15_あいまいな友情(1)
その日、薬草茶店のカウンターの中で、イーリカが無意識にため息を漏らしたとき。
「やあ、入っても?」
ふいに扉を開けて顔を覗かせたのはノアだった。
幼い頃の誘拐事件を打ち明けられ、彼がこのタウフェンベルクを治める伯爵家の嫡男だとハンスから聞かされた日から数日が経っていた。
もうすぐ閉店に差しかかろうという夕方時、そこに現れたノアの表情はいつもと変わらないように見える。
「ええ、どうぞ」
イーリカは一瞬目を伏せたがすぐに微笑み、カウンターの中から手のひらを見せて店内へと促す。
しかしノアはいつもの席には座らず、店の中をすたすたと進み、イーリカの正面で足を止めた。
片手をカウンターにのせ、イーリカを見つめる。
イーリカは作業を続けるふりをして、さりげなく目線を外す。
「……聞いた?」
ノアの尋ねる声がした。
一呼吸置いてから、視線をそらしたまま、イーリカは答える。
「……あなたの身分のことなら、ハンスから聞いたわ」
わずかの間が空いたのちノアは、そう、とただ一言つぶやき、
「……嘘をつかれたと、思ってる?」
とイーリカに問いかける。
「まさか」
イーリカは顔を上げ、驚きをあらわにする。そんなこと思ってもみなかった。
その言葉にノアは安堵するようにそっと息を吐き出す。
ややあって、彼はイーリカの瞳を静かに見つめた。
「僕は、ノールドアルト・タウフェンベルク。このタウフェンベルクを治める伯爵家の息子だ。ノアは愛称だよ。そう呼ぶ者は限られているけど……」
ノアの口からあらためて語られる事実に、イーリカは無意識にスカートを握り締める。
しかしすぐにすっと表情を消し、丁寧に膝を折って態度を改める。
「……知らなかったとはいえ、無礼な態度をお許しください。当店を懇意にしていただき、とても感謝しております」
ノアは眉間にしわを寄せ、何かをぐっと堪えるように息を吐き出し、ぼそりとつぶやく。
「そうなるから、知られたくなかったんだけどな……。あくまで僕は、悩みを抱えたひとりの人間としてここに来ている。家は関係ない。といっても、無視しろというには少しばかり主張が強くて難しい家かもしれないけど」
その口調は穏やかだったが、悲しんでいるようにも、わずかに苛立っているようにも見えた。
イーリカの返事を待たず、彼は続ける。
「できるなら、態度は変えないでほしい」
懇願するような眼差しに、イーリカは言葉に詰まる。しかしそれでもすぐに、首を横に振って言った。
「不眠の秘密はきちんと守ります。眠りに作用する薬草茶もお望みとあれば、もちろんご用意させていただきます。でもこちらにいらっしゃるのは……。どんなご迷惑がかかるかわかりませんから」
(悪しき魔女と言われる存在とのつながりはないほうがいい──。このタウフェンベルクを治める者ならば、とくに──)
イーリカは握り締めていたスカートから手を離すと、眠りに作用する薬草茶が入った薄紫色の缶をふたつ、カウンターの上にのせた。ひとつは数日前に渡せなかった分。もうひとつは、当分店に来なくてもいいよう多めに作った分だ。
ノアの眉がぴくりと動く。
そのあとしばらく経ってもノアが手を伸ばさないのを見てとると、イーリカはふたつの薄紫色の缶をすっと指先で押して彼のほうへ寄せる。
それを見てノアは深いため息を漏らした。
ためらうようにゆっくりと手を伸ばして缶を受け取り、その横に対価のコインを置いた。
(もうこれで会うことはないのね……)
自分で告げたくせに、イーリカの胸に迫ってきたのは大きな喪失感だった。
「イーリカ」
呼ばれた声にイーリカは肩を震わせる。
「……僕たちは友達だ、違う?」
思わぬ問いかけに、イーリカはノアの顔をはっと見上げる。
ノアはわずかに悲しみをにじませた微笑みを浮かべていた。
「『横を並んで歩くなんて友達みたいだ』と、きみが言ったんだ、違う?」
確かにあの日、アマンダのところに配達へ行く際にノアが送ってくれたとき、そんなことを自分は口にした気がする。
でも彼自身の口から聞かされると、ひどく傷ついている自分がいることに驚く。
ノアはわずかに首を傾けて、
「友情に身分は関係ない。きみ自身に迷惑がかかることなら、僕は最大限そうならないよう努力するけど、もし僕自身へ迷惑がかかることを心配してここに来るなと言うなら、それはやめてほしい」
イーリカは何と言えばいいのかわからなかった。
「……友達にだって越えられない一線はあるわ」
視線を下に下げ、なんとか言い訳を口にする。そもそも友達なんていたことがないくせに。
その一線は彼の身分のことを言っているのか、それとも自分自身が抱えている秘密のことを思ってだったのか、イーリカは自分でもわからなかった。
「いいや、ないよ。きみがないと思えば」
ノアは哲学的な言葉を口にする。そして続ける。
「僕はここに来て、きみが淹れてくれた薬草茶を飲むことで、とても穏やかな気持ちになれる。それになぜだかわからないけど、ここは懐かしくてとても落ち着く」
イーリカはぐっと唇を噛み締める。
自分が魔女だという秘密が漏れることはないはずだ。それでも万が一のことがあれば迷惑がかかるのだ。それも取り返しのつかないほど大きな迷惑が──。
イーリカの唇が震える。
意を決して唇を押し開こうとした、そのとき。
「イーリカさん、いるかい?」
扉を開けて入ってきたのは、時折薬草茶を買ってくれる宿屋の女将だった。
「おや、接客中だったかね?」
「あ、いえ、大丈夫です」
顔を上げたイーリカは思わず、逃げるように答える。
ノアは眉間にしわを寄せ、ややあってわずかに息を吐き出すと、
「また来るよ」
小さくつぶやき、イーリカに背中を向ける。
「あ──」
イーリカは、とっさにノアを引き止めようとしてしまう。
「取り込み中だったかい、出直そうか?」
女将は目の前のイーリカと、自分と入れ違いに出ていく見目のいい青年を交互に見やりながら尋ねる。
「あ……、いえ、いいんです……。いつものでいいですか?」
イーリカは気持ちを切り替えると、バタンと閉まった店の扉から視線を外し、女将に向き直った。
次話は、このやりとりをノア視点で語ります……!
夜に更新できたらと思います。
ここまでで、ブックマークや評価をくださった方、本当に本当にありがとうございます……!!
ラノベ異世界(恋愛)ジャンルは初めてなのですが、楽しんでいただけるかとても不安だったので、すごく励みになっています!初めて★の評価もいただけて涙出るほどうれしいです(*ˊᵕˋ*)
完結まで毎日投稿がんばりたいと思いますので、引き続き覗いていただけると、とても励みになります。よろしくお願いいたします!






