41_聖なる教会(ノア視点)
荘厳なヴェロルト大聖堂がそびえ立つ敷地の門を前に、馬車はゆるりと停車した。
しかしそこは立派な装飾が施された表門ではなく、人目につかない裏門だった。
馬車の中を検める衛兵に、ヘルゲンの助手を装ったノアが訪問の意図を伝える。
「どうぞ、中へ」
すでに共有されているのだろう、衛兵はさして警戒することもなく、ノア達をのせた馬車二台を中に招き入れる。
しばらくすると再び馬車が停車し、まるで見計らっていたかのようにやや小太りの司祭がひとり、早歩きで歩み寄ってくる。
「ようこそヴェロルト正教会へ、王立学院のヘルゲン教授ご一行ですかな」
出迎えてくれた相手は、歓迎の意を表するように手を広げる。
ヘルゲンは帽子を取り、手を差し出す。
「本日はお引き受けくださり、感謝申し上げます」
「いえ、こちらとしても教授のような方に興味を持っていただけるとは、ありがたいことです。本日は教皇さま、そして大司教さまも王都での儀式のため不在ゆえごあいさつは叶いませんが、私がしっかりとご案内させていただきますので」
ヘルゲンが相好を崩して言う。
「お願いいたします。次の論文で取り上げる薬草がこちらで栽培されているとお聞きして、ぜひ色々とおうかがいできたらと思っているのです」
「ええ、では早速ですが、こちらへ」
小太りの司祭は人のよい笑みを浮かべ、教授を促す。
教授が先に歩き出したのを見計らい、ノアはさっと司祭に近づき、彼の手に何かを握らせる。
「本日は貴重な機会をありがとうございます。寄付としてお受け取りください」
にこりと笑って見せる。
司祭は一瞬、聖職者の仮面を脱ぎ下卑た光を瞳に宿したが、すぐさま朗らかな笑みを浮かべ、
「ご寄付、感謝いたします」
そう言って、受け取ったものをさっと法衣の下に隠す。
教会は清廉潔白であると信じたいところだが、残念ながら末端には己の欲望に打ち勝てない者もいる。
この司祭は、教授の支援者であるどこかの金持ちが教授のために金にものを言わせて、薬草園の見学をねじ込んだとしか思っていないだろう。
「教授のもとには優秀な生徒が多く集まるもので、本日は大人数ですがご容赦ください」
ノアは後ろを振り返り、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
そこにはノアと同じような服装をした若い男が四人控えていた。
「ええ、ですがどうか、くれぐれも内密に願いますよ。滅多に外部の方を招き入れたりしませんのでね。とくに本日は王都での儀式のため多くの者が出払っておりますが、いくらかは残っていますので。その者たちの目に留まるような行動はお控えくださいますようお願いしますよ」
司祭は周囲にめざとく目配せしながら、ノアに耳打ちする。
ノアはことさら申し訳なさそうに、
「ええ、司祭さまのお力添えあってのこと大変感謝しております。今後さらに教会への寄付は惜しまないでしょう」
ノアの言葉を受けた司祭は荘厳な面持ちを見せ、胸にかかっているロザリオを握り締める。
「天にまします我らがヴェロルト神のご加護がありますように」
ノアは脱いだ帽子を胸に当て、形だけの黙礼を捧げた。
* * *
その後、ヘルゲン一行はヴェロルト大聖堂の敷地内の奥側にある薬草園、『大庭園』へと案内された。
辺りを見回すヘルゲンは、さっそく司祭にあれこれ質問し始める。
「これはかつて王家の庭園にしかなかったロイヤルローズですよね⁉︎ 根っこは腎臓の薬にもなると言われている──」
「あ! あれは、黒い花びらと長いヒゲが特徴の、悪魔とたとえられることもあるシュバルツトラウムではありませんか⁉︎ 地下茎は食用もできる上、腸炎や肝炎の薬にもなるという──」
「やや! なんと! こんなものまであるのですか⁉︎ これは南方にしか生息していないバーデンモームでは⁉︎」
ヘルゲンのあまりの熱心ぶりに、案内役の司祭は早くもげんなりしているのが見てとれる。
さらに司祭の周りを取り囲むのは、ヘルゲンの助手役の四人の若い男だ。彼らも司祭に質問を投げかけたり、自由に動き回ったりするので、手を焼いていることがわかる。
(そろそろいい頃合いか──)
ノアはそっと間合いをとると、その場を離れた。
* * *
ノアはいかにも迷子になったふうを装いながら、あちこちの庭園を覗いて回る。
おそらくあるとすれば、もっと人目につかないところだろうと予測を立てる。
辺りに目を凝らし、庭園の奥へ奥へと足を踏み入れ進んでいると、教会の敷地の端まで来てしまったのか、そこは外部との境目である鉄柵で区切られた場所になっていた。
普段ここまで人が来ることがないのか、草木の手入れはまばらで寂れた風景になっている。
ノアは息を吐き出し引き返そうとしたが、ふと足を止める。
わずかだが、草が踏みしめられている跡があった。
その跡を目で追うと、鉄柵の向こう、敷地外の森の中へと続いているようだった。
ノアは左右を見回し、人影がないことを確認したあとで鉄柵を越え、向こう側に降り立つ。
そこからさらに背丈のある草木を幾度もかき分けて進む。
しばらくして、突如として目に飛び込んできた光景にノアは目を見張った。
背筋に冷たいものが走る。
そこにあったのは異様な光景だった。
血のような赤黒い花びらを咲かせた植物が辺り一面にひしめき、花びらを支えている長い茎はまるで焦げたように真っ黒。さらにその茎から伸びている葉も同じく真っ黒だった。
明らかに見たこともない植物──。
ノアは吸い寄せられるようにその植物に近づき、手を伸ばす──。が、ためらうように一度手を引き、ごくりと生唾を飲み込む。
そのあとで、意を決したように再び手を伸ばし、葉をちぎる。
ハンカチを取り出すと、真っ黒の葉を包み、ジャケットの隠しにしまう。
そして急いできた道を引き返すと、ヘルゲン達一行に追いつき、何食わぬ顔で彼らの後ろについたのだった。
* * *
帰りの馬車の中、興奮冷めやらぬヘルゲンの話をひとしきり聞いたあとで、ノアは話を切り出した。
「先生にもうひとつお願いしたいことがあります」
ヘルゲンは眼鏡の奥の瞳をすっと細め、元教え子であるノアを見つめる。
昔からほかの子どもよりはるかに聡かった子だ。成長したその子が何かの目的のために自分を選んだとするなら、それは単なる見学の同行者としてではないだろうと正直思っていた。
おそらくこちらが本題なのだろうと、ヘルゲンは耳を傾ける。
「何かな?」
ノアはジャケットの隠しからハンカチを取り出し、広げて見せる。
そこには先ほど採取したばかりの、あの黒い葉があった。
「……見たこともない、異様な葉だね」
ヘルゲンは途端に険しい表情になり、顔を近づける。そのあと目線だけをノアに向け、頭の中で導き出した結論を尋ねる。
「──これが先ほどの大庭園に? そしてこれを私に調べさせたいということかな?」
余計な言葉が一切いらない、打てばすぐに響くヘルゲンの応答にノアは深く頷く。
「ええ、正確には教会の敷地の外、まるで隠すように森の中でひっそりと栽培されていました。これが何なのか、早急に調べていただきたいのです」
「隠すように栽培とは、それはまた怪しいね……」
ヘルゲンはあごに手を当てる。
「あと、これを」
ノアは同じくジャケットの隠しから一通の手紙を取り出し、ヘルゲンに差し出す。
ヘルゲンは手紙を受け取ると視線を左右に動かし、勢いよく読み始める。
「──なるほど、これを書いたお嬢さんは深い知識と冷静な分析眼をもっているようだ。ぜひお会いしたいところだね」
しばらくしたのち、顔を上げると感想を述べる。
そこでノアがふっと柔らかく表情をゆるめたので、ヘルゲンは目を見張る。
「ほう、きみがそんな顔をするとは……、別の意味でもこのお嬢さんに興味がわくな」
茶化したあとで、手紙をノアに戻す。
その手紙をノアが大事そうに再びジャケットの隠しにしまうのを見て、ヘルゲンはますます興味を抱いた。
手紙は、ノアが目覚める前にイーリカが残していってくれたものだった。
そこには彼女が誘拐されたときに飲まされたという『黒い葉』について、図入りで事細かに書かれていた。
葉は大きな長楕円形で、端は切り込みの浅いギザギザ、葉柄は薄く、大きな特徴は見たこともないほど黒い色をしていたこと。ほぼ無臭だが、わずかにツンとするいやな感じがしたこと。葉のまま口に入れられ、飲み込むとすぐに意識を失ってしまうほどの即効性があったことなど。
さらに、薬草茶を営む自分でも今までこんな黒い葉は見たことがないが、今思えば、葉の形状は『フェルムル』という根っこに猛毒があり神経を麻痺させる植物の葉によく似ているような気がしたこと。そしてこの葉のことを、男たちは『ソムヌス』と呼んでいたのを耳にした、とも書いてあった。
突然攫われたイーリカは恐怖を感じていたはずなのに、冷静に観察する目と度胸を持っていることにノアは感嘆しつつも、そんな危険な目に遭っていたことを改めて知り、牢に捕らえている濃灰色の髪の男達をすぐさま叩き斬ってやりたい衝動を抑えるのに苦労した。
「それにしても『ソムヌス』か……」
ヘルゲンが眉間のしわを濃くして言葉を漏らす。
「ヴェロルト神話に出てくる、あの眠りの神『ソムヌス』の名をつけるとはね……」
ノアも表情を険しくする。
イーリカの手紙を読んだとき、ノアもその点に気がついていた。人々に安寧のための眠りを授けるはずの神の名を得体の知れないものにつけるなど、冒涜に等しい。
「ひとまず、承知したよ。私としてもこんな興味深いものは、自分で調べずにはおられないからね。王都の研究室に戻り次第すぐに取りかかろう」
ノアはハンカチごと黒い葉をヘルゲンに渡す。
「お願いします。では、このまま王都へ向かいます。僕もそちらに滞在する予定がありますから」
直後、王都へ向けて馬車を急がせたのだった。
次話42話で一度イーリカ視点に戻ります!
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