52 牢
マノンが大ケガをし、ロイドが駆けだしていった後、残された神官たちが騒然となった。
「まさか魔石が三つもあっただなんて……。ここは神殿だぞ。気づかれずに持ち込めるはずがない。しかも、すごい魔力を秘めていた」
「そうだな。リズが壊しただけでも驚いたのに、マノンまで……。今回の候補者は、すさまじいな……」
(マノンは大丈夫なの?)
ロイドの走って行った第一塔門の方を見ながら、リズは胸の前で両手を握りしめた。心配だが、候補者は神殿から出られない。施療院へ様子を見に行ったのだろうロイドを待って、容態を聞くしかない。
そこへ長い黒髪を一つにまとめた、上品な老女が現れた。背後には武装した神官たちを連れている。
リズは目を見張った。誰かなんて聞かなくてもわかる。
胸元にびっしりと銀糸の細かな刺繍がほどこされた、くるぶしまである純白のローブを身に着けている。頭には太陽の日ざしを受け、白く輝く冠。
「聖女様!」
神官たちが慌てて、その場にひざまずいた。
(この方が現聖女……)
田舎暮らしのリズは、初めて見る。
全てを包み込むような穏やかな微笑み。気のせいか、顔に刻まれたシワさえ神秘めいて見える。
現聖女が口を開いた。
「皆、大丈夫ですか?」
「は、はい! こちらは負傷した者はおりません! ……あの、現聖女様は今までどちらにいらしたのですか?」
一番前にいた神官が、おずおずと質問した。もっともな疑問だ。魔石騒動の時、どこにも現聖女の姿はなかったのだから。
現聖女が微笑んだ。
「私ですか? 私はずっと、あの魔石を神殿へ持ち込んだ犯人を捜していました。そして見つけたのです」
「本当ですか!?」
「ええ、本当です。犯人は――そこにいるリズ・ステファンです。自分で持ち込み、壊してみせた。いわば自作自演です」
「え!?」
その場の全員が目を丸くした。もちろんリズもだ。
(は?)
意味がわからない。あ然とするリズに、現聖女が顔をしかめた。
「もちろん、あなたは自分ではないと否定するでしょう。ですが無駄です。私には全てわかっていますから」
(はあ?)
なぜ現聖女がこんな事を言いだすのだ? 状況についていけず、立ち尽くすリズに、現聖女が武装した神官たちに命じた。
「リズを捕まえなさい。地下牢へ連れていくのです」
「はっ!」
神官たちに囲まれた。無理やり両腕を背中を回される。自由がきかない。
「ちょっと待ってよ! 私じゃない!」
もがくが、武装した神官たちの前では非力だ。
「どういう事だ? リズが自分で魔石を持ち込んで、壊したように見せかけたのか?」
「とても、そんな風には見えなかったが……しかし現聖女様の言われる事だ。それに、いくら聖竜を出したとはいえ、ただの候補者で魔力持ちでもないリズが、魔石を壊せたのは確かに不思議といえば不思議だ……」
神官たちが顔を見合わせ、ハデスが「やはり、そうだったのか!」と嬉しそうに笑った。
「リズ、嘘でしょう……?」
レベッカがミミズンを手に、青ざめた顔で立ち尽くしている。リズは大きく首を左右に振った。
「違う! 私は魔石なんて知らな――!」
「早く連れていきなさい」
神官たちに抑え込まれながら抵抗するリズに、現聖女が高らかに言い放った。まるで周囲に対する、自分の影響力を知っているかのように。
「キュ―!」
神官に二人がかりで縄をかけられている聖竜が、もがきながら鳴いた。
「シロ!?」
「さようなら、リズ」
現聖女が笑った。
その瞬間、違和感を覚えた。
現聖女の顔なんて知らない。会った事も、見た事もない。それなのに背筋を何かが這うような、ザワザワした嫌な感覚がした。
押さえ込まれ、地面に両膝をつきながら、リズは神官たちの手をはねのけて現聖女を見上げた。口元を手で隠しているが、確かに笑っているその顔をじっと見つめる。
何も見逃さない。見るんだ。もっと深く。真実を見極める――。
リズの両目が輝きを放つ。表面だけでなく、中身まで見透かすような深い輝きに、現聖女の顔から一瞬で笑みが消えた。
リズは見つめ続ける。現聖女の顔が、だんだんとこわばっていく。
二人を取り巻くものものしい雰囲気に、神官たちが何も言い出せず、黙って見つめていた。
リズは口を開いた。意図して、ではない。気が付くと口が勝手に開いていた。
現聖女を見すえて、リズは言った。
「あなた、誰?」
しかし言い終わるのが早いか、現聖女の顔がみにくくゆがんだ。怒りと焦り、そして怖れの混じった表情だ。リズの視線から今すぐ逃れたいというように、素早くリズの額に指を突き出し、叫ぶように呪文を唱えた。
直後、リズは意識を失った。それでも失う直前、
「何なのよ、この子……」
という現聖女の動揺したような、かすれた声が耳に届いた。
* * *
レベッカは、もう一人の候補者のオリビアと一緒に、食堂にいた。ミミズンは部屋の箱の中に、大事に戻してある。
オリビアと向かい合って座り、湯気の立つカップを、力なく両手で挟み込むように持った。
リズはミミズンを助けてくれたと思ったのに、魔石を使ってミミズンを操ろうとしたのか? そんな風には見えなかったのに。
「まだ落ち込んでるの?」
オリビアのあきれたような声が降ってきた。オリビアは貴族の女性にはめずらしく、髪を短くしている。けれどそれが、はっきりした顔立ちのオリビアにはよく似合った。
レベッカはうつむいた。
「だってリズが……」
「ライバルが減って良かったじゃない。リズは牢に入れられて、マノンは大ケガを負って施療院。これで残る候補者は、私たち二人ね」
「そんな……! マノンはすぐに戻ってくるわ。リズも……!」
「いい子になるのはやめて」
オリビアが鋭くにらんできた。
「いけない事だとはわかってるけど、私は今の状況を正直に喜ぶわよ。選定中なのよ? 次期聖女になれるのは一人だけなの。私たち四人の中の、たった一人。リズとマノンは、あの魔石を封じこめた。私はあの時、神官長様たちと一緒にいたけど、魔石がものすごい魔力を持っている事はわかった。私にはとても太刀打ちできない……」
悔しそうに唇を噛むオリビアに、レベッカも口をつぐんだ。確かに神官長のお付きのハデスでさえ、あの魔石に歯がたたなかった。リズのすごさを、この目で見たのだ。よくわかっている。
オリビアが苛ついたような乱暴な仕草で、お茶を飲んだ。
「それにマノンは気の毒だけど、リズは自業自得よ。リズが魔石を持ち込んだ犯人だと、現聖女様がはっきりおっしゃったんだから」
「……本当にリズなのかな?」
「どういう意味? まさか、現聖女様が嘘をついたとでも言いたいの?」
「そういうわけじゃ……」
レベッカは再びうつむいた。
現聖女が言ったのだ。リズが犯人に決まっている。けれど心の片隅で、納得していない自分がいる。選定中、ずっと一緒にいたのだ。全てではなくとも、人となりはなんとなくわかる。
レベッカは内気だし、自分の気持ちをはっきり外に表せない性格だけれど、じっくり考える事は得意だ。人を見る目もある。
黙り込んだレベッカに、オリビアがため息を吐いた。
「とにかく。私は絶対に次期聖女になりたいの。アナと違って、引き下がる事なんてできない。運も実力の内よ。ライバルが減ったんだから、私は喜ぶわよ」
* * *
リズは前世の夢を見ていた。
あの古い集合住宅の部屋で、セシルはシチューを作ってユージンの帰りを待っていた。
けれど、いつもよりユージンの帰りが遅い。心配になったセシルは、何度も玄関ドアに目をやった。
もしかして事故にあったんじゃないか。そう考え出すと、いてもたってもいられず、セシルは上着をはおって外へ出た。
すると、ちょうど通りの向こうからユージンが走って帰ってきたところだった。セシルは心底、ホッとした。
「遅かったから心配したよ」
「ごめん。それより、これ」
部屋に入るやいなや、ユージンが顔を輝かせながら小さな紙袋を差し出してきた。
「セシルにプレゼントだよ」
「私に?」
何だろう。大通りの屋台で売っている焼き菓子だろうか。そう思いながら袋を開けて、驚いた。
「これ……!」
小さな花の飾りが並ぶ髪飾りだ。以前ユージンと街を歩いていた時、装飾店の店頭に並んでいた。セシルは一目で気に入ったが、値段を見てあきらめたのだ。その時セシルは何も言わなかったし、ユージンも聞いてこなかったが、ユージンはセシルの心の内をわかっていたようだ。
(そうか。だから……)
やっと思い当たった。この間の給料日からユージンは、セシルが見ていて心配になるくらい、色々と節約していた。理由を聞くと、欲しいものがあると笑っていたが、セシルのためだったのか。
「ユージン……」
胸が一杯で言葉に詰まった。髪飾りはもちろん、ものすごく嬉しい。けれど、そのためにユージンに我慢をさせてしまった事と、ちっとも気付かなかった自分が、とても申し訳なく思えた。
「ありがとう」
胸の前で、髪飾りをぎゅうっと抱きしめながら、小さな声で礼を言った。
「うん」とユージンが嬉しそうに笑った。それは本当に嬉しそうな笑顔で、セシルを喜ばせられた事が心底嬉しくて仕方ないという笑顔だった。
途端にセシルは、自分は何を考えているのだと反省した。素直に喜べばいいのだ。ユージンがそれを望んでいるのだから。それがユージン自身の幸せだと、そう思ってくれているのだから。
セシルは顔を上げて、そして満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう! ずっと大事にするから」
ユージンがもう一度、さらに嬉しそうに微笑んだ。
(――懐かしい夢)
ぼんやりと目覚めたリズは、思わず微笑んだ。甘やかな感情が胸の内に漂っている。
不意に冷たいしずくを顔に感じて、リズはハッと目を開けた。
衣服越しに、冷たい石の感触が伝わってくる。無機質な鉄格子。がらんとした空間。
(牢の中だ……)
途端に心が冷えた。
現聖女によって牢に入れられた。おそらく魔法で眠らされたのだろう。
そっと起き上がり、辺りを見回す。人の気配はない。リズのいる牢の向こうに、地上へと続くのだろう階段が見えた。
リズは鉄格子を両手でつかんだ。
「うおお!」
力を込めて思いきり揺らすが、びくともしない。当たり前か。
鉄格子の外側には、頑丈な南京錠がぶら下がっている。鍵がないかと牢の外を確認するが、見当たらない。
さて、どうしよう。どうやったらこの地下牢から出られるだろう、と考えていると、階段の上の方から言い争う声が聞こえてきた。一人は見張り役の神官だろう。そして、もう一人は――。
「ダメです! 誰も地下牢に通すなと、現聖女様のご命令です!」
「だから何だ? 神殿は国王の配下だろう。独立した権限は、あくまで国王の命令の範囲内だけだ。それを忘れたのか?」
「……ですが!」
「君の名前は――コリンか。コリン、君の顔と名前をよく覚えておこう」
ローブの襟の裏側に刺繍された名前を見られたのだろう。コリンが一瞬で青ざめたのが、見なくてもわかった。抵抗する声からも、途端に力がなくなったからだ。
コリンを振り切り、階段から現れたのはキーファだった。




