心の地図
人は背負った悲しみの分だけ
深く悲しむことができる
人は与えられた愛の分だけ
深く愛することができる
悲しみの深さと
愛の深さが
トンネル工事のように
心で届きあったとき
人は悲しみを愛せるようになり
愛の悲しみを知る
人は背負った責任の分だけ
人生が苦しくなり
人は与えられた優しさの分だけ
人生に感謝する
苦しみの業と
優しさへの感謝が
心のコンクリートを
打ち砕いたとき
人は苦しみに感謝できるようになり
心は優しさに報えない
苦しみを知るのだろう
人は自分で歩いた分だけ
地図を描くことができる
人は地図に描かれた分だけ
自分が何処にいるか分かる
迷わず歩いていける
誰かの描いた地図に
自分で書き足すことはできるが
心の地図は
自分で描くしかない
誰かの言葉を読み
誰かの人生を追体験することで
地図が拡がることもある
だから
きみも誰かの心の地図のために
言葉を残してみないか
ぼくは誰かの人生に干渉し
誰かに人生を干渉されながら
地図を描いてきた
でも自分の心が何処にあるか
未だに良く分からないんだ
きっとこれからも
誰かに干渉し
誰かに干渉されながら
生きていくのだろう
愛とか悲しみとかで
ねぇ、もし
その誰かと誰かが
同じ人なら
それがきみだったら
心は迷わず
歩いていけそうだよ
たとえ
心の地図がなくても
心は......
きっと此処にある




