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黒い森の悪しき魔女は三度恋をする  作者: 猫葉みよう@『婚約破棄された腹いせに〜』電子書籍配信中
第二章

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09_過去の傷と救い(1)

 その日は朝からあいにくの曇り空で、春先とはいえ、とくに冷える日だった。

 そのため客足はいつも以上に鈍かった。


 冷たい風が窓ガラスをカタカタと揺らす。

 店内は薄暗く、雨が降りそうな気配もしていた。


(こんな日はもうお店を閉めて、在庫用の薬草茶(クロイターティー)を作ったほうが効率はいいわね)


 昼もだいぶ過ぎた頃、イーリカは店の扉にかかっている木製のプレートを裏返して閉店(シュリーセン)に変えた。


「イーリカ、りんごもう一個、食べていいか?」


 店の奥から顔を覗かせたライトがすでに床に転がしたりんごをかじりながら言う。


「もう食べてるじゃない。今日はもう三個目よ」


 イーリカは腰に手を当てて呆れ気味に言うと、ライトが上目遣いで言い訳する。


「暑い季節がきたら、りんごの時期じゃなくなるからな。今のうちに食いだめしとかないと」


 イーリカは肩をすくめる。そこでラブラの姿が見えないことに気づく。


「ラブラは? 一緒じゃないの?」

「ああ、あっちへ行ってる」


 ライトは床に寝そべり、むしゃむしゃとりんごを頬張りながら、店の奥へ続く廊下のほうに鼻先を向けて示す。


「そう、夕方までには戻るかしら?」

「ああ、戻るだろ。今日は白アスパラガス(シュパーゲル)のスープだからな。イーリカ、俺の分は多めに入れてくれよ」

「もう、食い意地が張ってるんだから」

 そう言いながらも、イーリカは笑みをこぼす。


 すると、コンコンと控え目に扉を叩く音がした。


 イーリカとライトは顔を見合わせて、扉のほうを見る。


「急ぎのお客さまかしら」

「さあね」


 イーリカはカウンターを出て、ぱたぱたと店の入り口に向かう。

 まだ鍵を閉めていなかった扉を開けて、驚く。


「やあ、もしかして今日はもうおしまい?」


 そこに立っていたのは、ノアだった。

 そう言うノアの耳は外の冷たい風のせいで、少し赤くなっている。


 イーリカは急いで彼を店の中へと招き入れる。


「お客さまもあまり来られないから閉めたの。薬草作りに専念しようと思って」


「そうか、なら邪魔しないように出直すよ」


 一旦脱いだ帽子を被り直すとノアが言う。その言葉にイーリカは慌てて訂正する。


「ああ、待って、ごめんなさい、そういう意味じゃないの」

「じゃあ、いてもいいのかな?」

「ええ、すぐに体があたたまるものを用意するわ」



 イーリカは店の奥の台所でお湯を沸かしたあと、店内に戻り、カウンターの中で体があたたまる作用のある薬草茶を選ぶ。


 ノアは定位置になっている椅子にすでに腰かけていた。テーブルの上には身につけていた帽子と手袋がのっている。


「今日は一段と寒いね」

 彼はそう言ってイーリカに視線を向ける。

「そういえば、寒いときは、より眠れなくてしんどくなっていたんだけど、きみの薬草茶を飲みはじめたおかげで、少しずつ眠れる時間が増えてる」


 イーリカはカウンターの中でぱっと顔を上げる。


「本当?」

「ああ、近頃は顔色もずっとよくなったって、ヘンリーもそう言っている」

「そう、本当によかったわ」

「感謝してる」


 ノアの心のこもった言葉にイーリカは安堵しながら微笑む。しかしそのあとでわずかに顔を曇らせる。


 薬草茶はそれぞれの薬草の効能が飲む人の体や心に作用するが、それでも万能なわけではない。あくまで手助けする位置付けでしかないのだ。


 ノアは前よりも眠れる時間が増えていると言っているが、もしかすると根本的な問題を解決しない限りは、本当の意味で治らないのでは、とイーリカは不安を募らせていた。


(昔、母さまが診ていた鉱山の落盤で片足を失くしたお客さまもそうだったわ……。心の傷のせいで、満足に眠れずにいた……)


 イーリカは過去の記憶を思い出していた。


(そのお客さまは薬草茶を飲むようになって少しずつ回復していたけれど、結局は心の根っこに受けた深い傷を癒せない限り完治は難しいって、母さまは言ってたわ。確か鉱山の落盤で身動き取れなくなっていたところ、助けに来てくれた仲間の人たちが不運にも追加の落盤に巻き込まれて、結局自分だけが助かってしまったという深い心の傷を抱えていたのよね……。もしかしたら、ノアさまにもそういう心の傷があるのかしら……)


 そう思ったものの、そんな繊細な傷をまだ知り合ったばかりのイーリカが軽々しく探る真似はできない。


(どうしたらもっと力になれる……?)


 イーリカの手は自然と止まっていた。


「──どうした?」

「あ、ううん」

 すぐに何でもないふうに首を横に振る。


 気づけば、手元の薬草茶は少し蒸らし過ぎてしまっていた。

 いつにない失敗に心の中でため息を漏らす。


 失敗した分はあとで自分が飲むことにして、ノアには新しく淹れ直してから差し出す。


「はい、どうぞ。体があたたまる薬草茶よ」

「ありがとう」


 ノアは差し出されたカップに手を伸ばし、香りを確かめたあとで口に含む。


 イーリカはカウンターの中へ戻り、ノアのための眠りに作用する薬草茶を調合する作業に入る。


 寒さのせいで、表通りを行き交う人はまばらだ。店内も薄暗いせいか、やけに静かに感じられる。耳に届くのは冷たい風が窓ガラスをカタカタと揺らす音と、イーリカがすり鉢で薬草をする音だけ。


 ノアが来る前までりんごをかじっていたライトは、いつの間にか店の奥に引っ込んでしまったようだった。


(べつに、ここにいればいいのに)


 ライトがいないことでノアとふたりっきりだと思うと、イーリカはわけもなくそわそわする。


「そういえば、今日はあの二匹はいないの?」


 沈黙に耐えかねたイーリカが口を開こうとしたとき、ノアがふと思い出したように訊ねる。彼は店内を見回している。


 イーリカは沈黙が消えたことにわずかに胸を撫で下ろしながら、

「奥にいるわ。ライトはさっきまでここでりんごを食べてたんだけど」


「りんごを? 変わってるね」

 ノアがわずかに眉を上げて言う。

「そう? そういうものだと思ってたわ」


 ライトとラブラは正確には犬ではない。それゆえにりんごを好むのだが、それでも見た目が犬なのでほかの犬もりんごを食べるものだとイーリカは思っていた。


「子どもの頃に僕も犬を飼っていた。でもりんごを食べているのは見たことないな」

「へえ、どんな犬を飼っていたの?」


 何だか弾む会話に、イーリカは気をよくして質問を投げかける。


「小さい犬だよ。白くてふわふわしてた。兄は大きい犬がいいと言っていたけど、僕が小さい犬がいいと言ったら譲ってくれたんだ」


「お兄さまがいるのね。ふふ、あなたに譲ってくれるなんて、やさしいお兄さまね」

 イーリカは思わず笑みを漏らす。ノアが自身のことを語ってくれるのがうれしく感じた。しかし、


「ああ、いた、と言うべきだろうね」


 思わぬ返答に、薬草をすっているイーリカの手が止まる。

 顔を上げ、固まったように彼を見つめる。


「え……」

「亡くなったんだ、数年前に。自殺だった」


 ノアがぽつりと言った。イーリカを見返す瞳には悲しみに暮れるようでいて、なぜか自嘲するする苦しみもあるように見えるのは気のせいだろうか。


「そんな……」

 思わずイーリカは唇に手を当てる。


「それからだ。僕がちゃんと眠れなくなったのは」


 何と声をかけたらいいのか、イーリカはわからなかった。

 ノアの苦しみを少しでも和らげてあげたいと思っているのに、ただ立ち尽くすしかできない、そんな役立たずの自分が悔しくて仕方なかった。


 ふいに、ノアはガラス窓の向こうに目をやる。


「……ああ、雨が降ってきたみたいだ」


 ぽつりぽつりと降り出した雨が、(せき)を切ったように雨脚を強め始めていた。

 屋根に打ちつける雨音だけが店内に響き、まるで水中に閉じ込められているようになる。


「……少し、話をしても?」


 イーリカに視線を向けたノアが言う。彼はおもむろに立ち上がると、自分の向かい側の椅子を引いた。


「そこだと遠いから、こっちに座ってくれないか」


 カウンター越しにイーリカはノアの顔を見つめる。


「……いいの?」


(わたしで、いいの……? わたしが聞いても、いいの……?)


 役に立てないことが悔しいのに、それでも頼られるのがこんなにもうれしい。


「ああ、なんとなく聞いてもらいたい気分なんだ──」



次話は、ノアの視点で気持ちが語られます…!引き続き楽しんでいただけるとうれしいです!

夜に投稿できればと思いますので、ぜひ覗いてみてください!

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