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黒い森の悪しき魔女は三度恋をする  作者: 猫葉みよう@『婚約破棄された腹いせに〜』電子書籍配信中
第六章

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36_救出と予兆(1)

「……ーリカ、イーリカ」


 気づけば眠ってしまっていたイーリカの耳に、聞き慣れた声が聞こえた。

 ぼんやりとまぶたを開けるが、暗闇で何も見えない。


(そうだ、わたし、攫われたんだった……)


 よみがえる現実に、イーリカの瞳にじわりと涙が浮かぶ。


「──おい、イーリカってば!」


 急に生温かいものが頬に触れて、イーリカは思わず、ひえっと目を大きく見開く。


 ぱっと目に飛び込んできたのは、暗闇の中、蝶の羽のような鮮やかな光を帯びたアーモンド型のふたつの目玉だった。


「ラ、ライト⁉︎」

「やっと気づいたか!」


 イーリカの顔を舐めるほどの距離に、ライトが鼻先を近づけていた。


「ほ、本物?」


 イーリカはなんとか上半身を起こす。手足は縛られたままだった。


「ああ、イーリカ!」


 ライトはイーリカの体のあちこちに鼻先をぶつけ、見たことがないくらいに喜びをあらわにしていた。そして確かめるように、


「ちゃんと頭はくっついてるか⁉︎ 腕は⁉︎ 指は⁉︎ ああ、無事だったんだな!」


 あまりの興奮ぶりにイーリカの頬もゆるむ。


「ええ、無事よ。おおげさね」

「おおげさなもんか!」


 ライトはむっとむくれたような声を出す。


「だってイーリカに頭や腕なきゃ、もう白アスパラ(シュパーゲル)のスープが作れなくなるだろ」

 

 そう言って胸を張ったので、イーリカは思わず呆れてしまう。


(せっかく感動してたのに、台無しだわ)


 それでもこうしてライトがそばにいてくれることで、イーリカの胸を覆っていた不安な気持ちは消え去っていた。


「ラブラも一緒なの? 気配を追って来てくれたのね」


「ああ、なんとかな。イーリカ、途中で意識を取り戻してくれただろ? だから行き先を絞れて追いつけたんだ。じゃなきゃ、ちょっと危なかったな」


「え、どういうこと?」


 危なかった、という言葉にイーリカの心臓がひやりとする。

 ライトは鼻先にしわを寄せる。


「イーリカが攫われてすぐにあちこちを通行封鎖にしたみたいなんだ! でも通り抜けされてたみたいでさ! まったくどうしてくれるんだ! ああ、それよりも! ここは黒い森のそば──、いや、もう森の中と言ってもいいな! こんなことなら扉を通って来たほうが早かったくらいだ」


 ひとり早口でまくし立てて怒っている。

 ライトの言葉にイーリカは目を見開く。


「ここ、黒い森なの?」


「ああ、そうさ、それで──」


 とライトが言いかけたとき、突然、空洞の外が騒がしくなった。


 あちこちから聞こえるのは、大勢の足音と怒号、そして剣のような硬いものが激しくぶつかり合う甲高い音だ。


「ああ、俺が戻るまで待てって言ったのに!」


 ライトが頭を掻きむしるように、向こうを振り返る。


 するとランタンの光の中、誰かがこの空洞に入ってくるのがわかった。


 目をすがめるが、逆光になっていてよく見えない。


 とっさにライトを背後にかばうように、イーリカは体を前に出す。


 その次の瞬間、


「イーリカ‼︎」


 息もできないくらいにきつく体が包み込まれた。


(え──)


 イーリカはわけもわからず呆然とする。


 しかしゆるゆると、自分の名を呼ぶ声を実感すると、

「ノア、さま……?」

 胸に込み上げるものを堪えながら問う。


「ああ、僕だ」

 耳元で囁く声がする。


「おい! そんなに力を入れてちゃ、イーリカがつぶれちまう!」


 ライトが声を張り上げる。

 ノアは力をゆるめるが、しかしすぐにもう一度確かめるようにイーリカをきつく抱きしめる。


「よかった……」


 ノアの声と体は小刻みに震えていた。

 たまらず、イーリカの瞳から涙があふれる。


(助けに、来てくれたんだわ……)


 どうしてここにノアがいるのか、どうして自分が誘拐されたのがわかったのか、訊きたいことがたくさんあるのに言葉にならない。


 そのとき、

「ノールドアルトさま!」

 声がして、近づいて来たのは、剣を手にした男たちだった。


 イーリカは思わず体を強張らせる。

 それに気づいたノアは優しい声色で言う。


「彼らはタウフェンベルク伯爵家の騎士たちだ、安心していい」


 その言葉に頷き、少し見回したあとで、イーリカは肩の力を抜く。


 よく見れば、彼らは簡易の旅装姿ではあるものの、統率がとれた立ち振る舞いなどから、濃灰色の髪の男たちの仲間には見えなかった。


「ほかにもご令嬢が捕らわれていました」


 騎士のひとりがノアに告げ、すっと後ろを振り返る。


 そこには疲れ果てた顔のベルーナがいた。

 しかし彼女はノアの姿に目を留めると、ぱっと顔を輝かせ、駆け寄ろうとする。


 すかさずノアが手を上げると、周りの騎士たちがそれを制止する。


「ちょっと! なぜ騎士がわたくしに触れるのです⁉︎ ノアさま、放すように言ってくださいませ!」


 ベルーナは憤るように声をあげる。


 ノアは横目でベルーナに冷たい視線を投げつけたあと、くるりとイーリカに向き直る。


「ここは騒がしい。早く出てしまおう」


 そう言って、何事もないようにイーリカを見つめて微笑む。


「ノアさま! ノアさま! やめて、放しなさい!」


 しかし後ろからはベルーナが叫び続けている。

 それでもノア、まったく聞こえていないそぶりで、じっとイーリカだけを見つめている。


 居た堪れなくなったのはイーリカのほうだった。

 ベルーナはノアの婚約者ではないのか。そう彼女が高らかに宣言していたのを、はっきりと覚えている。


「あの……、あなたの婚約者はいいの?」


 イーリカはノアからそっと体を離そうとしながら問いかける。

 しかしすぐにその言葉が矢のように返ってきて、イーリカの胸に刺さる。

 本当なら何も訊きたくない。でもはっきりと受け止めるなら早いほうがいい、そう言い聞かせる。


 しかし返ってきたのは、意外な言葉だった。


「婚約者? 誰の?」


 ノアはさも不思議そうに、首を傾げる。

 戸惑うように、イーリカは視線を向ける。


「だから、あなたの……」


 ノアはわずかに逡巡してから、希望的観測を込めて言ってみた。


「きみのこと?」


 イーリカはきょとんとし、一呼吸置いてから、薄暗闇でもわかるほど途端に顔を真っ赤に染める。


 思わぬ反応にノアは喜ぶように、イーリカを強く抱きしめる。


「ノアさま⁉︎ ちょっとあなた! 今すぐノアさまから離れなさい‼︎」


 しかし後ろがひどくうるさかった。

 ノアは顔をしかめ、わずかに振り返ると、


「ベルーナ嬢、きみがイーリカ誘拐に関与しているのはわかっている。事の詳細はあとでしっかり訊かせてもらう。それにしても、すぐさま各所に通行封鎖の指示を出したのに、タウフェンベルク領内の宝石商と共謀してすり抜けるとはね。ああ、あとその前に何度も言うようだが、僕のことを『ノア』と呼ぶのは今すぐやめてもらおうか。そう呼んでほしい女性はイーリカだけだ」


 冷ややかに言い放つ。そして、


「行こうか」


 ゆっくりとイーリカを立ち上がらせようとした。


 しかしイーリカの手足を縛っている縄を目にして、ぎりっと唇を噛み締める。剣を握り、慎重に断ち切る。


「……ありがとう」


 自由になった手首をさすりながら、イーリカは、心の底から安堵の息が漏らした。

 ノアは、イーリカの体に手を添え、彼女をそっと立ち上がらせた。


「とりあえず、外に出よう」




次話の37話は、あとで投稿できればと思います!覗いていただけると、うれしいです!

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