04_古の善き魔女
その日の昼下がり、イーリカは、とある貴族の邸宅を訪れていた。
品のよい調度品や工芸品が並ぶ応接間で待っていると、扉を叩く音がした。
使用人が開けた扉からゆっくりと入室してきたのは、杖を手にしたひとりの老婦人だった。
イーリカはさっと立ち上がり、膝を折って敬意の礼をとる。
「いらっしゃい、イーリカさん」
老婦人はが親しみがこもったやわらかな笑みを見せる。
イーリカも微笑みを返す。
「お邪魔しております。今日の調子はいかがですか、アマンダおばさま」
老婦人のアマンダはふふふと、愛想のよい笑みを浮かべて答える。
「ええ、調子はよくてよ。あなたの薬草茶のおかげね」
「それはよかったです。こちら今週の分です」
イーリカは脇に置いていたかごの中から淡い黄色の缶を取り出し、アマンダのそばに控えている侍女へ渡した。
そのあと目の前のアマンダに視線を戻す。
穏やかな雰囲気と品格を兼ね備えた老婦人アマンダは、ミュンスター子爵家の未亡人だ。
イーリカは彼女のことを『アマンダおばさま』と呼んでいるが、相手は貴族、当然ながらイーリカの身内ではない。あくまでそう呼んでほしいとアマンダ本人たっての希望があり、断りきれず、その呼び名を使わせてもらっている。
アマンダとの出会いは、三年ほど前までさかのぼる。
その頃のイーリカは、母親を亡くしたばかりで仕事にも慣れず、毎日が挫折の連続だった。
そんな中、街の通りで具合を悪くし、地面に膝をついているアマンダを見かけた。隣にはお付きの侍女がいたが突然だったのだろう、動揺しておろおろするばかり。イーリカは彼女たちをすかさず店へ案内し、介抱したのだ。
それをきっかけに、アマンダはイーリカの薬草茶を気に入り、定期的に頼むようになった。そのうえ少ないながらも理解のある貴族筋の客を紹介し、イーリカの力になってくれている。
そんなアマンダも去年から膝の調子が優れなくなり、胃腸も少し弱ってきていた。そのため以前よりも頻繁にイーリカが調合した薬草茶を飲んでくれている。
あのときやさしく手を差し伸べてくれたアマンダがいたから、今の自分がいると感じているイーリカは、アマンダに深い感謝と愛情を抱いていた。
「さあさ、座ってちょうだい。今日はミラベリーのシュトロイゼルを用意したの。お口に合うといいのだけれど」
その言葉を合図に、すべてを心得ているアマンダの使用人たちが流れるような動きでテーブルセットを整えていく。
彼女らの手際の良さには何度見ても感心してしまう。
繊細なレースで編まれたテーブルクロスがかけられたテーブルの上に並んだのは、緻密なバラ模様が描かれたカップとソーサー。そして小麦粉やバター、砂糖などを贅沢に使用した焼き菓子、円柱形のシュトロイゼルだった。
侍女がさっと切り分け、ひとり分を皿によそう。
イーリカの普段の生活では高級な紅茶もお菓子も、滅多に口にできないものばかりだ。
「今朝、うちの農園でミラベリーが収穫できたそうで、さっそくコックが作ってくれたのよ」
少女のようにかわいらしく微笑みながら、アマンダが言った。
「もうそんな時期なんですね、とてもおいしそうです」
これから始まるのは、まさしくお茶の時間だった。
アマンダは夫に先立たれ、爵位はとうの昔に息子が継いでいた。今では暇を持て余しているようだが、膝のこともあり、外出を控えている身だった。
そんなアマンダにとって、イーリカが配達に来る日は気兼ねなくおしゃべりできる楽しみでもあったのだ。
とはいえ、当初はイーリカも本当にただの配達に来ていただけだった。それがいつの間にかお茶に誘われ、薬草茶を届ける頻度が毎週になり、配達のあとはアマンダとふたりでお茶をするのが当たり前になっていた。
促されるまま、イーリカは赤い実のミラベリーがのったシュトロイゼルを頬張る。
ベリー種の中でも最も早く旬を迎えるのが、このミラベリーだ。タウフェンベルク領の特産でもあり、高級なものは王家にも献上されることもあるのだとか。
ミラベリーの甘酸っぱい酸味がほろほろと崩れるシュトロイゼルと相まって絶品だ。
イーリカはあまりのおいしさに頬に手を当てて、噛み締める。
「とてもおいしいです」
「ふふふ、気に入ってくださったようでよかったわ。コックも喜ぶわ」
ひとしきり食べ終えたあとは、紅茶を飲みながらふたりはたわいもない話に花を咲かせる。
おもにイーリカが最近あったことを話し、アマンダがそれに相槌を打つことが多かった。
時折アマンダが子爵家の領地のことや貴族の奥様方の間で噂されていることなどを教えてくれることもあった。
しかし、今日は少し趣が異なっていた。
「昨日ね、書庫の奥から先代当主の日記が出てきたのよ」
アマンダは内緒話をする少女のように、イーリカに顔を近づけてささやいた。
「日記ですか?」
「ええ、そっと隠すようにしまわれていたんだけど、きっと先代当主のお義父様もお忘れだったのでしょうね、日記は途中で終わっていたわ。でもそこに面白いことが書かれていたのよ」
知りたい? とでも言うように、アマンダはイーリカに目配せをする。
(それはわたしが聞いてもいいことなのかしら……?)
イーリカは身構えたが、アマンダの性格をよく知っているため、どのみち断っても聞くことになるのだろうと思い、期待に添うよう先を促した。
「何が書かれていたんですか?」
待ってましたと言わんばかりに、アマンダが目を輝かせる。
「それがね、古の黒い森の魔女のことなの!」
「……魔女」イーリカは小さくつぶやく。「……魔女が、どうかしたんですか?」
「今でこそ、魔女は『悪しき魔女』なんて言われているでしょう? でも昔はそんなことなかったのよ。それこそわたくし達の親世代くらいまではね。『黒い森の善き魔女』『善き隣人』と親しまれて、目に視えない、計り知れない困り事があると、みんな魔女が棲まう黒い森へお願いに行くの。すると魔女が手助けしてくださるのよ。それでね──」
アマンダは人差し指を立てて続ける。
「どうやら、もっと昔の当主さまが魔女にお願いをしに行ったことがあったらしいの。その話をお義父様は子どもの頃に寝物語で聞いたらしかったのだけれど、たまたま思い出したとかで、日記に書き留めてあったの」
「……へえ、そうなんですね」
「なんでもその当時の子爵家には、なかなかお子が生まれなかったそうで、悲しんだ妻のために、当主さま自ら黒い森に入り、魔女にお願いしたそうよ。するとその数か月後、待望の男児を授かることができたらしいの」
興奮気味に言い終えたアマンダだったが、ふと悲しげな目をして、
「……魔女は、そうやってわたくし達を支えてくれた善き存在だったのに、なぜ、いつしか真逆の噂が立つようになってしまったのかしらね。……若い娘をさらって悪魔の生贄にしているとか、人間の生き血を混ぜた秘薬を作っているとか、意のままに操る呪いをかけて挙句の果てに命を奪うとか、悪い噂はあとを絶たないわね」
そう言うと彼女はカップに視線を落とした。
イーリカはぎゅっと膝の上で拳を握り締める。気づけばうつむいていた。
その様子を見たアマンダが慌てる。
「ごめんなさい、若い女性に聞かせる話じゃなかったわね。シュトロイゼル、よかったらお土産に持って帰ってちょうだい」
そう言ってアマンダは残りを包むよう侍女に指示し、イーリカの手提げのかごの中へ入れてくれたのだった。
少し話が続いているので、このあと続きの5話も、あとで投稿できたらと思います!
ご覧いただけるとうれしいです!






