17_牽制と恋心、そして失恋
その日、アシュ薬草茶店を訪れた人物を見て、イーリカは思わず見惚れてしまった。
それほどまでにきれいな令嬢だった。
シミひとつない真っ白な肌に、ハチミツを連想させる金の髪はわずかに波打ち、長いまつ毛に縁取られた大きな瞳はサファイアのような碧眼。ぷっくりとした唇は紅く色づき、可憐さの中にも女性としての魅力も十分すぎるほど備わっていた。
身につけるドレスや宝飾品は一目で最高級品だとわかる。そしてそれらにふさわしい品のある立ち振る舞いは、優美そのもの。明らかに高い身分のお方だった。
はっと意識を戻したイーリカは、急いでカウンターの中から出て迎える。
令嬢はお付きの侍女を連れて、店内へ足を踏み入れる。
ぐるりと見回したあとで、かすかに眉根を寄せたように見えたが、イーリカはあえて気づかないふりをした。
誰かから薬草茶の話を聞いて興味本位で来てみたはいいが、古くてこじんまりとした店内におおかた嫌悪を抱いたというところだろうと思えた。
先ほどまではその外見の美しさに見惚れてしまうほどだったのに、気持ちがすっと冷める。
しかし本当に入り用なものがあるかもしれないと思い、
「いらっしゃいませ。ご用をおうかがいいたします」
そう言って、イーリカは丁寧に頭を下げた。
令嬢はイーリカを頭の先からつま先まで不躾にじろじろと見たあと、ふっと口元にあざけりの色を浮かべる。
「お茶を」
そう優雅に言い放った。
イーリカは一瞬眉をひそめそうになるも表には出さず、すぐに営業用の笑みを浮かべる。
「どのようなお茶をお求めですか? 体をあたためるお茶、貧血に効くお茶、あとは女性の月もののときに効くお茶もありますが……」
女性に求められることの多い薬草茶を順番に告げる。
「つ、月も──ですって⁉︎」
令嬢は悲鳴をあげるように甲高い声を上げたあと、足元をふらつかせる。
「お嬢様!」
お付きの侍女がすかさず令嬢の細い腰を支え、キッとイーリカをにらみつけ、声を荒げる。
「そのようなはしたないことを、お嬢様にお訊きにならないでください!」
イーリカは心の中で盛大なため息を漏らす。
(やっかいそうなお客さまね……)
しかしわざわざ来店くださったお客さまに変わりはない。
イーリカはことさら丁寧に頭を下げ、尋ね直す。
「大変失礼いたしました。ではどのような効能があるものをお求めでしょうか」
令嬢は侍女の手を退け背筋を伸ばすと、正面から冷ややかにイーリカを見据えた。
「わたくし、ベルーナ・ヴィルリートと申しますの」
イーリカは首を傾げた。
高貴な身分、さらに明らかにこちらを見下しているように見えるのに、彼女がなぜ自分のような者に対して名乗るのかがわからなかった。
それでもひとまず、イーリカも失礼のないよう名乗る。
「店主のイーリカ・アシュと申します」
そこでふと、『ヴィルリート』という名に思い当たることがあった。
「もしかして……、お隣のヴィルリート伯爵家のご令嬢でいらっしゃいますか」
『ヴィルリート』は、ここ『タウフェンベルク』の東部に隣接している地域で、ヴィルリート伯爵家が治めている領地だ。ふたつの領地は隣接しているだけあって、人や物などの交流も盛んだった。
(でも、なぜそんな方が……?)
イーリカは混乱しながらも、ますます失礼があってはいけないと肝を冷やす。
令嬢ベルーナは、あら、とイーリカのへりくだった態度にまんざらでもない表情を浮かべ、目を細めて微笑む。
「ええ、その通り、ご存じのようでうれしいわ。やっぱりお茶は結構よ。ノアさまがよく顔を出されるお店があると聞いて、ちょっと見に来ただけだから」
その言葉にイーリカは、ひゅっと息を呑む。
(ノアさま──)
その一言はベルーナがノアと親しい間柄であるとはっきりと告げている。そのうえ、ここに通うことを話すほどに。
ベルーナは明らかに嫌悪をにじませながら、再び店内を見回し、いかにも嘆かわしいというふうに首を振る。
「それにしても、こんな古くて小さな店を懇意にされなくてもよさそうですのに。薬草茶なら、必要とあらば、うちの領地にあるヴェロルト正教会の薬草園でも手に入りますわ」
繊細な指先を頬に当て、その覚めるようなサファイアの瞳をイーリカに向けて可憐に微笑むと、はっきりと告げた。
「わたくし、ノアさまの婚約者ですの。近々、婚約発表も行われる予定よ」
イーリカの表情は凍りつく。しかしすぐに視線をそらし、何とか冷静さを保つ。
「そうですか、ノアさまの……」
「ノアさま? あなたのような者が、どうしてその愛称を口にするのかしら? ノールドアルトさま、とお呼びすべきでしょう」
イーリカの言葉にベルーナは気分を害したように顔を歪め、ぴしゃりと言い放つ。
「──失礼いたしました」
イーリカはすぐさま視線を下げる。
見知らぬ女が自分の婚約者のことを親しげに呼ぶなど誰であっても不快に思う行為だ。それもたかが平民の娘でしかないなら、なおさらだ。
ベルーナは、ふん! と鼻を鳴らす。すると、一呼吸置いてから何かを思いついたように、
「そうね、あなたはご存知ないかもしれないけれど、ノアさまは幼い頃、誘拐事件に巻き込まれたことがあるのよ」
唐突の告白に、イーリカははっと息を呑み、顔を上げてベルーナを見返す。
そのあまりに驚いたイーリカの表情を見るやいなや、ベルーナは勝利宣言する女神のように優雅に微笑む。
「わたくしとノアさまは、そういうお話も共有している間柄ということよ」
彼女はイーリカを再びじろじろと眺め、あざけりの笑みを浮かべる。
「こんなお店をしていらっしゃるなんて、まるで魔女のようね。悪しきものを扱っていなければいいけれど」
くるりと華麗にスカートをひるがえすと、「では、ごきげんよう」と言って店から出ていく。
ベルーナの侍女はイーリカに鋭い視線を送りつけたあとで、主人を追いかけていった。
イーリカが呆然と立ちつくしていると、
「あー、やだ、やだ!」
「ほっんと嫌味ったらしい女ね!」
一部始終を目撃していたらしいライトとラブラが店の奥から姿を現す。
「……大丈夫?」
ラブラがそっとイーリカの靴のつま先に前足をのせ、気遣うように見上げるが、その声は彼女の耳には届かない。
イーリカは無意識に止めていた呼吸を取り戻すように、深く息を吸って吐き出した。
(──婚約者)
心臓がうるさいくらいにドクドクと鳴っていた。
(そう、よね……、婚約者くらいいてもおかしくないわ……。どうして気づかなかったのかしら……)
イーリカはぎゅっと握り締めた拳を胸に当てる。
(バカね、わたし──)
『そういうお話も共有している間柄ということよ』
先ほどベルーナが発した言葉と微笑みがよみがえる。
(自分だけが特別だなんて、ひどい勘違い──)
イーリカの顔が苦しげに歪む。
(ノアさまには、もう店には来ないでほしいと告げたのはわたしなのに、それでも力になれるのは自分だけだなんて思ってたの……? 傲慢もいいところだわ。役立たずのわたしじゃなくて、彼のためにきちんと力になれる人は別にいたのに──)
イーリカの肩が小刻みに震える。
そして気づいてしまう。
(そうよ、友達なんかじゃなかった)
ぎゅっとまぶたを閉じる。
(あれは──)
──恋だ。
そのときになってはじめて、イーリカは、自分がノアへ抱いていた感情は、恋だったと気づく。
『まるで魔女のようね』
先ほどベルーナが吐いた言葉が頭に重く響く。
気づいた想いは、同時に失恋を意味していた──。
次話の18話は、夜投稿できたらと思います!






