13_黒い森の魔女(2)
「見たか? さっきの客、驚きのあまり椅子から飛び上がってたぞ!」
「やめて、ライト、そんなふうにお客さまのことを笑うのは」
茶化したライトを、イーリカは思わず叱りつける。
目深に被っていたローブを煩わしそうに脱ぎ、椅子の背にかける。
イーリカの小言も意に介さないライトは、客が置いていったかごをさっそく漁り始めた。
目星のものを見つけると、ぽいっと鼻先を引っかけて上に放り投げる。
それは赤々とした、おいしそうなりんごだった。
魔女の手助けや秘薬を求める対価は、りんごとビスケット。
時折、心付けとして金貨を入れてくれる者もいるが、その場合金貨は孤児院などへの寄付に回させてもらっている。
ライトが放り投げたりんごはきれいな弧を描き、あーんと大きく開けた口を目がけて落ちてくる。
しかしその寸前、キラリと光る何かが勢いよく空中を横切った。
ダン──ッ! と音を立ててりんごを貫き、向こう側の壁に突き刺さったそれは、食卓用のナイフだった。
「あんた、また私の分のりんごまで食べたでしょ!」
甲高い声とともに、ナイフが次々と飛んでくる。
ナイフはライトの体すれすれ、黒光りするビロードの毛だけに刺さり、ライトの体をいとも簡単に壁に縫い止めた。
たらりと冷や汗をかきながらライトが視線を向けると、そこには怪しく光るナイフをまだ数本咥えているラブラの姿があった。
器用にも犬の口で咥えてナイフを投げつけたらしい。それも恐ろしく正確に。
あまりのすご技に呆気にとられていたイーリカだったが、はっと意識を戻すと、なだめるように言った。
「ラ、ラブラ」
ラブラは、ふん! と鼻を鳴らし、イーリカを見上げる。
「イーリカ、この駄犬、やっぱりあなたには合わないんじゃないかしら。口は悪いし、食い意地が張ってるし。今なら私がいるんだから、もう森に還してきなさいよ」
前足を上げてぷらぷらさせ、わざとらしくため息を盛大に吐き出す。
「な、何をーっ! 言っとくけどな、イーリカが最初に契約したのは、この俺だぞ! 順番で言ったら、お前はそのあとなんだからな!」
カチンときたライトがキャンキャンと吠える。
目をすがめたラブラは片眉を上げ、
「はん! 言ってなさい! イーリカの母親であるカミラと契約していたのはこの私よ、それこそイーリカがカミラのお腹の中にいるときから、私は知ってるんだから! あとからしゃしゃり出てきたあんたよりも、一緒に過ごしてきた時間は長いのよ! ちょっとはその無駄に大きな態度を控えなさいよ!」
「何だとぉー!」
ジタバタとライトは暴れるが、ナイフが刺さっているので動けない。
(ああ、ただでさえ古い小屋なのに、これ以上壁に穴でも開いたら、それこそ修理が大変だわ)
イーリカは頭を抱えながら声を張る。
「ちょっとやめて、ふたりとも」
そのとき、ライトの体がシュルッと、暗闇の中で淡青色や青緑色、黄色など幾重にも変化する蝶の羽のような不思議な色彩の光に包まれた。
と思えば、次の瞬間、ころん──、と傷んだ床に転がっていたのは、小さな鉱石だった。
人差し指でつまめるほどの大きさのレンズ豆のような丸みを帯びた形のそれは、先ほどライトの体から発せられた光と同じく、漆黒に覆われた中に蝶の羽のような七色の不思議な光を宿している。
そしてまた、シュルッと色彩の光に包まれると、今度は見慣れた黒い犬の姿が現れる。
よく見れば、その瞳は普通の犬にはない七色の光を帯びている。
「イーリカだって、こんな乱暴なやつはごめんだろうぜ! そもそも契約解除なんて無理だしな!」
ライトは捨て台詞を吐くと扉を蹴り飛ばし、外へと飛び出していく。
どうやら体を変化させて、ナイフをすり抜けたらしい。
「あ! 待ちなさいよ!」
ライトのあとを、慌ただしくラブラが追いかけていく。
二匹の後ろ姿を目で追いながら、イーリカはため息を漏らし、壁に刺さったままのりんごとナイフを回収する。
「……ったく、誰が修理すると思ってるのよ」
ぶつぶつ文句を言いながら、穴が開いたりんごとナイフをテーブルの上に置く。
かごの中からいただいたクッキーを取り出し、口に放り込む。
もぐもぐと咀嚼すると、ほのかな甘みが口いっぱいに広がる。ビスケットにはさいの目切りにしたりんごも入っているようだった。
魔女がりんご好きだと思ったのだろうか。イーリカはわずかに口元をほころばせる。
魔女は手助けや秘薬の対価として、りんごとビスケットを要求する。
それを求めたのははるか昔、初めて人間に秘薬を譲った古の魔女であったと聞いている。
りんごはライトやラブラのような魔女と契約している者が好む食べ物だが、ビスケットは単なる古の魔女の好物だったからという理由らしい。
いつからかそれは魔女の言い伝えとともに、人々の間でも密かに語り継がれているとのことだった。
イーリカはギシギシと鳴る床を進み、開きっぱなしの扉の取っ手に手をかける。
目の前には、真っ暗な森が広がっていた。
──ここは『黒い森』。
古より魔女が棲まう森だと言われている。
そしてそれは、紛れもない事実だった。
イーリカは、魔女だ──。
イーリカの母親も、祖母も、古より脈絡と受け継がれる魔女の血が流れている。
しかし、古の魔女のように魔法を使えるような偉大な力はもう残っていない。
その証拠にイーリカの髪は黒色ではない。
古の魔女はその強大な魔力を有する証に、夜の闇のような漆黒の髪を持っていた。しかし世代を経て魔力が失われるにつれ、髪色は珍しい黒からありふれた焦げ茶色に変化したと聞いている。ごく稀に魔女とは関係なく、生まれながらにして黒髪や黒に近い髪色の者もいるらしいが、イーリカはまだ見たことはない。
今を生きるイーリカのような魔女に受け継がれているのは、薬草に関する膨大な知識だけ。
それらを活かし、救いを求める人々のため、黒い森の奥地にある小屋でひっそりと秘薬を作り続けている。
魔女に依頼をする者は、満月の夜にひとりで黒い森に足を踏み入れなければならない。
そして闇夜に光る切り株を見つけ、切り株の上にある生え出て間もない小さな草木の芽に触れる。
すると、魔女の秘薬を求める者は古の魔女がかけた魔法が作用し、小屋の前へと導かれる。
一方、魔女に助言を求める者は、相談事を記した手紙を入れたかごだけが魔女のもとへと届き、依頼者は森の外へと送り届けられ、のちに答えを授かる。
魔女の棲家である小屋の一帯には、古の魔女がかけた『惑わしの魔法』がかかっていて、侵入者があればたちまち深い霧に覆われ、小屋には近づけないようになっている。
切り株は邪な心を抱く人間の前では、決して光ることはない。
そのため、魔女に依頼できる者は限られている。
それでも人々は、一縷の願いのために、夜の黒い森に入る危険を冒しながらも魔女のもとを訪れる。それは途絶えることなく、今でもひっそりと続いている。
そしてこれも古より受け継がれていることだが、魔女は八歳になるとある契約を結ばねばならない。
八歳になったイーリカが契約を結んだ相手、それがライトだった。
ライトは黒い森に棲まう『魔石』だ──。
本質は『ラブラドライト』という、漆黒の中に七色に輝く光を宿し、人間には想像もつかない長大な歳月を経てきた鉱石だ。
魔女は秘薬を作るという秘密を抱えている。
自分が魔女であること、秘薬のこと、それらすべては自らの胸に留めておかねばならない。
もし秘密が漏れてしまったときは、ある手順に従い、契約した魔石の力を借りて、秘密を知られてしまった者の記憶を操作し、忘れさせる必要がある。
それゆえに、八歳になった魔女は黒い森の中で、自分と契約するラブラドライトの魔石を探す。
そうして幼いイーリカが、ある古木のうろの中で見つけたのがライトだった。
魔石を見つけた魔女は、相手に名とわずかな血を与える。それを魔石が受け入れれば、魔女と魔石の間に絆が生まれる。
『げええ、「ライト」だって⁉︎ いくらなんでも安易すぎるだろ! ふん、まあいいさ!』
イーリカがライトに名を与えたとき、初めて言葉を交わしたのが、その一言だった。
幼いイーリカが傷ついたのは言うまでもない。
そもそもイーリカの母、カミラが自らと契約したラブラドライトの魔石につけた名が『ラブラ』という、いかにも安直な名だったのだ。イーリカはそれを倣ったにすぎない。
そして魔石が変化する姿はあくまで絆を結ぶ魔女が望む姿になるのだが、これまたカミラが自身の魔石のラブラと契約する数日前に、たまたま道で出くわした黒い犬を安易に望んだからだ。
犬の姿であるラブラを生まれたときから見て育っているイーリカが、自分の魔石にも同じ姿を望むのは、しごく当然の結果とも言える。
魔女と魔石の間に生まれた絆は、魔女が死ぬまで決して切れることはない。
一方で、契約している魔女が死ねば、魔石は黒い森へと還る。
しかしカミラと契約していたラブラはそうはせず、カミラが亡くなったあと、その娘イーリカと契約を結び直した。
そうしてイーリカは今、ライトとラブラのふたつの魔石と契約を交わしている状態だ。ライトよりもかなりの年上のラブラが言うには、かつて複数の魔石と契約していた魔女もいたそうだが。
イーリカは黒い森から視線を外すと、小屋の扉をパタンと閉めた。
ライトとラブラはまだ当分戻ってこないだろう。けんかを始めるといつもこうだ。外を走り回って気分が晴れれば、そのうちお腹が空いたと戻ってくるはずだ。
このあと話が続いているので、次話の14話も、夜に投稿できればと思います!楽しんでいただけるとうれしいです!






