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黒い森の悪しき魔女は三度恋をする  作者: 猫葉みよう@『婚約破棄された腹いせに〜』電子書籍配信中
第六章

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29_不穏な影(1)(ノア視点)

 コンコンと扉を叩けば、中から静かに開かれる。


 ノアは促されるまま、進み入る。

 扉に手をかけ、脇に控えているのは、先に部屋に入っていた執事のヘンリーだった。

 ノアが入室すると、ゆっくりと扉が閉められる。 


 ここは広大な敷地を有するタウフェンベルク伯爵家当主の執務室。

 大きくとられた窓からは、心地よい日差しが降り注いでいる。


 その日差しを背にしながら、十分な広さのある執務机に向かっているのは、ノの父でもあり、タウフェンベルク伯爵家当主、その人だった。


「ああ、来たか。少し待ってくれ。この書類に目を通してしまいたい」

 そう言って伯爵はちらりと息子のノアに視線を送ると、再び手元の書類に目を落とす。


 ノアとは異なる、夏の日差しを思わせる明るい色味の金髪は後ろになでつけられ、机に向かうさまは当主としての貫禄を備えていた。


 しばらくして書類を読み終えると、手早くサインをし、封に入れて封蝋で閉じる。そのあとで、

「ヘンリー、これを明日一番、評議会に届けてくれ」

 とヘンリーに手渡す。


 受け取ったヘンリーは、再び下がり、壁際で待機する。


 伯爵はノアに向き直ると言った。


「待たせたな、楽にしてくれ」


 しかし、執務机の前で後ろ手に腕を組んで立っているノアは、とくに姿勢を変えることなく、次の言葉を待つ。


 息子の態度に伯爵はふっと口元をゆるめたものの、すぐさま厳しい顔つきになる。


「さっそくだが、状況はどうだ?」


 ノアが執務室に呼ばれたのは、水面下で進めているある事柄についての進捗状況を話し合うためだった。


 ノアは表情を険しくする。


「調べれば調べるほど、事態は思った以上に悪いようです」

「……そうか。私の落ち度だな」


 伯爵が顔を歪めて唸る。


 ノアは自身のアイスブルーの瞳を、当主であり父でもある伯爵にじっと向ける。

 そうだ、と非難することも、仕方ない、と慰めることもできない。

 それは同じく、このタウフェンベルクを預かる者である自分にも言えるからだ。



 タウフェンベルク伯爵家に仕える、ひとりの騎士から相談があったのは四か月ほど前のこと。


 騎士の婚約者である娘が、ある日突然消えたということだった。

 若い娘が消えることは世間的に残念ながらないわけではなかった。生活苦による身売り、駆け落ちなどが理由のため、娘が行方不明になったとしても口を閉ざす家族は多い。

 

 婚約者である騎士は自身が婚約した娘の家族に事実を訊きに行ったが、他の男と駆け落ちしたと言うばかりで取り合おうともしない。


 しかし将来を誓ったはずの娘が他の男と駆け落ちなどするわけがない、何かの事件に巻き込まれたのだと思った騎士は直属の隊長に相談する。


 最初は他の男に取られたことを受け入れられないだけだと本気にしなかった隊長だったが、街や村で聞き込みをしたところ、同様の事柄があちこちで起こっていることがわかった。


 ひとまず上の耳に入れたほうがいいだろうということで、まずノアのところに話が上がってきたのだった。



 ノアは、当主である伯爵へ伝え、了解を得た上で、ヘンリーとともに本格的に調査に乗り出した。


 調べを進めてみると、行方不明になった娘の家族は遠くに嫁に行った、駆け落ちしたなど、その後の娘の行方がたどれない理由ばかりを口にし、それ以外は怯えたように一切話そうとせず不審な点が多かった。なかには、幼い頃に姉が行方不明になったことを記憶していた老婆もおり、そうなるとかなり昔から起こっていることになる。


 しかし当時は近所で多少噂になっても、人々の記憶からすぐに消え去るほどの出来事だった。そのことが事態が明るみになるのを遅らせる結果になってしまった。


 そして調べてみてわかったことは、ここ十年に至っては明らかに行方不明の娘の数は増えていたのだ。


 そのうえここタウフェンベルクだけでなく、隣領のヴィルリートでも同様の事件が起こっていることがわかった。


 しかしヴィルリート伯爵家が治める領地内でのこと、こちらが不用意に口を出せるわけもなく、ひとまず水面下で情報を集めてみると、当のヴィルリート伯爵家は行方不明の事実を長年にわたり黙認していたとわかったのが約二か月前のことだった。



「それで、あちらの様子は?」


 伯爵が表情に鋭さを再び宿して尋ねる。


「前よりは警戒心が薄れているようです」


 淡々と答えたノアに対して、伯爵はニヤリと口の端を上げ、ククッと噛み殺して笑う。


「それは何より。あちらは本気で娘を嫁に出したいらしい」 


 娘とはほかでもない、ヴィルリート伯爵家の息女、ベルーナ・ヴィルリートのことだ。


 ヴィルリート伯爵家にも、周囲にも不審を抱かせず、頻繁に接触するには両家の縁談をにおわせるのが一番手っ取り早かった。


 その案を出されたとき、ノアはあからさまに否定の意を顔に出したが、伯爵に黙殺された。


 外交以外での私的な行き来を増やし、伯爵はいつもは連れていない息子のノアを同伴させるようになった。あとは向こうが勝手に勘違いしてくれればいい。

 案の定、ヴィルリート伯爵家は食いついてきた。

 同じ伯爵家でも、王国建国から連綿と続くタウフェンベルク家と歴史の浅いヴィルリート家では、家名の重みが違う。


 それにヴィルリート家の娘ベルーナが元々ノアに好意を寄せていたのも大きかっただろう。


 こちらから何も言わずとも相手は積極的に娘の話題を口にし、ノアがいれば必ず娘をそばに呼び寄せ、交流をもたせようとし始めた。


 そのかいあってというべきか、接触回数が増え、ヴィルリートの動向がよくつかめるようになったことで、行方不明の娘たちの事実を黙認しているとわかったのだ。


 ノアは苦虫を噛み潰したように、嫌悪をにじませる。


「先日もいきなり来られて、迷惑以外の何者でもありませんでした」


 そこへヘンリーが割って入る。


「旦那さま、恐れながら、ご令嬢は許しもなく『ノアさま』と軽々しくお呼びになっておられました。ノアさまがたしなめても聞く耳をもたずで……」


「そうか、大層気に入られたものだな」


 伯爵がからかうように片眉を上げて言う。


 ノアは眉間のしわをますます深くする。

 まさか本当になし崩しに嫁いで来させるつもりではないだろうなと、疑心暗鬼になる。


 息子の考えを読んだ伯爵は、肩を軽くすくめる。


「そもそも私たちの身分では、婚姻に際して王家の許可がいる。領民が行方不明になっている事実を黙認し、万が一加担でもしていようなら、相応の処分は免れない」


 それはヴィルリート伯爵家が没落か、または一家取り潰し、いずれにしても明るい未来が待っていないことを示唆している。そんな家と我がタウフェンベルク家が縁付くことを王家が認めることはないと告げていた。


 伯爵は椅子から立ち上がり、背後のガラス窓の向こうに目をやる。整えられた庭園と噴水が見えるはずだが、伯爵の視線はそのはるか先に向けられているようだった。


(ちまた)では、娘たちの行方不明は、魔女の仕業だという噂があるらしいな」


 その背中に目を向けながら、ノアは自分の意見を述べる。


「──何者かが故意に流した噂でしょう」


 と同時にノアは、あの日イーリカに自身の誘拐事件を打ち明けたとき、同じ言葉を口にしそうになったことを思い出す。


『……今でこそ、悪しき魔女なんて言われているけど、昔は善き魔女、善き隣人と慕われていたと、多くの文献には書かれていた。だから僕は魔女の本当の姿は違うのかもしれないって、昔考えたことがある。結局そのときはそれ以上わからなかったけど、でも──』


(──噂は故意に流された可能性があるかもしれない)


 ついでノアのまぶたの裏には、イーリカの顔が浮かび上がる。

 黒水晶(スモーキークォーツ)のような灰褐色の瞳と焦げ茶色のダークブロンドの髪をもつ愛らしい少女。


 ノアは軽く頭を振り、目の前の問題に意識を戻す。


(──やはりあらゆる状況からしても、何者かが故意に流した噂であるとしか考えられない)


 ノアの言葉を受けた伯爵がガラス窓から視線を外し、振り返る。その目がすっとすがめられる。


「……よりもよって魔女を隠れみのにするなど、ヴィルリート家だけの仕業とは思えんな。その何者かが背後にいるとみていいだろう」


「ええ、たとえば──」

「──教会か」


 表情を引き締めたノアが口にする前に、同じ考えに至っていた伯爵がつぶやく。

 ノアは小さく頷き、同意を示す。


 タウフェンベルクの北西部に接しているのが、国教のヴェロルト正教会が管轄する独立自治区であるヴェロルト区だ。

 国の祭事を執り行う際には、国王自らヴェロルト区にあるヴェロルト大聖堂へ出向く慣例があるほど、歴史的にも教会と王家のつながりは深く、国教ヴェロルト教はこの国に深く根ざしている。


 もし教会が万が一かかわっているとするならば、前代未聞の出来事になる。公にでもなれば混乱は避けられず、国内のあちこちで暴動が起こるだろう。


 そもそもヴェロルト教の聖地があるヴェロルト区は、過去幾多の戦果に巻き込まれてきた悲惨な歴史がある。それゆえに、その地域は特別に神に仕える立場の者が管轄する独立自治区として定められ、たとえ王家といえど簡単には介入できないようになっている。とくにヴェロルト大聖堂は教会の総本山で、信仰者にとっては聖地とも言える場所だった。


「やっかいだな」


 伯爵が重苦しそうに心の底から吐き出す。

 真剣な表情でノアは頷く。


 事は慎重を要する。しかし領内で行方不明者が増える現実を前に、一刻の猶予もなかった。


 伯爵は腕を組み、指先でトントンと忙しなく叩く。


「もし本当に教会がかかわっているとすれば、七年前にお前が誘拐された事件と何かつながりがあるのかもしれんな……」


 突然の言葉にノアは、まさか、という思いで伯爵に目を向ける。


 ──七年前、ノアは誘拐されたことがあった。


 しかしそのときの記憶はすっぽり抜け落ちており、彼自身は何も覚えていない。医者が言うには、心に強い衝撃を受けたせいだろうということだった。


「あくまで可能性の話だ。今考えてみれば、お前が誘拐された前後で教会が怪しい動きを見せていたのも事実だ」


 思案するそぶりを見せる伯爵にノアは尋ねる。


「……それは、死体で見つかった司祭のことですか?」



第六章に入りました。ここから色々と事件が動き出していきます……!


話が続いている次話の30話は、夜くらいに投稿できればと思います!

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