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黒い森の悪しき魔女は三度恋をする  作者: 猫葉みよう@『婚約破棄された腹いせに〜』電子書籍配信中
第四章

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16_あいまいな友情(2)(ノア視点)

 さかのぼること数刻前。

 馬車に揺られていたノアは、いつになく緊張していた。


 イーリカに自分の幼い頃の誘拐事件のことを打ち明けてから、数日が経っていた。


 本当はもっと早く薬草茶店(クロイターティー)を訪れたかったのだが、なかなか気持ちの整理がつかなかった。それでも意を決して急ぎの執務を片づけ、ようやく時間がとれたのが夕方間際になってからだった。


(どういう顔をして、彼女に会えばいいのか──)


 打ち明けた過去よりもノアの頭を悩ませていたのは、自分がタウフェンベルク伯爵家の者だとイーリカに知られてしまったことだった。


(もし、彼女の態度が変わっていたら、いやだな──)


 ノアが一番怯えているのは、そのことだった。


(無理やりでも、砕けた口調で話してくれるようになったのに……)


 しかしこの土地を治める者の家名を知ったうえで気安く接してほしいなど、小さな薬草茶店を営む立場でしかないイーリカにとって、受け入れるのは難しいというのは容易に想像がついた。


 ノアの口端がふっと自嘲気味に歪む。


(そもそもこれ以上彼女との距離を縮めて、そのうえ何を望んでいる? 眠りに作用する薬草茶で助けてもらっているだけでも十分すぎるほどなのに……。僕がタウフェンベルク伯爵家の者である以上、彼女にしてみれば対等な関係など築けるはずもないのはわかりきっているじゃないか……)


 それに──、とノアは思う。


(兄上がいない今、伯爵家を継ぐのは僕しかいない……)


 そのことを誰よりも自覚しているからこそ、この先にあるのはより立場を分かつ道しかないと知っている。


 それなのに、数日前にバーンズ商会のあのハンスとかいう青年が『イーリカ』と親しげに呼んでいるのを聞いたとき、ノアは苛立ってしまった。そして衝動的にイーリカの名を呼んでいた。普段冷静さを崩さない彼には珍しいことだった。


 ノアは、馬車の中から通り過ぎる景色に目を向ける。

 そこには先祖が、祖父が、そして現伯爵家当主である父が代々守り抜いている領地がある。

 人々が安寧の中で営み、暮らし、子を育て、栄えてきた大事な領地だ。


(それを受け継ぐ兄上を失ったのは、まぎれもなく僕のせいだ──)


 ノアはぎゅっと両の手を握りしめる。


 ほどなくして、馬車がいつもの場所に停まる。


 薬草茶店がある区画からは、いくつかの通りを挟んだ別の区画だ。

 ここは宝石商や高級仕立て屋などが建ち並ぶ通りで、主人を待つ馬車が多く停車している。そのため馬車を待たせるには好都合だった。


 イーリカにはタウフェンベルクの名を打ち明けていなかったため、家紋の入っていない馬車を使うようにしていたが、それでもイーリカの小さな店に頻繁に馬車で乗りつける者がいれば、街の噂になるかもしれない。自分は気にもならないが、街の中で商売を営むイーリカにとって、どんな噂が影響するかわからない。それは避けたかった。


 外から馬車の扉を叩く音がする。ノアが返事をすると、すぐに扉が開かれる。


「では、ここでお待ちしております」

「ああ、すまない」


 一礼した御者に一言かけ、ノアは馬車を降りる。


(どういう顔をして会えば──)


 答えの出ない問いを再び繰り返し、重い足取りで歩き出した。



 そして訪れた薬草茶店。


「知らなかったとはいえ、無礼な態度をお許しください。当店を懇意にしていただき、とても感謝しております」


 イーリカに丁寧に膝を折りながら言われ、ノアは思わず理性を失った。


 つい先ほどまで、これ以上距離を縮めてどうするなどと考えていた気持ちは、すぐさまどこかへいっていた。

 

 そのうえ『ハンスから聞いた』という言葉にも、強い苛立ちを覚えた。


(あいつのことは『ハンス』と呼び捨てにしているくせに、僕のことは『ノア』と呼び捨てでは呼ばない──)


 そんな子どもじみた感情を抱く。

 悲しみと落胆、色んな感情がごった混ぜになり、それらを堪えるためノアは深く息を吐き出す。


 そして苦しまぎれに、ここに来るのはあくまで個人としてだと説明しても、イーリカの態度は変わらなかった。


「でもこちらにいらっしゃるのは……。どんなご迷惑がかかるかわかりませんから」


 彼女は言外にもう店には来るなとまで伝えてきたのだ。


 ノアはこれまでどおりにはいかないにしろ、どうすれば薬草茶店を訪れる許可をもらえるか、瞬時に頭を働かせた。


 そうして出した結論から、

「……僕たちは友達だ、違う?」

 と問いかけたのだ。


 本当なら店主と客の関係を伝えれば、イーリカは客であるノアの来店を拒否することはできない。それが一番有効な方法だ。でもそれを持ち出すと、もう対等な関係には戻れなくなってしまうのは明白だった。


 だからあえて、過去にイーリカ自身が口にした『友達』という言葉を使った。


 ただ実際のところ、友情なら本当に身分は関係ないのか、ノア自身の経験どころかそんな関係を目にしたことはなかったが、そこにはあえて触れなかった。


 目の前のイーリカが、戸惑いの色を浮かべているのは手にとるようにわかった。


「……友達にだって越えられない一線はあるわ」


 イーリカが苦しげに言う。


「いいや、ないよ。きみがないと思えば」


 ノアは反論して引き下がらなかった。


 やはりノアには、イーリカと距離を置くことなどできそうもない。できるならもっと近づきたいとすら思う。


 だから自分からイーリカとの間に線を引くことはない。それはつまり、イーリカから線を引かれない限り、線はない、そうノアは感じていた。


 しかしその一方で、なぜイーリカにだけこうも感情が揺さぶられるのか、ノアはまだわかっていなかった。



次話は、ある令嬢が登場し、イーリカの心が大きく揺さぶられます……!

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