36 アナ帰る
アナが祝祭殿にいると聞き、リズは走った。
アナが扉を見つけた事は素直に嬉しい。けれど心のどこかで焦りもあった。聖竜はリズの扉を示そうともしてくれない。
今は最終選定だ。自分の扉を見つけられなければリズは選定に落ちる。
(嫌だ!)
強く思った。何としても自分の扉を見つける。聖女になるんだと。
隣を走るロイドが心配そうに片頬をゆがめた。
「まさかアナが次期聖女に決まる――なんて事はないよな? リズはまだ聖竜から自分の扉について示されてもいないんだろう?」
「見つけますよ。必ず」
赤い目に力を込めて言い切るリズに、ロイドが一瞬目を見張り、それから満足そうに笑った。
祝祭殿の中へ飛び込んだリズたちに、アナが目を丸くした。
「リズ、見送りに来てくれたの?」
「え?」
神官長や他の神官たちと話をしていたアナの横には、ふくらんだカバンが置いてあった。前にも見た光景だ。でもそれは選定に落ちた候補者が荷物をまとめて家に帰るための――。
「アナが扉を見つけたと聞いたんだけど……」
「見つけたわ。見つけてわかったの。私は次期聖女の器じゃないって」
リズは目をぱちくりさせた。意味がわからない。
「池が光って鍵穴があった。そこに鍵を差し込んだら池が開いたの。扉みたいに。そこにあったのは――」
――あったのは、また池だった。同じ池の水面。リズの言った通り水鏡のように見る者を映し出す。けれどそこに映っていたのはアナではなく元婚約者と妹の姿だった。息を呑んだ瞬間、水がおおいかぶさってきて扉の中の水鏡に呑み込まれた。
水の中でもがいて、そしてわかった。自分の心の中にずっと映っていたものを。
アナは聖女になりたかったんじゃない。ただ文句を、恨み言を言いたかっただけだ。胸がはちきれる程の悲しみをわかって欲しかっただけだ。元婚約者と妹にはもちろんの事、両親にも親戚にも。「仕方ないよ」とアナに言った全ての人に。
アナに聖女の素質があるから神殿に連れて行くと神官が言った時、みんな喜んだ。でもそれはアナが聖女候補に選ばれたからだけじゃない。
触れたらヒビが入りそうなもろいガラス細工、婚約解消以降そのように扱われていたアナがいなくなれば全てが丸く収まると安心もしたからだ。
しかも傷心のアナを捨てたのではなく聖女候補という華々しい地位に送り出した事で、罪悪感も多分に薄れる。枕を高くして眠れる。
それが悔しかった。
聖女になれば見返してやれる、そう思ったのは本当だ。
けれど心の底では神殿になんて行きたくなかった。どうして傷つけられた自分が皆のために聖女にならなくてはいけないのだ? 皆を喜ばせるために、どうして自分がこれ以上犠牲を払わなくてはいけない? 元婚約者と妹が他へ行くならともかく、自分がよそへ行くなんて理不尽極まりないじゃないか。
本当はずっとわかっていたのだ。アナの望みは聖女になる事じゃない。
ただ味方が欲しかっただけだ。アナは悪くないと認めてくれる味方が。そうすればきっと耐えられた。悲しみを乗り越えて前へ進めた。
だって幼い頃からわかっていたのだから。親同士が勝手に決めた口先だけのような婚約。昔から両想いの元婚約者と妹のために、いつかは自分が身を引かなければいけない事をずっとわかっていた。婚約解消を申し込まれたら潔く身を引こう、とずっと決めていたのだ。
ただ、それは「仕方のない事」なんかではないのだと、誰かに心からわかって欲しかっただけだ。
自分の扉を開けてみて、それがわかった。ストンと腑に落ちた。
「家に帰るわ。それからどうするかはまだ決めていないけど、新しい道を探すつもり」
そのために、とりあえず家に帰る――。
「そっか」
リズがうなずいた。ライバルが減るというのに、どうして寂しそうな顔をしているのか。
やがてリズが顔を上げた。
なぐさめの言葉を言われるのだろう、選定から外れたアナへの同情の言葉を。苦い気持ちが込み上げてきて思わず身構えた。
けれど
「家に帰って、それでも何かぶちぶち言ってくる奴がいたら言って。聖竜と一緒にとんで行くから」
予期していなかった言葉に、アナはぽかんとなってしまった。
「……なぐさめに来てくれるって事?」
「違う」
赤い目にまっすぐ見つめられた。
「そんな奴を聖竜の炎で燃やし尽くしに行く」
「キュ」
リズも、その肩の上に乗っている聖竜も実に真剣で真面目な顔をしていた。
(ああ、そうか――)
味方ができたのだとわかった。ずっと欲しかった味方が。
じわじわと嬉しさが込み上げてきて、アナは微笑んだ。
「リズと聖竜ちゃんが味方なら私は無敵ね」
神殿へ来て良かった。聖女候補になれて良かったと初めて思えた。
「選定、頑張ってね。リズ。アルビノの聖女を私も見てみたい。そうしたら皆、世の中何でも起こりうるんだって、きっとわかるわ」
そんな世界を自分も見てみたい。そこはきっと素晴らしい場所だろう。
神官の後をついてアナが笑顔で去っていく。その後ろ姿をリズは見送った。
「強い女性だな」背後でロイドがぽつりとつぶやいた。
「はい。強くて、とても賢い人です」
アナが振り向いて手を振る。リズも大きく振り返した。




