常は見当たらない。いぶかしく思っていると、ロイドに肩を叩かれた。
「行くぞ。鏡を見つけた。聖竜がおかしいのは、その鏡のせいだよ」
「本当ですか?」
「うん。吸い込まれるように鏡を見続けててさ。明らかにいつもと様子が違う。もしかしたら――」
ロイドのめずらしく熱っぽく輝く目から、言いたい事がわかったような気がした。リズは信じられない気持ちでつぶやいた。
「私の『扉』かもしれない……?」
一心不乱に飛んでいく聖竜を追う。部屋に着くと鏡台の台部分に座り込み、熱に浮かされたように、そこに置かれた手鏡を見つめ始めた。
(これなんだ……)
リズが期待を込めて近づくと、聖竜が振り向いた。「キュー!」と手鏡を顔で示す。興奮したように赤い目がうるんでいる。
(これが私の「扉」……)
胸が高鳴った。震える手で、そっと手鏡を取る。何の変哲もない鏡面には、いつものリズの顔が映る。普通の手鏡だが、真実の姿を映し出す鏡で、なおかつ扉かもしれないと思うと、ひどく神聖なものに思えた。
「リズ、嬉しいのはわかるけど、とりあえずそれを持って王宮に向かうぞ。殿下が待ってる――」
ロイドの声が途中で途切れた。いぶかしく思い、リズは振り向いた。途端に息を呑んだ。
「……どうして?」
リズは愕然とした。心臓の鼓動が激しくなる。背筋が冷たくなった。
「どうして、あなたがここにいるの!?」
王宮でキーファの治療をしているはずなのに。
ドアの前で、偽の聖女が微笑んだ。
同時刻、王宮にて。
ドアの前の廊下と内側をそれぞれ兵士たちが見張る中、キーファが力なくベッドに横たわっていた。その枕元で、偽の聖女と神官たちが小さな祭壇のようなものを準備している。
治療といっても王太子相手だ。荘厳な儀式のような物々しさをかもしだしていた。
「キーファ、大丈夫か?」
心配そうに眉根を寄せてのぞきこんでいるのは、父親である国王だ。王妃だった母親は病気で二年前にこの世を去った。ゆえに国王の顔には苦悩のようなものが刻まれている。
「まさかシーナが殿下に薬を盛るとは」
「とんでもない事です。重罪ですよ。コロラドの聖女の行いとは思えませんな」
後方で大臣たちがひそひそと話している。その隣では宰相が少し青ざめた顔で、様子を見守っていた。宰相がシーナを擁護していたのは周知の事実なので、自分に累が及ばないかと心底心配しているのだろう。
そのさらに後方で、アイグナー公爵はそんな彼らの様子を見つめていた。落ち着かなさと興奮がない混ぜになっている。
キーファに見舞いの品をと駆けつけたら、これから現聖女が治療するところだと宰相に教えられた。計画通りだと内心ほくそ笑んだ。「それではこれをお渡しください、心ばかりの品です」と見舞いの品を渡し帰ろうとしたところ、国王に出会ったのだ。
すぐさま道を譲り深く礼をする公爵に、国王が言った。
「これからキーファの治療が始まる。公爵もぜひ立ち会ってくれ」
(は?)
と真顔になりかけ、急いで、
「私でよろしければ」
と、もう一度頭を下げた。
国王を取り囲むように歩く側近たちについていきながら、改めて変な親子だと思った。国王といい、キーファといい、次に何を言いだすのか見当がつかない。
公爵から見た国王は「可もなく不可もなく」、または「無害」これに尽きる。王自身の意見よりも、宰相や大臣たちといった周りの意見の方を汲んでいるからだ。
御しやすい方だと、公爵は思っている。というよりは、少しなめている。
キーファの治療を直に見られるのはラッキーだ。偽の聖女は本質的にキーファを治す気はないだろう。それどころか病状を悪くする事も可能だ。
思う通りにできない王太子など、公爵にとって必要ない。いっそ病床に伏してもらった方がありがたいというものだ。
(それにしても)
キーファの枕元で、準備する神官たちに指示を出している偽の聖女を見ながら、
「神官長様はどうなさったのだ?」
焦ったような顔で控えの間から出てきたエリックに、一応聞いた。
偽の聖女が治療すると言った途端、キーファが顔色を変えて拒否した。何をされるかわからないと思ったのだろう。そして最後に「神官長にも立ち会ってもらう」と、最後の綱のように言ったと聞いたのに。
「それが、どこにも姿が見られないのです。ずっと探しているのですが……」
渋い顔で答えるエリックに、公爵は心配そうにうなずいた。しかし心の中では笑っていた。神官長はマノンを救う術を探すため、精霊を呼び出しているのだと偽の聖女が言っていた。「精霊は高い魔力と豊富な知識を持っているけれど、ものすごく気まぐれなのよ。きっと今頃、四苦八苦しているところよ」と。
シーナを王太子妃にさせるのは失敗した。キーファがあれほどリズを想っているなんて、考えてもみなかった。あれでは、まるで前世のユージンと同じだ。最後までいう事を聞かなかったユージンを思い出し、苦い気持ちが込み上げた。
しかし役立たずだったシーナも、偽の聖女のおかげで死んだ。公爵の事を証言をされる心配はない。
公爵の部下と、コロラド地方で雇っていた男が捕まったと聞いたが、コロラドの男は公爵と直接関係はない。それに牢に、すでに闇の稼業の者を放ってある。彼が部下もコロラドの男も始末してくれるだろう。
キーファの病状は偽の聖女の思うがままだ。これからどうするかを、またじっくり考えればいい。望みは必ずかなう。
偽の聖女が国王たちを見回し、深々と礼をした。
「治療の準備が整いました。始めさせていただきます」
偽の聖女が第一神殿にいた事に驚き、リズたちは動きが遅れた。床に描かれた光の魔法陣が浮き上がり、室内全体が黒い光に包み込まれる。
(これは魔石の時と同じ――!)
気づいたが遅かった。リズたちは黒い光に捕まってしまった。魔石の時のように、強い力で締め上げてくる。リズは鏡を決して離すまいと、必死に胸に抱え込んだ。
「よくやりましたね、オリビア」
偽の聖女が笑った。
見ればオリビアだけ黒い光に縛られていない。リズは愕然とした。
「さあ、リズの持っている鏡を奪いなさい。そうすれば、あなたが次期聖女よ。大丈夫。リズたちはこの場で消えますから」
オリビアが無言で近付いてくる。真一文字に引き結ばれた口元が、何か決心したような感じを受けた。
「オリビア……」
リズは目を見開いた。自分と同じ部屋に捕まっていたオリビアに違和感はあった。なぜ神殿の罪人とされたリズと一緒の部屋に入れられたのだろう、と。
オリビアが、リズに向かって手を伸ばした。ロイドが叫んだ。
「待て! そいつは本物の現聖女様じゃない。姿を変えた偽者だ。おそらく六十年前の前聖女選定で、本物の現聖女様に敗れた候補者なんだよ!」
しかしオリビアに驚く様子は見られない。
「オリビアは私が偽者だと知っていますよ。知っていて、私に協力してくれています」と、偽の聖女がニヤリと笑った。
「嘘だろ……」
ロイドがうめいた。
リズは焦りながらもオリビアを見つめた。赤い目で一心に見つめる。見極めろ。表面ではなく中身を。オリビアの真意を――。
オリビアは偽の聖女の味方となり、リズたちを裏切ろうとしている。
けれど何か違う。何かと言われればわからないが、少なくともオリビアはリズを批判しなかった。れっきとした貴族で魔力持ちのオリビア。けれどエミリアやグレースのように、リズを平民で魔力持ちでないからとバカにした事はない。そういう目で見られた事も、一度もない。
見られたのはただ一度だけ、偽の聖女がリズが魔石を持ち込んだ犯人だと名指しした時だけだ。
(……大丈夫だ)
リズが胸に抱え込んだ鏡からゆっくりと手を放すのと、オリビアが「この鏡を、あいつに向かってかざせばいいの?」と小声で聞いてきたのが、ほぼ同時だった。
オリビアが驚いたように目を丸くする。
その瞬間、リズは自分の選択が間違ってなかった事を知った。
「オリビア、私のところへ鏡を持ってきなさい」
偽の聖女が焦れたように繰り返す。
リズは「そうよ」とうなずいた。
オリビアが鏡を持って、偽の聖女へと近づいて行く。偽の聖女が満足そうに笑った。
「あなたはいい選択をしたわ」
「……そうね。私の未来は、私が決める」
きっぱりと顔を上げて、オリビアが偽の聖女に手鏡をかざした。
「あなたに従う気はないわ。バカにしないで! 私は聖女候補者よ。最後まで正々堂々と勝負する。それが私の誇りよ!」
鏡面が光った。途端に偽の聖女が悲鳴をあげて両手で顔をおおった。みるみるうちに偽の聖女の手の皮膚が、髪の毛が水のように溶けていく。
リズは息を呑んだ。真実の姿を映し出す鏡とは、ただ映し出すだけじゃない。真実の、元の姿に無理やり戻す、そういう魔術がかけられたものなのか。
溶けた皮膚の後からすぐ、元の、そのものの皮膚が顔を出す。
奇妙な光景だった。一つにまとめられた長い黒髪が流れるように溶けて、すぐに短く切りそろえられた黒髪が生えていく。
顔をおおう指の一本一本が、みるみるうちに現聖女のものより太いものに生え代わった。
「すごい……」と、ロイドがかすれた声でつぶやく。
偽の聖女は獣のように叫びながら何とか逃げようとするが、鏡が放つ光からは逃げられない。
聖竜は恐怖からか全身の毛が逆立ち、ペンギンにいたっては白目をむいてひっくり返っていた。
オリビアも決して手鏡を離さないものの、青ざめ震えている。リズも腕といわず首といわず、鳥肌がたつのがわかった。




