33_ソムヌスの眠り(3)(ノア視点)
タウフェンベルク伯爵家の自身の執務室にいたノアは、思わぬ訪問者に目を見開いていた。
ヘンリーから、イーリカの黒い犬二匹が邸宅の門の前にいると告げられたのは、つい先ほどのこと。
ひとまず執務室に招き入れたものの、一匹はそっぽを向いてしっぽをバタンバタンと床に叩きつけ、もう一匹は鋭い視線で室内を見回している。
そっくりな見た目の黒い犬はどちらかがライトで、どちらかがラブラのはずだが、ノアにはイーリカのように二匹を見分けることは難しかった。
しばらくして、すがめた瞳で二匹は背後に控えるヘンリーを見やる。
二匹はあきらかに苛立ってもいたし、殺気立ってもいた。
心配したヘンリーが退室を拒むしぐさを見せたが、ノアは大丈夫だと頷いた。
どうやら二匹は自分だけに用があるらしいと思えたのだ。
ゆっくりと扉が閉められたあと、彼はじっと二匹に視線をやる。
わずかに目線はそらされてはいるが、二匹はこちらに体を向けていた。
「突然のご訪問だが、何か用かな」
本気で犬に返事を求めたわけではなくほぼ独り言に近かったが、ノアはひとまず来客に問いかけた。
するとしっぽをばたつかせていた一匹が、隣の一匹に視線をやる。
視線を受けたほうは瞬きで返す。
まるで会話をしているように、ノアには見えた。
前々から思っていたが、イーリカの犬にはどこか普通の犬にはない不思議な雰囲気を纏っている気がしていた。今はとくにそれを感じる。
(何かイーリカからの伝言を預かっているとか……?)
もうしばらく顔も見ていないイーリカを思い出し、ノアの胸がぎゅっと締めつけられる。
「──いい? もう仕方ないわ。ほかに選択肢はないんだから」
突然、女の声がした。
ノアは驚いて辺りを見回す。
しかし室内には自分と二匹の犬以外にいるはずもなかった。
「これでイーリカを助けられなかったら、俺、こいつのこと食べちまうからな!」
次は男の声がする。それも何やら物騒な言葉を吐いている。
ノアは信じられない気持ちで、目の前の二匹の黒い犬を見つめる。
「ちゃんとその耳で聞こえてるんだろ!」
しっぽをばたつかせている一匹が吠えるように言う。
「すぐに受け入れられないのはわかるけど、一刻を争うのよ。私たちの声が聞こえてるなら返事をしてよね」
もう一匹も苛立ちをにじませて声をあげる。
ノアは指先を額に当て、数秒考え込んだあと顔を上げた。
「……きみがライトで、……きみがラブラ?」
ノアはそれぞれを指差し、以前にイーリカから彼らの性別を聞いたのを思い出しながら名前を確認する。
「ふん!」
「ええ、そうよ」
ライトとラブラはちらりとノア見やったあと、またわずかに視線をそらし、答える。
「ああ、たしかに聞こえてる」
ノアは飲み込むように頷いた。
* * *
そのあと二匹からの話を聞き終わったノアは、すぐさま立ち上がった。
「ヘンリー、いるか‼︎」
珍しく声を張り上げ、ヘンリーを呼ぶ。
扉の前で控えていたらしいヘンリーは急いで扉を開けて入ってくる。
彼は目にしたノアが見たこともないほどに殺気立っていたので、驚きのあまり固まった。
「──今すぐ馬を、イーリカが何者かに攫われたらしい」
地を這うような低い声で、ノアはヘンリーに告げる。
なぜ犬の来訪だけでそれがわかったのかとヘンリーは疑問に感じたが、主人の言葉は絶対だ。すぐさま準備を整えるため、階下に向かっていった。
先導するライトとラブラのあとを、馬にまたがったノアが追う。
その少し斜めうしろにヘンリーと数名の騎士がついてきている。
間もなく到着した空き家で目にした光景に、ノアとヘンリーは、事の次第を重く受け止める。
寂れた家の扉を蹴破って中に入ると、床にはイーリカの持ち物と思われる手提げのかごと見慣れた薬草茶の缶。そして女性物のワイン色のストールが床に落ちていて、さらに奥にある部屋の窓ガラスが派手に割れていたからだ。
「ここから、攫われたのか──」
ノアはイーリカのストールを拾い上げ、ぎりっと握り締める。
「ノアさま、もしかして若い娘が行方不明になる事件と何か関係が……」
ヘンリーが不安をにじませ、口を開く。
「──ああ、あるかもしれない」
視線を鋭くしたノアは瞬時に考えをめぐらせ、すぐさま行動に移したのだった。
次話34話は、攫われたイーリカ視点に戻ります……!
夜くらいに投稿できればと思います!






