【番外編SS】アマンダへの報告
タウフェンベルク伯爵邸の応接間。
大きくとられた窓からは、午後の心地よい日差しが室内に降り注いでいる。
「ええ、ええ、もちろん、私でよければ」
こぼれんばかりの笑みを浮かべたアマンダが大きく何度も頷いた。
その言葉を改めて聞いたノアは、ほっと胸を撫で下ろす。
事前に手紙でやり取りをして了承はもらっていたが、こうして対面で確かな言葉が得られると安堵が増す。
「感謝いたします」
ノアはアマンダに敬意を表すように頭を下げる。
アマンダは手に持っていたカップを優雅な手つきでソーサーに戻すと、ノアの真摯な人柄に目元をゆるめる。
この日ノアは、イーリカのよき理解者で顧客のひとりでもある、ミュンスター子爵家の未亡人アマンダを伯爵邸に招待していた。
テーブルの上には、芳醇な香りを漂わせる紅茶と、中心部分が空洞で山のような独特の形をしたバターケーキ、その横には旬のマルメロの黄色いジャムが添えられている。
アマンダが甘いもの好きとイーリカから聞いていので、この日のために伯爵家お抱えの菓子専門のパティシエに、念入りに準備するようにと伝えていた。すでに一個目を平らげ、二個目が皿にのっているところを見ると、アマンダはお気に召してくれたようだった。
「あの、アマンダおばさま」
ノアの横に座るイーリカはおずおずと口を開く。
「本当によろしいのですか? もし少しでもご迷惑なら……」
アマンダは大きく首を横に振る。
「まさか、そんなことありませんよ。この年になってから、伯爵夫人になろう方の教育係を賜われるなんて、こんな光栄なことはないわ。喜んでお受けいたします」
そう言ってアマンダは、目の前のソファーに並んで腰かけているイーリカとノアに目を向ける。
数週間前、いつものようにアマンダのもとに配達で訪れたイーリカの横には、この地を治めるタウフェンベルク伯爵家のノアがいた。
アマンダは驚きながらも応接間に通したあとで、イーリカとノアが婚約するという報告を受け、さらに驚きをあらわにすることになった。
と同時に、それでいつぞやイーリカがタウフェンベルク伯爵家と隣領ヴィルリート伯爵家の縁談のことを訊いてきたのだと合点がいった。
しかしその縁談について訊かれたとき、アマンダは両家の婚姻について、可能性としては『あり得る話だと思うわ』と答えてしまっていた。
おそらくイーリカにしてみれば心を痛めたであろうと思い、帰り際にアマンダは謝罪の言葉を口にしたが、イーリカは首を横に振り、『いろいろあったから、自分の気持ちに素直になれたんです』と言って笑った。
その突然の来訪と報告のあとで、アマンダのもとにノアからイーリカの淑女教育係についての打診の手紙が届いたのは、つい数日前のこと。
了承の返事を出したそのすぐあと、伯爵邸を後日ぜひ訪ねてほしい旨の招待を受け、今日こうして訪れたのだった。
アマンダはつと視線を落とす。
ノアがイーリカの手を握っているのが目に入る。先ほどから片時も離そうとしない。
アマンダは、ふふふと頬をゆるめる。
娘のように可愛がってきたイーリカには、彼女を大切にしてくれる男性と幸せになってほしいと思っていた。まさかその相手がタウフェンベルク伯爵家の子息とは思いもよらなかったが、図らずもアマンダの希望は叶ったようだ。
アマンダの視線に気づいたイーリカは思わず手を引いたが、それをノアがぐっと押さえ込む。
イーリカは恥ずかしさのあまり、赤らんだ顔を下げるしかなかった。
しかしそれがよけいにノアが手を離してくれない原因だとは、イーリカは気づいていない。
そのとき、コンコンと扉を叩く音がした。
「失礼いたします」
そう言って顔を覗かせたのは、タウフェンベルク伯爵家の老執事、ヘンリーだった。
ヘンリーはノアに目を向けたあと、申し訳なさそうにイーリカを見やると、
「すみません、イーリカさん。先日のドレス採寸で、測り損ねてしまった箇所があったようで、どうしても急ぎとのことで……」
イーリカは戸惑うように、ノアとアマンダの顔を交互に見る。
正式な婚約を前に、今後増えるであろう出かける機会のため、ノアはイーリカのドレスを仕立てようとしていた。もちろんイーリカは遠慮したが、そこを説き伏せ、先日採寸を行ったところだった。
「行っておいで」
ノアがイーリカの手をそっと離すと優しく微笑んだ。
アマンダが心得たように頷く。
「ええ、ドレスは大事よ。女の武器ですからね。その間、伯爵にお相手をしていただきますから、大丈夫ですよ。気にせず行ってらっしゃい」
ふたりからそう言われたイーリカは、申し訳なさそうに立ち上がる。
「では、少し失礼いたします」
そう言って、ヘンリーとともに部屋を出ていった。
ノアはイーリカの姿が見えなくなったあとも、じっと扉を見つめる。
しばらくしたあとで、アマンダに視線を戻す。
「手ほどきの開始時期については、また後日、ご相談させてください」
先ほど改めて承諾を得た淑女教育について、補足するように言った。
ノアとしては一日でも早いほうがいいが、当然ながらアマンダの都合もある。
「私はいつからでも構いませんわ。引退している身ですから、時間はいくらでもありますもの」
アマンダが微笑んで答えてくれたので、ノアも笑みで返す。
知る者は知っている事実だが、アマンダは侯爵家の生まれだ。
大恋愛の末に家格が下のミュンスター子爵家へ嫁いだものの、誰もが知る人格者であり、社交界での顔の広さもあって、淑女教育においては一目を置かれている。
アマンダ自身、社交界からは距離を置いているにもかかわらず、いまだに彼女を頼り、娘の教育を頼む家も多いと聞くほどだ。
アマンダから手ほどきを受け、後ろ盾になってもらえるなら、これほど心強いことはない。
アマンダはわずかに首を傾げると、ノアに問いかける。
「でも本当によろしいのですか? 彼女が、当家のミュンスター子爵家へ養子に入ることは構いませんのに。そうなれば本当の娘になるのですから、わたくしとしてはうれしいくらいですわ」
それはイーリカとノアが婚約するという報告を受けたあと、アマンダから密かにノアへ申し出ていたことだった。
ノアはアマンダの言葉に微笑んで頷く。
結婚についてはすでに王家の許可を得ているとはいえ、いち薬草茶店を営む平民の娘であるイーリカにとって、身分で相手のことを品定めする人間が多くいる社交界を渡り歩いていくのは並大抵のことではない。
そのため結婚前に少しでもイーリカの身分を高めておくのであれば、どこかの貴族の家へ養子に入り、身分を手に入れたのち、伯爵家へ嫁ぐという手段があった。世間一般では、家格が不釣り合いだったり、庶子の娘を嫁がせたりする際によく使われる手段だ。
受け入れてくれる貴族の家を探すことは、ノアにとっては容易だったが、アマンダのミュンスター子爵家であれば、家格もイーリカとのつながりにおいても最良の選択肢だった。しかし──。
「ええ、彼女のままがいいんです。それに彼女が養子になることは、僕側の事情でしかありませんから」
どこかの家にイーリカが養子に入るということは、彼女が薬草茶店とともに代々引き継いできた『アシュ』の名を否定するにも等しい。
イーリカに尋ねるまでもなく、そんなことを彼女に強いるなど、ノアには無理だった。
アマンダは、そんなノアの様子に目を細める。
「愛してらっしゃるのね」
「ええ、もちろん」
ノアはイーリカを思い浮かべながら、間髪入れず答える。
アマンダは目を丸くし、頬に手を当て苦笑するように言う。
「この場に若い娘がいなくて幸いだわ。いつもは無表情の伯爵がそんなお顔をするとなると、熱を上げてしまいますからね」
すると、ノアが何かに気づいたようにすっと立ち上がり、扉へと向かう。
取手を引き、ゆっくりと扉を開ける。
そこには顔を真っ赤にして固まっているイーリカがいた。
イーリカははっと意識を戻すと、
「た、立ち聞きしようと思ったわけじゃないのよ、ちょっとドレスの装飾のことを訊かれて、わたしにはわからなくて確認しに来たんだけど、会話の邪魔をしちゃいけないと思って……」
必死で言い訳を口にする。どうやら部屋の中に入る間を見計らっていたところ、先ほどの言葉を耳にしてしまったらしかった。
すかさずノアはイーリカを抱き寄せ、艶やかな焦げ茶色のダークブロンドの髪、そのつむじにキスを落とす。
ぴくっとイーリカの肩が反応し、目尻にわずかに赤みが差す。
ノアは吸い寄せられるように、イーリカの頬に手を伸ばし、自身の体を少し傾ける。
──が、そこでいち早く状況を思い出したイーリカは両手を伸ばし、すんでのところでノアの口を手のひらでふさいだ。
勢いよく首を回し、部屋の中、ソファーに腰かけているアマンダに目を向ける。
「ア、アマンダおばさま! こ、これは、その……!」
アマンダはあらあらというように、こちらを微笑ましく眺めている。
イーリカは恥ずかしさのあまり逃げ出したくなった。
一方のノアは眉間にしわを寄せ、不服そうな顔を見せている。
「まあ、いいよ。今は」
そう言って、自身の口に当てられているイーリカの両手を解くと、自ら彼女の手のひらに唇を寄せる。
その瞬間、イーリカはより一層、顔を赤らめたのだった。
【番外編SS】をお読みいただき、ありがとうございます!
本編完結後、たくさん閲覧&ご評価いただけたことがうれしくて【番外編SS】を書いてみました!
元々は本編に入れるエピソードでアイディア出ししていたのですが、プロット段階で削った部分です。
楽しんでいただけるととてもうれしいです(*´▽`*)






