01_プロローグ
──ハナハッカの花が咲いていた。
地表から伸びた茎の先端には、薄紅色と濃い紫色の小さな花がタンポポの綿毛のような丸みを帯びて、愛らしく咲いている。
それらは爽やかな風に揺られながら、辺り一面を覆い尽くしていた。
幼い少女は自分の背丈の半分くらいになるハナハッカに手を伸ばし、手頃な長さで茎ごと花をちぎる。
くるくると器用に手を動かし作ったのは、花冠だった。
そして目の前の少年の頭の上にそっとのせる。
彼の月光のような淡い金色の髪は、陽の光を受けて輝いていた。
少女は満足そうに、にこりと笑って見せる。
「よく似合ってるわ」
ここは少女にとって、とっておきの場所だった。
この美しい光景を少年にどうしても見せてあげたかったのだ。
花冠がよく似合うと言われた少年は、少しむっとした様子だった。
そして見よう見まねで、不恰好な花冠を少女のために作り上げた。
少女はためらう少年の手からその花冠を取ると、自ら頭にのせた。
自分のぱっとしない焦げ茶色のダークブロンドの髪でも、花冠をのせれば少しでも見映えがするだろうかと、ほのかな思いを抱く。
「えへへ、どう? 似合ってる?」
「どうって、そんなくたくたの花冠じゃ……」
そう言いながら、少年は唇をわずかに尖らせ顔を背けるが、耳はほのかに赤くなっていた。
少女は少年が自分のために作ってくれたことがとてもうれしかった。
今だけでなく、来年も、再来年も、ずっとこうしていられたらと思ってしまう。
しかしそれは叶わぬ夢だと知っている。
このあと、少年はすべて忘れてしまうのだから──。
少女はそっと少年の手を取った。もうこの先こうして手を引くこともない。
「……これ、大切にするね」
少女は少年がくれた不恰好なハナハッカの花冠にそっと触れる。
(──あなたの手を引くのは、わたしだけ……)
少女は胸の中できっと少年は知らないだろうハナハッカの花言葉をつぶやき、涙がこぼれそうになるのを必死で堪えた。
少年が少女の名前を呼び、凪いだ湖面のような涼やかなアイスブルーの瞳を向ける。
「……僕、会いにくるから」
そう言って、少年は少女の小さな手をぎゅっと握り返す。
今だけの約束だとしても、少女はうれしかった。だから素直に頷く。
「……うん」
「絶対に」
「……」
絶対になどない。
それをわかっている少女は言葉に詰まってしまう。唇が震える。
しかし切り替えるようにぶんぶんと首を振ると、いつもの満面の笑みを見せた。
「うん、待ってる」
そのあと、意識を失った少年はすべてを忘れた。
そして少女の母親に背負われ、扉の先にある彼の『もとあるべき場所』へと戻っていった。
* * *
──少年がいなくなった日から、三日後。
泣き濡れた瞳の少女は母親に内緒で、棚の奥にしまわれている黒色の小瓶をそっと取り出した。
小瓶のふたを開け、中の液体をひとさじすくい、手元のカップに落とす。
そして一気に飲み干した。
それは三日前に、あの少年が口にしたのと同じものだった。
ほのかな苦味の中に、すっきりしたあと味を感じた。
途端に意識がぼんやりし始め、霧の中を歩いているような感覚に陥る。
「……本当にいいのか?」
問いかける声がする。
「……うん、わたしだけ覚えていても仕方ないもの。こうするのが一番いいのよ」
まるで自分に言い聞かせるように答える。
覚えていれば、期待してしまう。
──もしかしたら会いに来てくれるかもしれない、と。
覚えていれば、探してしまう。
──もしかしたらどこかでひと目だけでも会えるかもしれない、と。
そして覚えていれば、思い出してほしいと、きっと願ってしまう──。
「……わかった」
その言葉を合図に、少女の目の前には、暗闇の中で淡青色にも青緑色にも黄色にも、幾重にも変化する蝶の羽のような鮮やかな色彩が広がる。夜空を眺めているような、それでいて見たことのない星々が無数に煌めいていた。
その輝きの主を少女はよく知っていた。
しかしこんなにも鮮やかに美しく輝くなど、知らなかった。
少女はただただその美しさに見惚れる。
薄れゆく意識の中、少女の小さな唇がかすかに動く。
──ヘンリー。
声にならない声で、少女はもう会うことのない少年の名前を呼んだ。
そしてそのままストンと落ちるように、意識を漆黒の闇の中へと手放す。
同時に、少女の胸の中で芽生えていた淡い恋心も跡形もなく消え去ったのだった──。
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