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黒い森の悪しき魔女は三度恋をする  作者: 猫葉みよう@『婚約破棄された腹いせに〜』電子書籍配信中
第一章

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03_人助けときっかけ

 その日、間もなく昼に差しかかろうとした頃、薬草茶店(クロイターティー)に面する表の通りからけたたましい音がした。


 イーリカが慌てて外に出てみると、暴走でもしたのか、荒れ狂う馬車が一台遠ざかって行くところだった。


 通りを行き交う人々からはどよめきが起こり、非難の言葉を口にしている。


 イーリカはさっとあたりを見回す。幸いにも、石畳に倒れているけが人などは見当たらなかった。


 ほっと胸を撫で下ろしたとき、ひとりの老紳士が道の端で頭を押さえているのが視界に入った。


 イーリカは急いで駆け寄る。


「大丈夫ですか⁉︎」


 白髪混じりの髪をした老紳士は声をかけてきた見知らぬ少女に気づくと、顔を上げるなり痛みを隠すように朗らかに微笑んだ。


「ええ、大丈夫ですよ。ちょっと馬車が蹴り上げた小石が運悪く当たってしまったようで、ほんのかすり傷ですからご心配なく」


 そう言って、足元に落ちている帽子を拾い上げる。


 老紳士は簡素だがよく手入れが行き届いたジャケットを身に纏っていることから、ある程度の身分を感じさせた。


 しかし額から出ている血を目にしたイーリカは、スカートの隠しからさっとハンカチを取り出し、ためらうことなくすぐに老紳士の額に押し当てる。


「いけない、汚れてしまいますよ」

 慌てるように老紳士はイーリカの手をのけようとする。


「いいえ、洗えば済むことですから」

 イーリカはよりハンカチを押す手に力を込めてから、通りの向こうを指差す。

「よろしければ少し休んでいかれませんか? わたしの店がすぐそこなんです。血が止まるまでは安静にしたほうがいいです」 


 老紳士は少し思案する様子を見せたものの、頷いてくれた。


「そうですね。では、少しお邪魔してもよろしいですか」

「ええ、もちろんです」


 そうしてイーリカは老紳士の体を少し支えながら、自分の店へと案内した。




 店に入ると老紳士にはすぐさま椅子に座ってもらい、イーリカは店の奥にある台所から水を張った手桶と数枚の手拭きを持ってくる。


 棚の小分けされた引き出しのひとつを開け、中から目当ての薬草を取り出し、適量を手でもみほぐす。


「少し失礼します」


 そう断りを入れてから老紳士の額に触れる。

 濡れた手拭きで血を拭き取ってから、傷口を確かめる。出血のわりに傷は浅そうで、これならば血が止まればすぐに治るだろうと思えた。


「そんなに深い傷ではなさそうです。しばらくこちらで押さえておいてください」


 そう言って薬草をもみほぐしたものを塗布した手拭きを老紳士の額に当て、彼自身の手でに押さえてもらう。


 老紳士は不思議そうに、額に目を向ける。


「この塗られているものは、何ですか?」


「あ、変なものではないので安心してください。『マグワート』という止血作用がある薬草です」

 イーリカは慌てて説明する。

「でも念のため、あとでお医者さまに診てもらってください」


 老紳士は優しげに微笑み、胸に手を当てる。

「ご親切にどうも、お嬢さん」

「いいえ、大けがでなくてよかったです」

 イーリカも笑みを返す。


 老紳士はイーリカの肩越しに、珍しげに店内を見回ると尋ねる。

「こちらは紅茶屋ですか?」


「そのようなものですが……、薬草茶店(クロイターティー)です。薬草茶を専門に取り扱っているんです」

 イーリカは、なるべく当たり障りのないように答える。


「薬草茶ですか、なるほど」老紳士は頷く。「それではこの薬草も元はお茶用で?」


「ええ、普段は茶葉にしているので、こういった肌に直接触れるような使い方はあまりしないのですが……」


「そうですか」


 老紳士は頷きながら、なおも珍しげに棚のあちこちを眺めている。


(薬草茶と聞いても、この人はいやな顔をしないのね)


 イーリカは好感を抱く。だから、ふと言葉が口をついた。


「……よろしければ、何かお作りいたしましょうか?」


 老紳士は、興味を示したように眉を少し上げる。


「ええ、ぜひ、お願いできますか」


「もちろんです。では、このマグワートを配合したお茶をご用意します。あと、額のけがにも効くように、鎮静効果があるものを配合させていただきますね」


 そう言ってイーリカは急ぎカウンターの中に入ると、準備を始める。



 マグワートをさっと水にさらしてから、すり鉢ですりおろす。

 そこに鎮静効果があり、柑橘系のさわやかな味わいも加えられる『レモゼ』を加え、茶葉にして漉す。ほどよく色が出たら、カップに注ぎ入れる。


「どうぞ」


 近くのテーブルを老紳士のそばに寄せ、その上にカップを置いた。


 老紳士は品のある手つきでカップを手に取ると、香りを嗅ぐしぐさを見せる。

 そのあとでひと口、口に含み、味わいを楽しむかのようにゆっくりと飲む。


 イーリカはその様子を緊張した面持ちで見つめる。

 初めての人に飲んでもらうときはその人の口に合うか、いつもどきどきする。


「……これは、おいしいですね」


 老紳士はふうと息を吐いてから顔を上げると、目尻のしわを深めて微笑んだ。


 イーリカはほっと胸を撫で下ろしながら口元をゆるめる。


「ありがとうございます」


 ほどなく老紳士は薬草茶を飲み干すと、空のカップをテーブルに戻したが、何やら考え込むしぐさを見せていた。


 イーリカは不安を感じ、その横顔を覗き込む。


(後味に何か問題でもあったのかしら……?)


 しばらくして、顔を上げた老紳士は神妙な顔つきでイーリカを見つめた。言葉を探すような間があったあとで、


「……眠りを促すような薬草茶はありますか?」


 思わぬ申し出にイーリカは驚く。

「ええ、あります」

 そう言って頷くが、すぐに心配さをにじませて訊ねる。

「……あの、眠れないのですか?」


「ああ、いえ、私ではなく……。私の主人に、と思いまして……。お医者さまに処方していただいたお薬を色々試してはいるのですが、体に負担がかかるものを除き、どれも効果がなくて困っているのです」


「まあ、それは心配ですね」


 イーリカは心の底から気遣う気持ちを込めて言った。

 不眠に悩む人は一定数いる。深刻な人だとだんだん衰弱してしまうこともあるため、軽視できないのだ。


「ええ、顔色も優れず、大変心配しているのです」

 よほど深刻なのか、老紳士は顔を曇らせる。


 その様子を見て、気づけばイーリカは自ら申し出ていた。


「よろしければ、不眠に効く薬草茶をご用意いたしましょうか?」

「ええ、ぜひ。お願いできますか」


 老紳士はぱっと顔を上げ、喜色をあらわにする。



 その後、イーリカは詳しい症状を知るため、いくつか老紳士に質問した。

 訊いた範囲でも、老紳士の主人の症状はかなり重たいものだった。


 症状は数年前からで、ここ数ヶ月は悪くなるばかり、まともに安眠できていないという。

 本人は隠しているようだが、毎晩悪夢にうなされ、目が覚めているらしい。そのため、体に負担がかかるのであまり常用はできないが、ひどいときには重度の眠り薬を使って強制的に睡眠をとらせているそうだ。


 カウンターの中で、イーリカは曲げた指先を唇に当てて考え込む。

 しばらくしてひとり頷くと、薬草をしまっている引き出しを次々に開け、目当てのものを取り出し始める。


 まずは精神の疲労や安定を促す効果があるもの、次に緊張をほぐす効果があるもの、さらに心痛や心労を和らげる効果があるもの、それらをすり鉢に入れて軽くすりおろす。


 ふと手を止めてしばし迷ったあと、店の奥に引っ込むと、普段の調合では使わない薬草の液体が入った黒い小瓶を手にして戻ってくる。


(少しだけなら、眠りの助けになるはず……)


 ひと匙垂らして、さっと混ぜる。


「どうか、この方に安らかな眠りを……」


 気休めでしかないが、イーリカは顔も名前も知らない老紳士の主人を思い、小さくつぶやく。


 でき上がった茶葉を紫色の缶に詰めた。



「ふた匙すくって、通常の紅茶と同じように蒸らしてから淹れてください。お休み前に飲んでいただけると、より効果も現れやすいはずです」


 飲む際の注意点を老紳士に説明し、紫色の缶を手渡す。


「感謝いたします」


 老紳士は嬉しそうに胸に手を当て、礼を述べた。


「安らかな眠りにつけるよう、わたしも祈っています」

 

 少しでも役に立てたことがうれしい。


 店の扉を開けて見送りしようとしたところ、老紳士がふと足を止める。


「私はヘンリーと申します。失礼ですが、お名前をうかがっても?」


 イーリカは微笑んで答える。


「わたしはイーリカと言います。イーリカ・アシュです」

「イーリカさん、今日は大変お世話になりました。心からお礼を申し上げます」

 

 老紳士のヘンリーは頷き、もう一度礼を述べると店をあとにした。


 その背中を見送ったあと、イーリカは店内に戻ろうとして、ふと後ろを振り返る。


 凪いだ湖面にかすかな波紋が広がるような不思議な感覚がした。


 しかしそれはすぐに掻き消える。イーリカはわずかに首を傾げるだけで、すぐに店の中へと戻っていった。



連載開始したばかりですが、読んでくださりありがとうございます!

引き続き楽しんでいただけるようがんばりますので、長編ですが、よろしくお願いいたします(*ˊᵕˋ*)

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