47_下される判断(1)(ノア視点)
通されたのは豪奢な調度品や絵画で彩られた、数十人は入れるであろう応接間の一室だった。
ノアとタウフェンベルク伯爵家当主である父が、王城へ来るよう呼び出しを受けたのは、今朝早くのこと。
いつそうなってもいいよう数日前から王都に滞在していたノアと伯爵は、知らせを受けて急ぎ駆けつけたのだった。
応接間に入るなり、伯爵が隣のノアに視線を送る。ノアは小さく頷いて返す。
王と対面するのであれば、慣例では謁見の間に通されるはずだ。
しかしそうではなく、ただの応接間だということは国王は内々に事を進める意向だと示していた。
部屋の中央には精緻な装飾が施された長テーブルが鎮座し、それぞれの椅子にヴェロルト正教会の教皇と大司教、そして問題の植物の調査をノアが依頼した薬学専門家のヘルゲンが座っていた。
重々しい空気の中、しばしののち国王が姿を現す。
壮年の国王は、為政者の目で、すぐさま立ち上がった顔ぶれを流し見る。
「かけなさい」
重低音だがよく通る声で、それぞれに着席を促す。
「こたびの事件の首謀者は、ヴェロルト正教会の老司教だと結論づけられた。あらためて問う、異論はないか」
国王は、すべての聖職者を管理する立場であるはずの教皇と大司教に鋭い視線を向ける。
彼らはすでに、事の顛末を聞いているはずだった。
「間違いございません……」
教皇と大司教は深く受け止めるような険しい面持ちで、重々しく首を垂れた。
* * *
数か月前のあの日、ノアはイーリカ救出後に倒れて目覚めたあと、記憶をすべて取り戻したことで、その記憶を頼りに、幼い頃に自分が誘拐された事件も含めて調べ始めた。
そして父である伯爵とともに、イーリカ誘拐時の実行犯である濃灰色の髪の男とその仲間らを聴取してわかったのは、彼らは黒い髪もしくは黒色に近い髪色をしていたために、黒い髪を持つとされる悪しき魔女との関係を疑われ、人々から忌避され、流浪の身に追いやられた過去を持っていたことだった。
そんな彼らの境遇を老司教は狡猾に利用し、一方で彼らは生きるために仕方なく、若い娘をさ攫うという悪事に加担していた。
そして、髪色により素性を探られないよう黒い森の中でのみ採れる特殊な樹液を使い、髪の毛を茶色に染めていたのだという。しかし染めることができるのはあくまで薄い色の髪だけで、濃灰色の髪の男のようにより黒に近い色や黒色の髪の毛は染めることができないらしい。
かつて幼いノアを誘拐した黒髪の男は濃灰色の髪の男と同じ一味で、黒髪の男が亡くなり、その跡を継いだのが濃灰色の髪の男だったというわけだ。
捕らわれの場所として使われた洞窟は、タウフェンベルク領内で宝石商を営む家が所有していたのだが、宝石商は老司教と結託し、法で定められた採掘量以上を採掘していたうえに、それを裏で他国へ売りさばき、暴利を貪っていたこともわかった。
ではなぜ、隣領ヴィルリート伯爵家の令嬢ベルーナがイーリカを誘拐したかというと、やはりノアへの恋心による嫉妬心からだった。
ある日ベルーナは、老司教とヴィルリート領教会の司祭が若い娘を教会に運び入れるのを偶然目撃していた。
それを侍女に打ち明けたが、老司教らの仲間であった侍女は『あれは魔女に傾倒した女を、司教さまが慈悲の心で更生させているのです』とベルーナに刷り込んだ。
そんな中、ベルーナは私的な訪問でノアと会う機会ができても、ノアの態度が明らかに一線を引いていることに苛立ちを募らせていた。
その一方で、ノアが多忙の合間を縫って足しげく通っているところがあると耳にし、そこを訪れてみれば、相手は冴えない娘で、魔女のような怪しげな薬草茶店を営んでおり、嫌悪を抑えられなくなった。
そこで老司教に協力を仰ぎ、イーリカを誘拐し、教会で更生させようと企んだのだという。
ベルーナの口からその事実を聞かされたとき、ノアは自身の行動がイーリカ誘拐を招いたことへの怒りと、ベルーナの浅はかで身勝手な行いに憤りを感じながら、それを必死に堪えたのだった。
ただいずれにしても、もしあのままイーリカもベルーナもとらわれの身のままだったら、事態はもっと悪くなっていた。
濃灰色の髪の男が白状したところによると、老司教は最終的にベルーナを殺害し、その罪をイーリカになすりつけようとしていたからだ。
筋書きとしては、嫉妬心にかられたのはイーリカのほうで、ヴィルリート伯爵家息女殺害という大事件を起こした原因は、そもそもタウフェンベルクの嫡男のノアにあると追及し、娘たちの行方不明事件の捜査に乗り出している目障りなタウフェンベルク伯爵家の力を削ぐことが目的だったのだ。
ベルーナだが、近いうち、ヴィルリート領の北部にある修道院に送られることが決まっている。
そして過去に、老司教がなぜ若い娘ではなく、少年のノアを攫ったかといえば、伯爵とノアが可能性としてあげていたとおり、七年前に起きたタウフェンベルク領内の教会の司祭が起こした不正事件が関係していた。
当時は司祭ひとりの犯行かと思われていたが、実態は司祭はただの老司教の駒にすぎなかった。
悪事に加担するうちに金に目がくらんだ司祭は、得た金を自分の懐に入れ込むようになった。それに気づいた老司教は司祭に手を下そうとしたが、折り悪く不正の事実を掴んだタウフェンベルク伯爵家に捕えられてしまった。
このまま調べが進めば都合が悪いと考えた老司教は、教会を代表して司祭の身柄を渡すよう伯爵家に要求した。だがこれを拒否されたため、息子であるノアと兄を誘拐し、警備が手薄になったところで司祭の奪還を試みようと計画していた。
捕らわれの身になったのはノアひとりだったが、計画は進められ、予定通り老司教の手助けにより、司祭は自由の身になった。しかし口を封じられることを恐れ、逃亡。その後、老司教の息がかかった者に追い詰められ、崖から転落した。
老司教は事実抹消のために司祭の死体を回収したい意図があったが、崖下ということと、その後駆けつけたタウフェンベルクの騎士らにより発見されたことで、やむを得ずそのままになった。
そしてそこでわかったのは、ノアの兄は老司教の手下である黒髪の男たちから、弟を見捨てたことを黙っている代わりに、捕えられている司祭の逃亡に手を貸すよう脅迫されていた事実だった。
それを聞いてノアが思い出したのは、兄が残した遺書だった。
遺書の中には、こう書き残されていた。
『あの日のことを暴露してもいいのかと、欲深いあいつらは蛇のように私を追いつめる。いっそお前が真実を打ち明けて、罵ってくれればどんなに楽だったか。私は、もう疲れた──』
当時記憶を失っているノアは、兄の残した言葉の意味はわからなかった。
しかし記憶を取り戻し、事件の事実を知った今、ようやく霧が晴れるようにすべてを理解した。そして兄を追い詰めていたのは、紛れもなく自分だったと深い悲しみが押し寄せた。
記憶を失わなければよかったのか、とも思った。しかし裏切られた事実を前に、兄と変わらず接することができたのかと問われれば、答えは否だった。
裏切りへの悲しみで、兄を恨み、蔑み、罵倒したかもしれない。
どうすればよかったのか。それはこれからも答えは出そうにもなかったが、これは自分が背負っていくべきものだとノアは感じていた。
そしてノアは、濃灰色の髪の男を聴取した翌日、急ぎヴェロルト正教会が管理する独立自治区のヴェロルト区へと向かった。
折りよく、教会を統べる教皇、そしてその下に位置する大司教が、王都での例年の儀式に参列するため、ヴェロルト区を離れる予定があることをノアは知っていた。
それには多くの聖職者を連れて移動する。教会が手薄になるため、敷地内を探るには、絶好の機会だった。
ノアは、かつて自分の男性家庭教師を務めていた、薬学専門のヘルゲンに手紙を送り、連絡をとった。
同時に、タウフェンベルク領内で賭博に手を染めていた司祭に目をつけ接触し、ヴェロルト大聖堂の敷地内へ入る手引きをさせた。
そして敷地内を案内させている間、『ソムヌス』と呼ばれていた得体のしれない植物の黒い葉を採取したのだ。
その後、王都でヘルゲンが黒い葉を調べた結果、イーリカが言うとおり、人を瞬時に眠らせる効果を持っていたことがわかった。
すでに悪用されており、危険性が極めて高いことから、ノアの父であるタウフェンベルク伯爵が王都に駆けつけるのを待って、すぐさま王家に報告された。
事態を重くみた王家は、タウフェンベルク伯爵家主導のもと、極秘でヴェロルト大聖堂で栽培されていたソムヌスなる植物を探るよう王命を下した。
そこでノアは、今度は礼拝という名目のもとヴェロルト区内へ密かに入り、再び同行してもらったヘルゲンをあの栽培場所に案内した。
場所は教会の敷地外だったため、教会への立ち入り許可をわざわざ得る必要もなく、人目に触れずに侵入できた。
赤黒い花びらと黒い茎、葉を持つ異様な植物ソムヌスを根っこごと数本採取した。掘り起こした土は埋めておいたが、気づかれる可能性もある。
早急に王都に戻り、調査を進めた結果、花びらや葉、茎などの形状などから、イーリカが指摘していた『フェルムル』という植物の亜種ではないかという結論が出された。
さらにすでに調査済みの葉が持つ強力な睡眠効果だけでなく、茎の内部に蓄えられている乳液状の白い液体には、幻覚作用など人の神経に影響を及ぼす可能性があることがわかった。
教会全体がかかわっているのか、もしくは一部の聖職者が秘密裏に事を進めていたのか、調査が進められたところ、教会でも影響力の強い老司教の関与が疑われた。
老司教に監視の目をつけ、動向を探っていたある日、ヴィルリート領内のヴィルリート伯爵家が結婚式などを代々執り行う教会を秘密裏に訪れることがわかったのだ。
何かあるとにらんで待ち構えていると、ひと気のない深夜、教会では密かにある儀式が行われ始めた。
そこには老司教だけでなく、教会を管理する司教、さらに助祭などの数人の聖職者の姿もあった。
彼らはソムヌスで意識を奪った若い娘を、生贄として冷たい石の祭壇の上にのせ、その血を捧げようとしていたのだ。
すんでのところでそれを防ぎ、老司教らを取り押さえたが、老司教は狂ったように叫んだ。
『ヴェロルト神は、娘から差し出された紅いドウラに口をつけ、復活したと言い伝えがある! これは純粋なる信仰だ!』
老司教は言い伝えにある『紅いドウラ』を若い娘の血だと解釈し、取り憑かれたようにその血を捧げ続けていたのだった。
儀式の場にいた者、そのほかにも関与していた者の身柄は全員捕えられた。
若い娘が行方不明になる事件は、ヴェロルト区内から端を発し、数十年以上前から起こっていた。
ついで、老司教の息がかかっている教会が多く点在するヴィルリート領内に広がり、ついには隣領のタウフェンベルク領内にまで及んだ。
老司教はことが明るみに出そうになるたび、『黒い森の魔女のしわざ』だと噂を流した。
行方不明になった娘を心配する家族には、
『あなた方の娘は悪しき魔女に傾倒してしまったのだ。魔女に溺れた異端者を出した家だと知られれば、住処を追われるだろう。我々は秘密にしようではないか。何も心配することはない、安心しなさい』
と聖職者の慈悲深い微笑みを見せて、事実を封じ込めた。
そして誘拐が度を超えて起こり始めたのは、約十年前に偶然、幻覚作用と意識を奪う作用のある植物『ソムヌス』が発見されてからだった。
ソムヌスを手に入れた老司教は天啓と解釈した。
ソムヌスを使い、『紅いドウラ』になりうる若い娘を手当たり次第に誘拐し、生贄として捧げたのだ。
誘拐には自分たちの手は汚さず、黒髪により魔女との関係を疑われ忌避されていた人間たちを狡猾に利用した。
さらに、自分たちの企みに気づいた者や裏切り者が出た際には、ソムヌスを使ってその者の人格を奪い、信仰心を高めたうえで、知らしめるために命を奪っていたのだった。
話が続いていますが、長いので分割しています。
続きの48話は、夕方くらいに投稿できればと思います!






