33 それぞれの思い
「さあ行こう」
さっそく回れ右をして進もうとするキーファに、リズは焦った。
「行くってどこへ?」
「聖女選定に必要な『扉』を探しに行くんだろう? 俺もついて行く」
「……でも王太子の手を借りたなんて知られたら候補から降ろされるかもしれないから」
「君について行くだけだ。選定には関係しない。第一、俺は魔力持ちじゃないから選定に関して手伝える事は何もない」
きっぱりと言い切られても困る。
「どうやって探すんだ? 何か手がかりでも?」
「……聖竜がその場所を示してくれるらしいから、まずは聖竜を連れてこないと。あと鍵も机の引き出しに仕舞ったままで」
「そうか、ではまずリズの部屋だな。さあ行こう」
まっすぐ前を向くキーファに一切の迷いは感じられない。吹っ切れた者というのはこんなにも強いのか。
(何だか別人みたい)
さっさと廊下を歩いて行くキーファの後を、我に返ったリズは慌てて追った。
「リズが大変だった時にそばにいられなくて悪かった。東部のコロラド地方でいざこざがあって、その支援や処理に追われていたんだ。もう何百年もずっと平和な地域だったんだが――」
廊下を並んで歩いていると、唐突に話が止まった。
(何? どうしたの?)
リズはいぶかしげに隣を見上げてギョッとした。なぜかキーファに穴の開くほど一心に見つめられていたからだ。
訳がわからず焦りのあまり「何!?」と悲鳴のような声が出る。
「ああ、すまない。当たり前だが眉毛まで白いんだなと思って。どうやら前世のセシルと重なって、リズの顔をまともに見られていなかったようだ」
自己嫌悪するように顔を曇らせながらも、今まで気付かなかった大切なものを発見できたというように顔がほころぶ。誰もが確実に見とれてしまうような心底嬉しそうな笑みだった。
固まるリズから、なおもキーファの視線は離れない。おそらく今度はリズのまつ毛に注目している。おお、まつ毛まで白い! といった感じか。
しかも眉からまつ毛に視線が動いた分、顔の距離が近くなった。
(何なの、これ……?)
いたたまれず逃げるように一歩下がると、呼応するごとく一歩近付いてくる。熱中しているだけの無意識の行動なのだろうが、リズはじりじりと着実に壁際に追い詰められていった。
(何なの、これ!?)
リズは必死に平静を保った。実はものすごく動揺しまくっているなんて絶対に知られたくない。
そんな挙動不審な態度に気付いたのか、キーファが急いで一歩下がった。
「悪い。もし嫌なら――」
「うん、すぐに見るのをやめて。お願いだから。落ち着かなさ過ぎて髪を無茶苦茶にかきむしりたくなる!」
「――もし嫌ならリズも同じように俺を見ればいいと、そう言いたかったんだ。そうしたら両成敗というか対等な気がしないか?」
何だ、その超理論は。
王太子は穏やかで真面目で、でも強引で――そして、ちょっとおかしな人だったようだ。
(知らなかった。キーファは本当はこんな性格だったんだ)
前世のユージンとは全く違う。再確認したリズは、ぐったりと壁に寄りかかった。
* * *
キーファは壁にもたれかかるリズを見た。なぜかわからないが疲れ切っている様子だ。
「大丈夫か?」
「「きゃああ! 誰か、誰か来て――!」」
廊下に面した部屋の中から侍女たちの悲鳴が聞こえた。
「「虫が! 虫がいるのよお!」」
部屋のすみで侍女たちが怯えたように肩を抱き合っている。開いた窓から入り込んだのか、手のひらほどもある大きな虫が我が物顔で床を這っていた。
国内のどこにでも生息する虫で、黒光りする背中や毛の生えた十本の足など見た目がグロテスクで毛嫌いする者が多い。
(なつかしい……)
こんな時に何だがキーファは微笑んだ。
前世のセシルも虫が苦手だった。住んでいた集合住宅は古かったからよく虫が出て、そのたびにセシルに泣きそうな顔で呼ばれたものだ。
ユージンが退治するたび「ありがとう!」と、ものすごい感謝を向けられたっけ。一度いたずら心で退治した虫をセシルのそばに持っていくと、悲鳴を上げて逃げられ涙のたまった目でにらまれた。二度としないと心に誓った。
頼ってくれるのが嬉しかった。必要としてくれる事が幸せだった。もう二度と戻ってこない日々だけれど。
それでもこうして再び会えた。前世とは別人でも、それでもセシルの生まれ変わりであるリズに前世の償いができる。それは、とても幸せな事だ。再会できた事を心から感謝している。
「リズ、大丈夫だから下がっていろ」
泣きそうな顔で震えているだろうリズに向かって言ったが返事はない。返事ができないくらい怖がっているのか。セシルと同じだ、守ってやらないと、と強く思った。
(――あれ?)
しかし振り向いてもリズの姿はない。それもそのはず、リズはとっくに室内の中央に移動していた。
呆気にとられるキーファの目の前でさっさと片方の靴を脱ぎ
「はああっ!」
という気合いの入った声とともに、靴底を躊躇なく虫へと叩きつける。
この虫はものすごく頑丈でこれくらいでは死なない。気を失い動きの止まった虫の触覚を指でつまんで、リズがひょいと持ち上げた。
黒光りのする背中と、毛だらけの十本の足がついた腹とが空中で振り子のように揺れている。
(嘘だ……)
卒倒しそうな侍女たちの前で、キーファも絶句した。しかも
「これ、聖竜が食べるかな?」
などと、つぶやいているではないか。まさかあのかわいらしい聖竜にこのグロテスクな虫をやるつもりなのか。食べる様子を想像してしまい気持ち悪くなった。
「故郷の村で飼ってた犬は食べてたよ」
「やめてくれ」
「でも、すごく嬉しそうに頭からバリバリと――」
「やめてくれ!」
リズがちらりとキーファを見上げてくる。何だ、その、もったいなさそうな顔は。
しかめ面で頑として首を横に振っていると、ようやくあきらめたのかリズが窓の外へと虫を放り投げた。
(知らなかった。リズはこんな性格だったのか)
前世のセシルとはまるで別人じゃないか。
「もしかして虫が苦手なの?」
「いや、そんな事はないが……」
怖がっていたセシルはかわいかった、なんて言えない。
それをキーファは虫が苦手だと勘違いしたのか、リズが言った。
「これから虫が出たらいつでも呼んでよ。私が退治する。前世でいつも助けてもらってたから」
キーファは目を見張った。そんな事を言われるなんて予想していなかった。
「任せて。どんと来い」
リズが真顔で続ける。小柄な体で、力強い表情で。
(そうか――)
心底ホッとするような温かい感情が込み上げてきて、体中を満たしていく。
たとえ前世とは別人でも、今世でこうして助け合ったりできるなら、それはとても幸せな事だろう。
「ああ、頼むよ」
キーファは心の底からの笑みを浮かべた。
* * *
――アストリア国北西部にある修道院。質素な修道服を着たエミリア・カーフェンは井戸で水汲みをしていた。
ふと自分の手を見下ろして絶句した。なめらかで傷一つなかったのに今は荒れてガサガサだ。
(もう嫌!)
水の入ったおけを力一杯放り出すと、心の内を焦がすような憎しみがこれでもかと込み上げた。
これも全てはリズのせいだ。
故郷の村でカーフェン男爵の一人娘として何不自由なく暮らしていたのに、今や父親は爵位も領地も取り上げられ、自分はこの修道院に閉じ込められている。
何もかもを失った。それなのにリズは次期聖女候補として神殿へ行き、未だ選定をくぐり抜けているらしい。
(冗談じゃないわ)
本来の聖女候補は自分だ。今神殿にいて現聖女や神官たちから認められているのは自分のはずなのに。
あの時リズが神官ロイドをだましたのだ。そうに決まっている。あんな親もなく知性もない平民のリズなんかが聖女候補なわけないじゃないか。
それなのにリズにだまされて誰もそれをわかってくれない。
本当はエミリアが神殿へ行くにふさわしい存在だと誰も認めてくれない。
怒りと憎悪で、ぎりぎりと胃の底が締め付けられる。
できるものなら今すぐ神殿へ行ってリズを切り裂いてやりたい。
聖女候補のリズを陥れようとした罪に問われるところを、ここの修道院長がとりなしたという。「エミリアはまだ若くチャンスを与えてやりたい。代わりにこの修道院で面倒を見ます」と。
慈愛あふれる良い院長だと評判らしいが、本当に慈愛あふれるというのなら、リズではなくエミリアこそが本物の聖女候補だと早く真実を告げるべきだ。それこそが正しい修道院長だろう。
井戸のそばで唇を噛みしめていると、不意に「エミリア」と呼ばれた。
戸惑った顔の院長の隣に、上等な身なりをした一人の男が立っていた。細い目をさらになくして男が笑った。
「エミリア・カーフェンだね。私はアイグナー家の使いの者だ。アイグナー公爵を知っているかな?」
「もちろんです」
驚きつつも丁寧に答える。最上位貴族である公爵家だ。知らないはずがない。
「君を迎えに来た。アイグナー家の当主がぜひ君に会いたがっているんだ」
「私に?」
「そうだ。公爵は君の全てをわかっている。リズ・ステファンとの関係についてもね」
(リズ……!)
黒い目に憎悪がみなぎるエミリアに、男が満足そうに笑った。
――(なつかしいわ)
ふと以前の出来事を思い出したエミリアは笑みを浮かべた。アイグナー公爵の使いがエミリアを迎えに来た時のものだ。
しかし回想は長くは続かなかった。
「けが人です! お願いします!」
緊迫した大声で呼ばれ、エミリアは急いで駆け出した。
(待っていなさい、リズ。私は必ずあなたの近くへ行ってみせる!)




