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黒い森の悪しき魔女は三度恋をする  作者: 猫葉みよう@『婚約破棄された腹いせに〜』電子書籍配信中
第五章

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22_裏切り(1)(ノア視点)

 背後から追いかけてくる複数の足音に怯えながら、少年は必死で走っていた。

 吐く息は白く、頬に触れる空気は刺すように冷たい。


 なぜ、なぜ──。


 その言葉ばかりがずっと頭の中を駆け巡る。けれどその答えはいまだに出てこない。

 いや、違う。本当はわかっているはずだった。でもそれを認めたくないのだ。


 縛られていたせいで全身がズキズキと痛む。でも足を止めてしまえば、すぐに捕まってしまうだろう。


 どこでもいい、とにかく逃げなければ──。


 真っ暗闇の森の中を、頭上からわずかに注ぐ月明かりだけを頼りに、ただひたすら突き進む。


 ──そのとき、少年の足が地面を這う木の根に引っかかった。


 小さな体は、軽々と宙に投げ出される。

 少年の月光のように淡い金色の髪が闇夜に揺れる。


 そのまま落下した先の斜面を滑り落ちながら、少年は、なぜ──、と声にならない声でつぶやき、死を覚悟した。





  * * *





 その日、少年と兄は、家の者には内緒でふたりだけで街へ出かけていた。


 少年がずっと探していた『ウェルキウスの比喩的解釈』の初版本が手に入ったと、領内随一でもある行きつけの街の本屋から連絡があったのだ。


 それはトルーア哲学にかんする最高傑作で、初版はルメルア語で書かれた希少本だった。数年前に、男性家庭教師(チューター)からその本の存在を聞いて以来、少年がずっと探し求めていたものだ。


 本来ならば母親と出かけられる日を待たなければならなかったが、それを聞いた彼の兄が、いつもの穏やかな笑みを見せながらも茶目っ気を覗かせて、一緒にこっそり出かけようと言ってくれたのだった。


 御者に馬車を出してもらうと家の者に知られてしまうため、少年と兄はなるべく質素な服に着替え、裏口から屋敷を抜け出した。


 慣れた様子で堂々と前を歩く兄を不思議に思い、少年が尋ねると、兄は時折こうして街に出かけているのだと言う。聡明なだけでなく、大胆さも持ち合わせている兄の行動力に、幼い少年は驚きながらもますます尊敬の念を抱いた。


(三歳しか違わないのに兄上はすごいな。数年経てば、僕も兄上のようになれるだろうか)


 期待を膨らませながら、少年は将来由緒ある家を背負って立つ兄の支えになれるよう、より一層勉学に励もうと心に誓う。


 いつもは四輪箱馬車(キャリッジ)に乗って出かける街も、歩いているとまた違った景色になり、少年は寒さも忘れてもの珍しさにあたりをキョロキョロと見回す。


 兄はそんな幼い弟の様子を微笑ましく眺めながら、その手を引いてやるのだった。



 しばらくして無事本屋にたどり着くと、少年は目的の本を手に入れることができた。ぎゅっと大事そうに本を抱え、帰ったらさっそく読もうと胸を躍らせる。


「兄上、早く帰りましょう!」

 少年は待ちきれない様子で、入り口付近の本を眺めていた兄を急かした。


「しょうがないやつだな」

 兄は呆れ気味にそう言ったが、少年の肩に置いた手は優しかった。


 本屋からの帰り道、少年と兄は気づけば怪しげな男たちに囲まれていた。


 背中にナイフを突きつけられ、有無を言わさず、ひと気のないほうへと連れていかれる。


 男たちの口ぶりからして、少年と兄がどこの誰だかわかった上での犯行のようだった。


 ちらりと見上げた兄の顔は、今まで見たことがないくらい蒼白で、手が小刻みに震えていた。


 少年もとても恐ろしかったが、兄の姿を見て、いつもは冷静な兄でさえも恐ろしい状況なのだと悟った。


(僕まで怯えてしまってはだめだ、足手まといになる)


 そう心の中で言い聞かせ、唇を噛み締めて涙ぐみそうになるのを堪えた。


 男たちは少年と兄をナイフで脅しながら歩かせ、ついには路地裏を通り抜けた先にある開けた場所まで連れてくる。


 そこには二頭の馬をつないだ大型四輪幌馬車(キャラバン)があった。そのそばの地面には、ふたが開かれた状態の空っぽの大きな木箱がふたつ。

 それを目にした瞬間、木箱に自分たちを押し込み、馬車でどこかに運ぶつもりだと、少年は気づく。


 男たちは、少年と兄にナイフを突きつける男ふたりを残し、それ以外の者は馬車に近づいて縄を取り出し、準備をしはじめた。


(どうしたら……)


 少年は辺りを見渡す。


(このまま手足を縛られてどこかに攫われてしまえば、もう逃げる機会はないかもしれない)


 ぐっと唇を噛み締める。


 ちらりと兄に目を向ける。と、兄も少年を見ていた。

 ふたりの視線が合う。

 しかし少年の瞳に映る兄の姿は、変わり果てていた。


(兄上……)


 聡明で穏やかな表情はどこにもない。極限にまで達した恐怖で、目は血走り、顔は蒼白を通り越して死人のようになっている。


 そのとき、兄の唇がかすかに動き、何かをつぶやいたように見えた。


 その瞬間──。


 兄は必死の形相で、背後でナイフを突きつけている男に体当たりし、男が倒れた隙をついてひとり駆け出していた。


「──おいっ! 待て!」

「──逃げたぞ! 追え!」


 男たちが口々に叫び、数人がバタバタと足音を響かせて兄のあとを追いかける。


 少年はなにが起きたのかわからなかった。兄が先ほどつぶやいた言葉が頭の中を駆け巡る。


 ──すまない。


 兄の唇は、そうつぶやいたように見えた。

 呆然と立ち尽くす少年の中で、何かがじわりとじわりと込み上げてきそうだった。


「クソッ!」

 ひとりの男が舌打ちしながら、馬車から飛び降り、ズカズカと大股で少年のもとに近づいてくる。


 布で頭を覆っているが、わずかに覗く髪の毛は、この国ではめずらしい黒色だった。

 それに目をとられていると、男の影で視界が覆われた次の瞬間少年はぐいっと胸ぐらをつかまれ、地面に叩きつけられていた。


「おい! 早く縛れ! こいつにも逃げ出されたら計画が台無しだ!」


 少年はたちまち男たちに囲まれ、後ろ手に腕を縛り上げられる。


 黒髪の男は少年の胸ぐらをつかみ、下卑た笑みを浮かべながら言った。

「かわいそうに、兄貴に見捨てられちまったなあ」


 少年は目を見開く。信じられない現実を突きつけられ、胸をえぐられるような喪失感が彼を襲う。


「悪いがしばらく寝ててくれよ、哀れな坊っちゃん」


 そう言って黒髪の男は、背後から馬乗りになり、少年のあごをぐっと持ち上げた。


 少年の口を大きく開かせ、口内へ何かを突っ込む。


 一瞬見えたそれは、何かの葉のようだった。そのうえ、焦げているのかと思えるほどに真っ黒だった。

 不快感と異物感に吐き出したい衝動に駆られるが、男が薄汚れた布きれを口に押し当てているので、どうにもならない。


 そのまま少年は、その得体の知れないものを飲み込んでしまう。

 すると次第にゆらゆらと視界が不確かになる。


 薄れゆく意識の中で思い起こされるのは、先ほど目にした兄の顔と言葉だけだった──。





  * * *





 そうして次に少年が目覚めたときには、薄暗い洞窟の中だった。

 ゴツゴツとした岩肌の感触、手足は凍えるように寒い。


 明かりが漏れてくる向こう側、通路を挟んだ先の空洞のひとつに男たちがいるようだった。そして少年がいる空洞と通路を塞ぐように、男たちの仲間だろう、小柄な男が彼を見張っている。


 漏れてくるかすかな明かりを頼りに辺りをひっそりと見回せば、自然にできた空洞ではなく、壁面には人の手で削られたような跡があった。実際目にするのは初めてだが、鉱山を採掘する際にできた坑道か何かに思えた。しかしすでに廃れて久しいようだった。


 もしここが閉山された鉱山の採掘場跡ならば、今は人の出入りはほぼないという少年にとっては絶望的な状況だった。

 少年の腕は縄に縛られ、彼が入れられていたであろう重たい木箱らしきものにつながれていた。


 つかまってからこうして意識がはっきりするまで、途中でぼんやりとだが目が覚めた瞬間もあった気がするが、また得体のしれない何かを飲み込まされ、再び意識が遠のいたことは覚えている。


(二度も意識を失っていたとすると、かなりの距離を移動させられたのかもしれない。それに──)


 もし鉱山跡地であるなら、少年には思い当たる場所があった。

 頭の中で地図を広げる。


(鉱山があるのは、タウフェンベルクの北部だけだ)


 しかしそうなると、攫われた首都レッセンからかなり遠くに来てしまったことになる。

 状況がますます悪くなっていることに、少年はぶるりと身を震わせた。


 明かりがするほうからは、黒髪の男とそのほかの男たちの声がする。

 なにかを話し合っているようだが、内容まではわからなかった。それでもところどころに「裏切り者」「教会」「魔女」という単語だけは聞き取れた。


(いったい僕を攫って、何を企んでいるんだろう……)


 少年はズキズキと痛む頭で必死に考える。それがわかれば自分の身の安全と引き換えに、交渉の余地はあるかもしれないと思えたからだ。


(きっといま頃、父上と母上が僕のことを探してくれているはずだ。兄上だって……。そうだ、もしかしたらあとで僕を救うために、仕方なくあの場をあとにしたのかもしれない。その可能性だってあるはずだ。ふたりともつかまってしまえば助けも呼べず、どうにもならないじゃないか)


 しかし、その少年のかすかな希望は打ち砕かれる。


 洞窟の中では正確な時間の経過はわからなかったが、三度目が覚めても誰も助けに来てくれる気配がなかったのだ。


 そして黒髪の男やその仲間たちがだんだんと苛立ちをあらわにし始めたことで、少年はより絶望へと追いやられる。


 男たちは持ち込んだワインを連日あおり、わめき散らす。その姿は彼らの言う『計画』がうまく進んでいないことをうかがわせた。

 男たちが少年を生かしているのは『計画』に必要だからで、もしその必要がなくなってしまったら殺されるかもしれないのだ。


(……怖い。どうしようもなく怖い)


 現実味を帯びる死の恐怖に、少年はうずくまった。じわりと涙があふれそうになる。それを必死に堪えた。



次話の23話は、夜くらいに投稿できればと思います!


第五章に移りました。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます……!!


いま折り返し地点くらいで、ここからいろいろ展開あるので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします!

毎日投稿で今月6月中には完結予定です。楽しんでいただけるとうれしいです(*ˊᵕˋ*)

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