34_ソムヌスの眠り(4)
(いったいどこまで連れていく気かしら……)
あいかわらず馬車はどこかへ向かって進んでいる。
途中、休憩のために何度か停まっているものの、まだ先を急いでいるようだった。
イーリカは一度目が覚めてから、ずっと外の様子に耳を澄ませていた。
聞こえてくるのは森の木々のざわめきや鳥のさえずり、羊の鳴き声、時折すれ違う馬車の音もした。それでも道は悪くなるばかりで体に感じる振動は激しく、思わず漏れそうになる声を抑えるのに苦労するくらいだった。
それらは首都レッセンの街からあきらかに遠ざかっていることを、イーリカに伝えている。
さらにそれからも馬車は進み、次第に夕暮れ時のもの寂しい気配を感じる。
すると馬車はカラカラと減速し、少し草むらに入ったあとで、ブルルッと馬が鼻を鳴らす音がして停車した。
近づいてくる足音がして、木箱の蓋が再び開けられる。
イーリカはすぐに寝たふりを決め込む。しかし、
「──おい、起きろ」
髪の毛を乱暴につかまれ、イーリカは思わずうめき声を上げてしまう。
まぶたを開け、キッと相手をにらみつける。
視界に入ったのは、強面の男だった。頭には布を巻いている。わずかに覗く髪の毛の色は、やや青みがかった濃灰色。
イーリカは思わず目を見張る。
この国では黒色や黒に近い髪色は珍しい。それこそ魔女と関係があるのではと疑われるくらいに。そのためイーリカが目にしたのも初めてだった。
「おー、おー、今度のはえらく威勢がいいな。でも噛みつかないこった。今は大人しく水だけでも口にしておいたほうがあんたのためだぜ」
男はそうからかうと、まるで砂袋でも担ぐように両手足を縛られたイーリカを木箱から軽々と持ち上げ、下草の生える地面に雑に下ろした。
暮れる夕陽が地面を赤く照らしている。
周りを見回すと、濃灰色の髪の男のほかにも五、六人の男たちがいた。ほかの男たちはイーリカと同じような平凡な焦げ茶色の髪の毛をしていたので、珍しい髪色をしているのはこの目の前の男だけらしい。
イーリカを見張るため背後に控えているふたりの男以外は忙しなく動いており、どうやらここで野営をするつもりらしかった。
イーリカは濃灰色の髪の男に目を向ける。
「あなたたちの目的は何? どこへ連れていこうっていうの」
「あんたは知らなくていいことだ」
下卑た笑いを浮かべた男が言い、イーリカの後ろ手に縛った紐を解く。腕を前に向けさせると、胸の前で再び縛った。そこに別の紐を結びつけ、紐の先を男が握る。まるで家畜のような扱いだ。
「ほらよ」
男が水の入った袋をイーリカの前に突き出す。
イーリカは喉の渇きには逆らえず、念のためにおいを嗅ぎ、一口飲んで異常がないかを確認してから、ごくりと飲み込む。あとは体が欲するまま喉を鳴らし、気づけば一気に飲み干していた。
「……ありがとう」
イーリカの口から思わず言葉が漏れる。緊張もあっただろう、それほどまでに喉が渇いていた。
「はっ、攫われてるっていうのに、変わった嬢ちゃんだ」
男はくくっと喉を鳴らして笑う。
「じゃあ、礼ついでに、これも飲んでくれるとありがたいんだがな」
と言って手のひらを広げて見せたのは、何かの葉だった。
しかし普通の緑の葉とは違い、焼け焦げたように真っ黒だった。
思わず、イーリカは眉間にしわを寄せる。
「昨日のように無理やり飲み込ませても構わんが、自分で飲んだほうがマシだぜ」
(……ということは、昨日わたしの口に入れられたのは、この葉っぱ?)
じっと注視するが、葉は焦げているわけではなく、葉そのものの色のようだ。でもそんな黒い色の葉をイーリカは見たことがなかった。
素直に口にする気にはなれない。イーリカは嫌悪の視線を向ける。しかし口にしないという選択肢はもとより残されていなかった。
息を吐き出し、少しでも情報を手に入れようと尋ねる。
「……自分で飲むわ。でもそれは何? 睡眠薬のようなものなの?」
「悪いが言えない、ほら」
男はイーリカの口元に、その不気味な黒い葉を押しつける。
イーリカはそっとにおいを嗅ぐ。ほぼ無臭だが、わずかにツンとするいやな感じがした。
男がじれたように力を強めるので、仕方なく口に含む。
(せめて飲み込まなければ、意識を保っていられるかしら……。それでライトとラブラがわたしの気配を追ってきてくれれば……)
と思ったのは一瞬で、男はイーリカの口を開けさせ、水を一気に流し込んだ。
そうなっては飲み下すしかなく、イーリカは再び意識を失ったのだった。






