08_気に入られた薬草茶(4)
それからというもの、ノアは週に一度の頻度で、アシュ薬草茶店を訪れるようになった。
眠りに作用する薬草茶を買いに来て、それをイーリカが調合している間、その日イーリカがノアのために淹れた薬草茶を飲んで待つ。
おそらくノアはここまでは馬車で来ているのだろうが、店の前に馬車を横づけすることはない。近くで降りたあと、歩いて店に来ているようだった。
イーリカとしても、それはありがたかった。
店の前に立派な馬車が頻繁に停まりでもしたら、街の人の噂の的になってしまう。
自分だけならまだしも、それなりの身分を有するであろうノアに大きな迷惑をかけることになる。
そもそもこれほど定期的に出る薬草茶になるなら、作り置きしておくほうがすぐに渡せるので、客であるノアにとってもイーリカにとっても効率はいいはず。だが、都度来るからいい、と初めのうちに彼自身に断られて以来、来店とともに作るようにしている。
その日もノアのための眠りに作用する薬草茶を調合していると、いつの間にか席を立っていたノアがカウンターの前まで来ていた。
彼は興味深そうにイーリカの手元を覗き込んでいる。
そこにはでき上がったばかりの茶葉を詰め終わって、あとは蓋をするだけの状態の薄紫色の缶があった。
「ちなみに気になっていたんだけど、どんな薬草が? 秘密なら無理にとは言えないけど」
イーリカはきょとんと目を丸める。
どうやらノアは自分が飲んでいる、眠りに作用する薬草茶に使う薬草について訊いているらしい。
「えっと、秘密というわけでは」
忌避されがちな薬草茶に純粋に興味を示してくれるのは、胸がこそばくなるようなうれしさを感じる。
(友達がいたら、こんな感じなのかしら)
接客を除き、人との距離感に不慣れなイーリカは少し緊張しつつも、薬草の入った引き出しの木箱の中をノアに見せながら、
「まずこちらが、精神の疲労や安定を促す効果のある薬草。それから緊張をほぐす効果がある薬草。心痛や心労を和らげる効果がある薬草、これは二種類、調合しています」
と、ひとつひとつ説明する。
「あとは──」
と言いかけて、手を止める。
不眠の症状が重たいノアのため、彼の眠りに作用する薬草茶には、普段の調合では使わない薬草を使った液体をひと匙入れていた。
「あとは?」
ノアは胸の前で腕を組んだまま首を傾げる。
「あ、えっと、以上よ」
イーリカははぐらかした。しかし砕けた口調になっていたことにすぐに気づき、慌てて言い直す。
「あ、いえ、以上です」
さすがに咎められると思い、恐る恐る目線を上げる。
すると、ノアは傾げた首のまま、覗き込むようにイーリカの顔を見つめていた。
「え、えっと……」
イーリカは言葉に詰まる。
(相当、癇に障ったかしら……)
冷や汗が出そうになるのを感じていたところ、ノアがふっと口元をゆるめる。
「いや、砕けた口調でいい。あまりかしこまられるとかえって話しにくい」
表情の起伏があまりないノアが見せた初めての表情に、思わずどきっとする。心臓が途端に駆け足になる。
「どうだろう?」
ノアが確認するように訊いてくる。
その表情は、本当に思ったままを口にしたというふうにしか感じられない。
イーリカは自分ばかりが焦っているようで、より一層落ち着かなくなる。
(お、落ち着くのよ。アマンダおばさまが『おばさまと呼んでちょうだい』と言ってくださったときと同じようなものじゃない。恐れ多いけど、素直な好意だわ)
そう心の中で言い聞かせるが、それがかえって変な焦りを生む。
「え、ええ、わかった、わかりました。いえ、わかったわ」
何だかよくわからない返事を口にしていた。
──しまった、とすぐさまそう思ったが、もう遅かった。
「じゃあ、これからはその話し方で」
ノアがかすかにふっと息を漏らし、どこか満足そうに言った。
(反則だわ、そんなの)
イーリカは何だか不意打ちをくらったようで、それがいやでない自分もいて、自分が自分でない感覚を覚える。
(友情って、こんなふうに芽生えていくのかしら?)
落ち着かなくなり、視線を忙しなく動かし始めたところで、はっと思い出す。
「ああ! そうだわ! わたしもう行かなきゃ!」
今日はアマンダのところへ行く曜日だった。もう間もなく午後になる。
届ける薬草茶は昨日のうちに準備してある。
イーリカカウンターの下から淡い黄色の缶を手に取ると、手提げのかごに入れた。
「申し訳ありませんが、いつもこの曜日のこの時間は配達に伺うお宅があるんです」
そう言って謝るイーリカをなぜかノアはじっと見つめている。心なしか不服そうにも見えるのは、気のせいだろうか。
そこでイーリカははたと気づく。
「えっと、ノアさま、ごめんなさい、わたし配達に行かなきゃいけないの」
言い直したイーリカにノアは軽く頷くと、さらりと言った。
「なら、僕が送っていこう」
奇妙なことになった、とイーリカは隣を歩くノアに盗み見る。
帽子を被っているが、にじみ出る洗練された雰囲気のせいで通りを行く人々、おもに女性陣のだが、視線をさらっていた。
それだけならイーリカも我慢のしようもあったが、ノアに視線を向ける女性陣は隣の冴えないイーリカを見て何であんな子が? と言わんばかりに刺すような視線を向けるのだから、たまったものではない。
(なんでこんなことに……)
ノアの考えが読めないイーリカは首を捻る。
しかし幼少期にまともな友人関係を築いてこられなかったイーリカには、少しばかりうれしくもあった。
(こういうのが友情っていうのかしら? 家族じゃない誰かが隣を歩いてくれるっていいものね、とても安心するもの。……安心?)
イーリカは、自分でも思ってもみなかった考えに驚く。
小首を傾げるように横を見る。
彼とは会って間もないのに、最初以外もうほとんど警戒心を抱いていない自分がいた。
(きっと独特な空気を纏っているからね。貴族のように思えるのに、壁を感じないし、高圧的でもないし……)
そのとき、ノアがふっとイーリカのほうに顔を向ける。
「どうかした?」
訊かれたイーリカは、慌てて視線を前に戻す。
「あ、えっと、横を並んで歩くなんて、何だか友達みたいだなって思って」
そう言って、ノアの顔を見ていたことをごまかす。
「ああ、そうとも言えるね。ちなみにいまから配達に行くところってどこ?」
一瞬、妙な間が空いた気もしたが、すぐにノアは尋ねる。
イーリカは、はたと足を止める。
本来なら薬草茶は体にかかわる飲み物であるため、お客さまのことを無闇に他人にしゃべったりしない。秘密厳守も大切な仕事のうちだと、亡き母からも言われていた。
しかしアマンダのところにイーリカが通っていることは、公然の事実でもあった。なぜならアマンダ自身が隠そうともしていないうえ、むしろ自分の使用人たちに言付けて、街の人々にイーリカがアマンダのところに通っているのは正当な仕事だと触れ回ってくれたからだ。そのおかげでイーリカは街の人から表立って嫌味を言われなくて済んでいる。
今答えなくても、人伝てで耳にする機会もあるだろう思い直し、イーリカは素直に答えることにする。
「アマンダおばさまのところよ。アマンダおばさまは──」
──ミュンスター子爵の方で、とイーリカが言う前に、ノアがすかさず訊き返す。
「おばさま?」
「あ、おばさまと言っても、わたしとは何のつながりもないわ。ただご好意でそう呼んでもいいって言ってくださってるの」
「ああ、なるほど。……アマンダというと、ミュンスター子爵の」
イーリカが説明するまでもなく、思い当たる節があったノアは独り言のようにつぶやく。
イーリカは、あれ? と思う。
ミュンスター子爵家現当主の母であるアマンダは、夫に先立たれて以降、もう何年も表舞台には顔を出していないと、本人からそう聞いている。
でもノアはアマンダという名前だけでミュンスター子爵家だと特定できたようだ。その言い方は目上の立場
の相手を呼ぶよりも、少しだけ軽い印象に感じたのは気のせいだろうか。
(──アマンダおばさまのこと、知ってるの?)
そう口にしそうになって、イーリカは急いで唇を閉じる。詮索は不要だと言い聞かせる。
無理やり話題を変えるように、
「ところで、どうしていつもお店に来てくれるの? 言ってもらえれば、届けることもできるのに」
もちろんそのためには、ノアは自身の身分をイーリカに明かす必要があるが、都度店に来る手間を考えれば隠すほどのものがあるとは思えない。
ちらっとノアは、イーリカを見下ろす。
こちらをじっと見つめるアイスブルーの瞳に、イーリカはどきりとする。
彼はどことなく言葉を探しているように見えた。
言葉を待つ代わりに、イーリカは歩みを再開させた。あわせてノアも歩き出す。
「……何となく」
しばらくして、ノアがぽつりと言った。
「……何となく?」
イーリカは長身のノアを見上げて訊き返す。
「……何となく、あの場所は落ち着く。あと懐かしい感じがする」
ノアは遠くに目をやりながら答える。
それはとても意外な答えだった。と同時に、イーリカにとってはとてもうれしい答えだった。
不眠症に悩むノアには体と心を落ち着かせることが何よりも大事だ。
「そう、それならいつでも、あなたの好きな薬草茶を淹れるわ」
イーリカはスカートを翻しながら、顔をほころばせたのだった。
次から第二章に移ります!
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本日は、あと2回更新できればと思います、がんばります……!
次話を、夕方頃に投稿できればと思いますので、ぜひ覗いてみていただけるとうれしいです!






