07_気に入られた薬草茶(3)
イーリカはちらりと視線を上げ、向こうに座る人物を見やる。
(まさか今日もいらっしゃるなんて……)
昨日と同じ、カウンターに近い壁際の質素な椅子に座っているのは、老執事のヘンリーが仕える青年ノアだった。
ガラス窓から注ぐ陽の光を受け、優雅にカップを傾ける姿はさながら絵画のようだ。
(とはいえ、彼が手にしているのは安価なカップなのだけれど……。持つ人によって、こんなにも見え方が違うのね)
むしろ感心さえしながら、イーリカはなぜノアが今日も来店したのかを考えていた。
(よほどうちの薬草茶を気に入ってくださった、ということかしら……)
ノアのための眠りに作用する薬草茶は昨日渡したばかりだ。だから今日は準備する必要はない。
イーリカは別の薬草茶のための薬草をすり鉢ですりながら、その動作と同じように、頭の中でもぐるぐると考え込んでいた。
「あれは?」
ふいにノアが訊ねる。
イーリカが顔を上げると、彼は店の奥へと続く扉にじっと目を向けていた。
開いた扉の隙間からは、光る目玉が四つ見えている。
目玉の持ち主である黒い犬二匹は器用にくいっと頭で扉を押し、ズンズンと店内へと進み出てくる。
見知らぬノアとは距離を置いた位置に陣取ると、のっしとお腹をつけて寝そべり、投げ出した前足の上に頭をのせてくつろぎはじめた。
「きみの犬?」
ノアは首を傾げながら、イーリカに問いかける。
「ええ、そうです。もし犬がお嫌いなら……」
普段お店にお客さまがいるときには、あまり表に出てくることがない二匹の登場にイーリカは首を捻る。店の奥にいてもらいます、と言いかけたところで、
「いや、犬は嫌いじゃない。名前は?」
昨日もそうだったが、それなりの身分だと思われるノアが平民のイーリカの名前だけでなく、そのイーリカが飼っている犬の名前まで尋ねるなど思ってもみなかった。
(不思議な人ね……)
そう思いながらイーリカは作業する手を止める。手のひらを見せて二匹を紹介する。
「ライトと、ラブラです」
ついでに見た目もそっくりな二匹なので、ひとまずオスとメスだと告げる。
名前を呼ばれたライトとラブラは、ぴくっと耳を動かし、反応を示す。顔を上げ一瞬ノアと目を合わせるが、すぐに二匹ともふいっと視線をそらした。
それでもわずかに目が合った瞬間、遠目では黒に見えていた犬の瞳は、陽の光が当たると虹のような淡青色や青緑色、黄色などいくつもの色に変化したようにノアには見えた。
そういえば、こんな色彩の宝石がついた指輪を生前の祖母がいつも身につけていたなと、ふいに思い出す。祖父からもらったのだと微笑んでいた祖母の顔がふわりと浮かんだ。
懐かしさに目を細めたノアだったが、すぐに目の前の会話に意識を戻す。
「虹みたいなめずらしい瞳をした犬だね。きみが小さい頃からそばにいるの?」
イーリカはあらためて二匹に目を向け、ふっと微笑む。
「ええ、小さい頃からずっと」
「きみはひとりでこの店を?」
ぐるりと店内を見回したノアがおもむろに訊ねる。
昨日今日と、イーリカのほかに誰も出入りしないのが気になったのだろう。
「はい、母が亡くなったあとは、ずっとひとりでやっています」
そう答えながら、作業を再開させたイーリカはすりおろし終えた薬草を缶に詰めていく。
「じゃあ、その二匹はきみの家族なんだな」
その言葉に思わずイーリカの手が止まる。無遠慮にノアの顔を見つめる格好になる。
昨日は冷たい印象さえ抱いたアイスブルーの瞳は、凪いだ湖面のような穏やかさをイーリカにもたらす。
そんな言葉は今まで誰にもかけられたことはなかった。
母が亡くなってしまった今、イーリカにとって本当にライトとラブラだけが家族と呼べる存在なのだ。
「……ええ、そうなんです」
そう言葉を吐き出したあとで、イーリカはさりげなく体の向きを変えた。
胸に込み上げてくるものがあった。
どうしていいのかわからず、背後の棚に並ぶ保存缶を揃えるふりをしながら、押し寄せる感情を堪えようとしたのだった。






