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第2章 赤蜥蜴と赤羽根とアサシンギルド 第5話、紅翼の少女は蘇る

     第5話、紅翼の少女は蘇る




 その日、ローゼリットは町中を歩いていた。昨日結局飛び出して行ったまま帰ってこなかったスミーシャ。朝になっても戻らず、何処にいるのかもわからなかった。しかし状況が状況である。いつ何の拍子にスミーシャのことが暗殺者ギルドに知れるとも限らない。仕方なくローゼリットはスミーシャを探し回っていた。

「まったく……あの猫耳娘め、一体どこに…」

「ローゼリットの(あね)さん」

「‼」

 不意に掛けられた声に一瞬で振り向く。うかつだった。町中とはいえ警戒を怠り背後を取られるとは……。振り返ると同時に油断なく腰の後ろの短剣に手をかける。

 振り返った先にいたのは小柄なヒューマンの男だった。身長は特別長身という訳でもないローゼリットよりも低く、身体はやせ気味、小柄だがホビットほど小柄では無かった。薄汚れた服装をしており、一見物乞いにさえ見える。猫背で腰が曲がっているが、恐らく年齢は40歳程だろう。顔が非常に醜く、まるでゴブリンの様だった。

「あ、姐さん、あっしですよあっし!」

 そう言って男は自分のことを指差した。卑屈でいやらしい笑みを浮かべている。

「……ハス・ボレルか…」

 ローゼリットは短剣から手を離した。だが、鋭い視線でハスのことを睨みつけている。

(こいつが……コイツが余計な報告をしたせいで私とスミーシャは…)

 思わず冗談抜きで目の前の男を殺したくなってくる。この男がマン・キメラ事件でのことを目撃などしなければ、あるいは報告などしなければこんなことにはならなかった。それをわざわざ報告など、余計なことをしてくれたものである。

(たかが連絡係が、密偵にでもなったつもりか)

 思わず悪態が口をつこうとするが、寸前で飲みこむ。そんなことより、こいつに会ったのなら確認しなければならないことがある。

「ハス……ちょっとこっちに来い」

「へいへい、何です姐さん?」

 ローゼリットは答えず通りを抜けて路地裏に入っていく。ハスはその後ろをついてきた。

「確認したいことがある」

 そう言うと足を止めて振り返るローゼリット。ハスもその正面で足を止めた。その醜悪な顔にはいまだいやらしい笑みを浮かべている。

「お前……結局、あの時一体何を見たんだ?」

「あの時……とおっしゃいますと?」

「とぼけるな!お前が、私が暗殺術で化け物をしとめるところを見たその時だ!」

 ローゼリットの言葉に、「ああ、あの時ですか」と言ってニヤニヤするハス。

「見せていただきましたよ?姐さんの勇姿をたっぷりと」

 そう言って「へへへへ」と笑うハスに、鋭い視線を向けるローゼリット。

「それだけか?」

「ええ、それだけですが?…他に何かありましたかぁ?」

 ニヤリと黄ばんだ歯を見せながら笑うハス。だが、ローゼリットはそんなものは見ていなかった。

(よし!こいつはどうやらスミーシャのことを見ていた訳じゃないらしい。それなら……)

 思わず心の中でガッツポーズをとるローゼリット。

「いや、それならいい。ついでにギルドに報告しておいてくれ。『ドレイク・ルフトは相当な手練れで隙が無いため、息の根を止めるにはタイミングが重要だ。まだ相当時間がかかりそうだ』とな」

「そうですか。分かりやした姐さん……ところで」

「ん?何だ?」

「姐さんの仲間ってケット・シーの小娘じゃなかったですかねぇ?」

「‼」

 ハスの言葉に悲鳴をあげそうになるのを必死にこらえる。正面を見ればハスが先ほどまでとは比べ物にならないほどいやらしい笑みを浮かべている。

「そうそう、言い忘れてましたけど姐さん。あっし見たんですよ、姐さんと一緒に戦ってるオレンジ色の髪をしたケット・シーの娘を……あれは…踊り子ですかね?」

「………ぐ……貴様…」

「ああ!すいません姐さん。そういえば姐さんは赤い鱗のリザードマンがどうのって言ってましたっけ……あれ?だとするとあっしが見たのは……?」

 そう言いながらハスがローゼリットに近づいて行く。ドンドン近づいて行き、すぐ目の前に立つと、ハスは下からローゼリットの眼を見上げた。鼻と鼻が触れそうなほど顔が近づいている。

「何だったんでしょうねぇ?……ねえ姐さん?」

「貴様!」

 思わず飛び退き腰の裏の短剣に手をかけるローゼリット。それに対しハスはバタバタと両手を振る。

「おおっと姐さん。あっしはこの後ギルドに定時報告に行くことになってるんですよ。もしあっしが報告に現れなかったら、不振がるでしょうねぇ…」

「…くっ」

 苦い顔のローゼリット。これでハスには手が出せなくなってしまった。

「あっしは別に姐さんの嘘を暴こうとか、そういうんじゃないんですよ……」

「だったら……!」

「でも、良いんですかねぇ?ギルドに嘘の報告なんかして」

 そう言ってハスはローゼリットの身体を舐めまわすように見回した。その視線に気持ち悪さを感じるローゼリット。

「姐さん……黙っていてほしかったら、分かってますよね?」

 そう言ってベロリと舌を出すハス。その臭い息にローゼリットは顔をしかめる。

「………いくらほしいんだ?」

「さすが姐さん!話が早い……と、言って差し上げたいんですがね」

「違うのか?」

 疑問を口にするローゼリット。それに対しハスはローゼリットから少し離れると、とてつもなくいやらしい笑みを浮かべた。

「ええ……姐さん、良い身体してますよねぇ…それにえらく別嬪だ……暗殺者なんかにしとくのはもったいない」

「……お前、何を言っているんだ?」

 ハスの言わんとすることを理解できずに眉を顰めるローゼリット。しかし、ハスはいやらしい笑みを崩さなかった。

「カマトトぶりなさんなって。へへへ、姐さん………あっしの『女』になってくれませんかね?」

「……私は元々女だが?」

「………どうやら姐さんには回りくどい言い方をしない方がいいみたいですね」

「…?」

 いまだ分かっていない風なローゼリットに若干苛立つハス。

「要は、抱きたいときに抱く、犯したいときに犯す、あっしのカキタレになれってことですよ」

「……カキタレ…だと…?」

 ローゼリットの声が凄味を帯びる。ローゼリットはスミーシャの過去を知っているため、女の身体を自分たちの自由にしようとする男が大嫌いだった。

 思わず短剣を引き抜こうとするローゼリット。

「おおっと!待ってくだせぇ姐さん!」

 慌てて手を突き出すハス。殺されてはたまらないと言う事らしい。

「何も今すぐにって言ってるんじゃないですよ」

 愛想笑いを浮かべながら両手を振るハス。だがその表情は相変わらずいやらしい。

「そりゃあね、あっしも姐さんのことは妄想で何度も犯しましたよ。うへへへへ……」

「お前の下らん妄想に付き合うつもりは無いんだが……」

 ハスの妄言に付き合ってられないとばかりにローゼリットの冷たい声が響く。

 付き合ってられんとばかりにハスを見下すローゼリット。だが、ハスの妄言は止まらなかった。

「姐さんがダメなら、あのケット・シーの娘も良いですね…」

「何……?」

 ハスの言葉にローゼリットの視線が一気に鋭くなる。

(こいつ……まさか、スミーシャに手を出すつもりか?)

 ローゼリットの視線が絶対的に鋭く冷たくなる。だがハスは気付かないのか、それとも気にしていないのか、妄言を続けた。

「あの娘は良い身体をしてましたねぇ。スタイルの良さなら姐さん以上だ。たまんねぇなぁ……」

ヒュン!

 かすかな風切り音を立てて短剣がハスの首筋に押し当てられた。ローゼリットが音もなく短剣を抜き放ち、一瞬で距離を詰め短剣を突きつけたのだ。

「貴様……スミーシャに何かしたらどうなるか分かっているんだろうな……」

 ドスの利いたローゼリットの声が響く。その迫力に慌てたハスは「じょ、冗談ですよ姐さん!」と言って短剣の刃から距離を取った。

「ケット・シーの娘には手を出しませんよ……。ほ、他の娘ならどうです?ほら、あの小さい……」

 懲りない男だと呆れつつも、誰の事か考える。ハスの言う小さい娘とは……?

(ベルベラの事か?)

 その考えはすぐに否定した。パーティーのメンバーであるベルベラ・ステイシアはドワーフでありしかも神官戦士だ。自分たちのパーディーの最前線担当で身長こそ低いものの、ドワーフ特有のがっしりとした肉体をしている。その上男勝りな彼女は髪も短髪で正直パッと見では女に見えないこともある。ハスが狙うとも思えない。

(と言う事はエルシールの事か?)

 その線で考える。パーティーで後方支援担当の狩人エルシール・ロディ。ホビットと言う事もあり、彼女もかなり身長が低い。と言うかパッと見は完全にヒューマンの子供だ。当然身体もツルペタで、凹凸が全くない。ハスの性癖がどうかは分からなかったが、果たしてエルシールに欲情するのだろうか?今までの話しぶりからすると、ハスはどちらかと言うと凹凸のはっきりした豊満な体を好みそうだが……。

「いましたよね?この間姐さんと一緒に冒険に向かってた赤い羽根の小娘」

「フリルフレアのことか!」

 思わず叫ぶローゼリット。冗談では無かった。確かにフリルフレアとは知り合って以降かなり親しくなった。もう友人と言っても差し支えないだろう。だが、彼女はパーティーのメンバーではない、ドレイクの相棒である。巻き込むわけにはいかなかった。

「なかなか見事な赤い翼をもってましたねぇ。それに冒険者だから成人してるんですよねぇ?その割にはかなりの童顔だ。それに身体も未成熟っぽかった。でもそこがまだ青い果実を貪ってるみたいでそそるなぁ」

 そう言って「ふひひひ」と笑うハス。

「そこまでだ。それ以上寝言を続けるならその一物を切り捨てるぞ?」

 ローゼリットの声が冷たく響く。これ以上ハスの妄言に付き合うつもりは無かった。

「そ、そいつはご勘弁を!」

 慌てて手を振るハス。冷や汗をかいたとばかりに額の汗をぬぐった。

「再度言っておくぞ。スミーシャに手を出せば貴様をどこまでも追い詰めて殺すからな」

「わ、分かっておりやす!ケット・シーの娘には手は出しません!……ですのでバードマンの小娘なら…」

 懲りない奴だと呆れるローゼリット。だが、フリルフレアに手を出すつもりならば伝えておかなければならない。

「フリルフレアに手を出すつもりならやめておけ。手を出したが最後、ドレイク・ルフトに殺されるぞ?」

「ドレイク・ルフト?……それって、例の姐さんが嘘の報告で言った赤い鱗のリザードマンですか?」

「そうだ」

 ローゼリットの言葉に、ハスは意外にも笑い声をあげる。

「へへへへへへへ!姐さん、バカ言っちゃいけませんぜ!そのドレイクって奴は所詮ただの戦士でしょう?あっしはただの連絡係ですが、一応暗殺術の訓練も受けてるんですぜ。あんなノロマそうな蜥蜴、一発で首を掻っ切ってやりますよ!」

 そう言って首を掻き切る仕草をするハス。完全に相手を舐めてかかっている。

「それにもし何だったら、寝込みを襲えば一発ですぜ!冒険者如きが暗殺者にかなう訳がないんだ!」

 可笑しそうに「くくく」と笑うハス。しかしそんなハスを見下すローゼリットの視線には軽蔑と嫌悪意外に哀れみが混ざっていた。

「愚かだな……暗殺者は決して強くはない。…それにお前はドレイク・ルフトと言う男の恐ろしさを知らない」

「またまた、姐さん脅かそうったってそうはいきませんよ?」

 いまだニヤニヤ笑みを浮かべているハスに、もう言うことは無いとばかりにため息をつくローゼリット。

「とにかく、私の知り合いに手を出すな」

「分かりましたよ姐さん……その代わりカキタレの件、考えておいてくださいよ?」

 再びニヤリと笑うハス。「それじゃ、あっしは定時報告がありますんで」と言ってローゼリットから離れると、そのまま人ごみの中へ消えていった。

「………………チッ」

 舌打ちするローゼリット。ハスの口ぶりではローゼリットの嘘をすぐにギルドに報告する訳では無いだろう。だが、いつまでも黙っていてくれるとも思えない。

(………どうする…?)

 考えたところですぐに妙案が浮かぶ訳では無い。とにかく今はスミーシャを探すことが先決だと思いなおし、ローゼリットは町中に消えていった。






 ローゼリットとスミーシャのケンカから5日程経っていた。ハスと会った後、ローゼリットは酒場で酔い潰れているスミーシャを発見。連れ帰ったが、酔いがさめたスミーシャとまた口げんかになり、またローゼリットは姿を消していた。

 そんな姿を消したローゼリットを一人探して、フリルフレアは町中を歩いていた。スミーシャにも探そうと誘ったのだが、喧嘩して拗ねているスミーシャは断固として部屋から出ようとしなかった。

「もう、スミーシャさんもローゼリットさんも意外と子供なんだから……」

 そんなことをブツブツと呟きながらローゼリットを探して町中を歩き回るフリルフレア。ちなみに当然ドレイクにも声をかけたのだが、「なんで俺がそんな面倒なことしなきゃならないんだ」とあっさりと断られた。まあ、これは予想済みだったのだが……。

 とにかく、一人で探すのも限度がある。しかし誰も手伝ってくれないので仕方がなかった。

カランカラン

 そんな音を立てて酒場に入る。ローゼリットが行きそうなところと言っても想像できなかったので、仕方なく冒険者街にある酒場を片っ端から当たっていた。

「いらっしゃ…………お嬢ちゃん、ここはお嬢ちゃんみたいな子供の来るところじゃないんだよ」

 そう言って酒場のマスターが「帰った、帰った」とばかりに手を振る。

「ミイィィ。すいません、私これでも冒険者なんですけど!」

 そう言ってマスターの目の前に行き冒険者認識票を見せつけるフリルフレア。それを見たマスターは目をまん丸くして驚いていた。

「いや、こいつは驚いた。冒険者っていつから未成年でもなれるようになったんだい?」

「私は成人です!」

 フリルフレアの言葉に再度驚くマスター。その驚き方は若干わざとらしかった。

「そうなのかい?そりゃ悪かったね、赤い羽根の冒険者さん」

「はい、悪いです‼」

 ムスッと答えるフリルフレア。その頭には怒りマークが浮かんでいた。

「それで?ご注文は?」

 マスターは当然のように注文を取る。それを聞いてフリルフレアは少し考えた。朝からローゼリットを探し回っていて、正直少し喉が渇いている。話を聞くついでに休憩にしよう。そう結論付けたフリルフレアはカウンターに座ると右手を軽く上げた。

「それじゃ、ホットミルクください。ハチミツ入りで」

 その注文を訊き思わずこけそうになるマスター。「酒場に来たのに酒飲まないんかーい!」と心の中でツッコミを入れつつ、ついでに「やっぱ子供なんじゃねえの?」とボソッと呟いておく。

 しかしマスターの呟きも耳に入っていなかったフリルフレアは、気にせず話を進めた。

「すいません。人を探してるんですけど」

「人探し?仕事かい?」

「いいえ、知り合いがケンカして飛び出して行っちゃったんです。ハーフエルフで黒髪をミディアムヘアにしている女性で、綺麗な金色の眼をした美人さんなんですけど……」

「ふ~ん、身長とか体格は?」

「多分160㎝ちょっとくらいだと思います。スタイルはすごくいいです」

「う~ん、生憎とウチには来て無いと思うなぁ」

「ミィィ、そうですか……」

 その後出されたホットミルクを飲んで店を後にしたフリルフレア。結局収穫は無かった。

「ローゼリットさん、何処に行っちゃったんだろ……」

 ポツリと呟くフリルフレア。正直に言って、早くローゼリットとスミーシャに仲直りしてほしかった。そもそも喧嘩の原因はあの二人がお互いのことを思いやりすぎているところにあると思っていた。お互いがお互いを思いやっているからこそすれ違ってしまったように思える。

 あの二人にはずっと仲良くしていてほしかった。

(それで、私とドレイクも同じくらい仲良しに………キャ♡)

 自分の想像、と言うか妄想に思わず赤くなる。当のドレイクに言ったら「なぁにが『キャ♡』だ、アホか」とか言われそうなところが何とも物悲しかったが……。

 そんなことを考えたいたためだろうか?いや、そうでなくともフリルフレアが気が付けたとは思えない。

 とにかく、フリルフレアの後ろに人影が一つ、迫っていた。ここは冒険者街とは言っても、人通りがそれほど多い訳でもなく、路地裏などの暗がりには人気もなかった。

 そんな暗がりの横を通り過ぎようとしたその時だった。

バフッ!

「んむぅ!」

 思わず呻き声が上がる。突然のことに思考が一瞬停止した。

(え?な、何⁉)

 訳が分からず、目をパチクリさせる。突然背後から何か布の様な物を持った手が伸びてきて、フリルフレアの口を塞いだのだ。

「ふう…う、ううんむ(何…な、何なの⁉)」

 言葉が出せなかった。後ろから伸びてきた手が布の上からしっかりと口を塞いでいるため、まともに声を出すことが出来ない。

 そして、すごい力で一瞬で暗がりの中へ引き込まれる。

(だ、だめ!)

 思わず手を伸ばす。しかしフリルフレアの手は建物の壁を掴もうとしたところで押さえ込まれ、そのままさらに暗がりの奥へと引きずり込まれた。

「むう……うむううう!」

 何とか叫ぼうとするが、口を押さえる腕の力は強く、わずかな呻き声しか出せない。

(何とか…これを剥がさなきゃ!)

 自分の口を塞いでいる手を引き剥がそうと、手をかけて引っ張るフリルフレア。だが、その手はまるで口に張り付いているかの様にビクともしなかった。

(一体……誰が⁉)

 フリルフレアは自分を押さえ込もうとする相手の正体を探ろうと、後ろに視線を送ろうとした。しかし、口を押さえる力が強すぎて、頭を動かすこともできない。辛うじて、口を塞ぐ手が大きいことと、背中にあたある胸板の固さから相手が男であろうと言う事しか分からなかった。

(誰なの⁉……何で…こんな⁉)

 口を塞ぎ、腕を押さえ込んでくる相手。何とか振りほどこうと、翼に力を込め羽ばたこうとしたが、男の押さえ込む力の方が強く、まともに翼を動かすこともできなかった。

 そうしている間にも、布を強く口に押し付けてくる男。また、男の手はフリルフレアの口だけでなく鼻まで塞いでいたので、正直呼吸もままならない。さらに言えば、その布はシットリと濡れており、何かを染み込ませている事が分かる。

 息苦しさを感じつつも何とかまともに呼吸をしようとするフリルフレア。その時何かの甘い匂いが彼女の鼻孔をくすぐった。

(何これ?………この甘い匂いは……クロムの実⁉)

 驚愕するフリルフレア。だが次の瞬間、フリルフレアの膝がガクッと折れる。強烈な眠気を感じ、膝の力な抜けたのだ。

(いけない……この匂いを嗅いじゃ…)

 あまりの眠気に、頭がボーっとしてくる。それでもフリルフレアは最後の抵抗とばかりに息を止めた。これ以上この匂いを吸い込むわけにはいかない。

 フリルフレアの言っていたクロムの実とは、異常なまでの誘眠成分を果汁に含む梨と林檎の中間の様な食感の果実で、主に眠り薬などに使われるものであった。その果肉は甘く非常に美味なのだが、一口食べると20~30分程で眠りに落ちてしまうほど強い誘眠作用があり、一般の市場では取り扱いが禁止されている果実だった。取り扱っているのは薬剤師のギルドか、そうでなければ闇ルートの市場だった。フリルフレアは、自分を育ててくれた「ママ先生」こと元薬剤師のマディ・アーキシャよりそれらの知識を教えてもらっていたために知っていたのだ。また、その果汁は加熱することで爆発的に誘眠成分を増加させる。加熱した果汁の匂いを嗅いだだけで即座に耐えがたい眠気に襲われるほどだ。本来なら不眠症の者が、アロマなどと一緒に用い、リラックス状態から自然に睡眠状態に移行するために使われるものだ。だが、今回は加熱した果汁を布にしみこませ、その布で鼻と口を覆うことで強制的に香りを嗅がせて無理矢理眠らせようとしていた。どう考えても堅気のやり方ではない、犯罪行為である。

「……うむ(……だめ)」

 抑え込まれつつも自由な方の手を必死に伸ばすフリルフレア。だが、暗がりの奥へとズリズリと引きずり込まれて、その手は空を切るばかりだった。

 息を止めているため、苦しかった。でも、それ以上に眠い。今にも意識を手放してしまいそうだ。

(こんな……何で…)

 意識を失いそうになりながらも、何とか布を剥がそうと自分の口を塞ぐ手に手をかける。先ほどよりもさらに力が入らなくなった手で必死に引っ張るが、やはりうまくいかない。

 そこに、男がさらに鼻と口を塞ぐ手に力を込める。呼吸さえ止めようとしている様なそんな力の込め方だった。

「……んふぅ……む……ん…」

 息苦しさも我慢の限界だった。そして、それ以上に意識の方が限界だった。一瞬意識が飛び、果汁の香りを吸い込んでしまう。男はさらに強くフリルフレアの鼻と口を塞いだが、もう意味をなさない事が分かった。

「………う………む……」

 男の手を何とか剥がそうと手を掴んでいたフリルフレアの手が離れ、そのままダランと落ちる、同時にフリルフレアの身体から力が抜け落ちた。

 フリルフレアは男の腕の中で深い眠りの中へと落ちてしまった。

 その様子に男の口元がニヤリと歪む。そして男は懐から縄を取り出すと、慣れた手つきでフリルフレアの手首と足首を拘束した。そしてさらに懐から布の塊と手ぬぐいを出すと、眠っているフリルフレアの口を無理矢理こじ開け、その中に布の塊をいっぱいに詰め込んだ。そして手拭いで鼻の上から顎の先までをすっぽりと覆うように口を塞ぎ、猿轡をしてしまう。そして大きなズタ袋を取り出すと、フリルフレアをその中に詰め込んでしまった。

 そのまま「よっ」と声をかけて袋を担ぐ男。男はフリルフレアを軽々と担ぐと闇の中へと消えていった。






「……ん……ん…?」

 そんな呻き声をあげてフリルフレアはうっすらと目を開けた。頭がボーっとして状況が理解できない。寝ぼけ眼のまま辺りを見回す。

(あ……れ…?私、何で寝てたんだっけ…?)

 自分が今何処にいるのかも分からなかった。見覚えのない薄暗い部屋にいることだけは理解できる。

(ここ……何処だっけ?)

 改めて周囲を見回す。薄暗い室内。明かりに照らされて、壁に様々な器具が飾られているのが分かる。もっともそれらが何に使う器具だかは分からなかった。さらに視線を動かすと、反対の壁際にも何かの器具が所狭しと置いてある事が分かった。しかし、やはりそちらの器具も何に使うのかは分からない。

 謎の器具もそうだが、フリルフレアの中にある疑問が生じる。

(私……何でこんなところにいるんだろう?)

 分からなかった。仕方なしにとりあえず起き上がることにする。

ギチッ。

 起き上がれなかった。まず、手をついて体を起こそうとしたのに、手が動かなかった。両手とも体の後ろに回ったまま全く動かない。脚もそうだった。膝を曲げて体を起こそうとしたのに、膝は曲げられても脚がくっついたままで離れなかった。

「う、ううむう⁉(な、何これ⁉)」

 驚きの声を上げようとするも、それすらままならなかった。ここまできてフリルフレアはやっと気が付いた。

(ウソ⁉腕…縛られてる⁉脚も⁉それに……これ、口も塞がれてる⁉)

 厳重に縄をかけられ、両手を手首や二の腕、胸の所で縛られている。脚も、足首と膝の上、太腿の三か所で縛られまともに動かすこともできない。口にはいっぱいに詰め物がされ、その上手拭いで鼻の上から顎の先までをすっぽりと覆うようにきつく猿轡をされており、完全に口を塞がれている。さらに背中の深紅の翼は羽ばたけない様に縄で一括りにされて、きつく縛られておりかなり痛かった。

 そしてフリルフレアはようやく自分の身に起きたことを思い出した。

(そうだ!私冒険者街を歩いてたらいきなり背後から口を塞がれて……クロムの実の香りを嗅がされて眠らされたんだ!)

 その事実に戦慄する。ならばここは自分を誘拐した犯人のアジトなのだろうか?周囲に散乱する器具が急に恐ろしいものに見えてきた。

「む、むううむ(に、逃げなきゃ)」

 とにかく何とか拘束を解こうと必死にもがくフリルフレア。しかし、もがけばもがくほど縄は食い込むばかり、まったく緩む気配がない。

(なら、魔法で!)

 魔法を使うために意識を集中させるフリルフレア。そのまま意識を炎の精霊界へと接触させる。

「あむうむ!(アクセス!)」

 なんと緊縛状態にもかかわらず精霊界へのアクセスを成功させるフリルフレア。さらに意識を集中させた。

「ほむおむへいえいはああんあーお、あまむむうむううああうむあうむむうう!(炎の精霊サラマンダーよ、あなたの息吹を私に貸し与えて!)」

 本人的には精霊との契約の会話をしているつもりなのだが、はたから聞けば何を言っているのかさっぱり分からない。

「ううむうーう!(ファイアシュート!)」

 発動の言葉と主にフリルフレアの掌に魔力が集中する。

(やた!成功!)

 フリルフレアがそう思った瞬間、ポシュッと乾いた音を立てて魔力が消滅した。さすがの炎の精霊も、猿轡をされた状態のフリルフレアの言葉は理解できなかったらしい。意識を精霊界に接触させられても、精霊自体と意思の疎通が出来なければ意味がなかった。

 ガックリと意気消沈するフリルフレア。その時、笑い声と共に拍手が響いた。

「はっはっは!いやいや、差し当たって魔法を使おうとしていたのかな?そんな状況で魔法を使おうとするとはなかなか大した小娘だ!」

 そう言って一人の男が姿を現した。

 男は平均よりも少し大柄だろうか?引き締まった筋肉質な身体をしている。茶色の髪を短髪にしており、顎髭を生やしていた。腰には大振りな短剣を差しており、動きやすそうな軽装に身を包んでいた。

(…誰⁉)

 フリルフレアは気丈にも睨みつける。しかし男はフリルフレアの顎を掴むと自分の方を向かせた。

「そう睨みなさんなって。お前さん重くてここまで運んでくるの結構しんどかったんだぜ?」

「ううむ、うんうううむうむううん!(私、そんなに重くないもん!)」

 重いと言われ、猿轡をされたまま思わず反論するフリルフレア。男の言葉から自分を誘拐してきたのがこの男だったのだと気が付く。

「元気がいいねぇ。こいつは楽しめそうだな。なあ、ロッテーシャ」

 男が部屋の片隅へと声をかける。そこでフリルフレアは初めて気が付いた。部屋の中にはもう二つ人影があった。その人影を見た時フリルフレアはギョッとした。

 人影の一つは恐らく女性だろう。何か高価そうなドレスに身を包んでおり、長い黒髪をしていたが、何よりも目立つのはその顔だった。その女は仮面をつけていた。それも顔全体を覆い隠すような…。

 もう一つの人影はもはや人間ですらなかった。それは潰れたイカのような頭を持ち、筋肉質はヒューマンのような白い体をした魔物だった。イカの形の頭には大きな目玉が一つ付いていた。

「楽しむのはあなただけでしょう、カッパー?私はあなたの様な拷問癖は無いわよ」

 ロッテーシャと呼ばれた仮面の女はそう言って鼻で笑った。

「こいつは手厳しいな!ははは!」

 カッパーと呼ばれた男はさも愉快そうに笑う。

「……………」

 二人の会話を聞いたフリルフレア。互いを呼び合う名前に疑問が生じる。

(え?……カッパー?ロッテーシャ?…どこかで聞いたような………⁉)

 二人の名前に聞き覚えがあったフリルフレア。少し考えたが、すぐに思い出した。そう、この二人はローゼリットが敵わないと言った暗殺者ギルドの幹部の二人だった。

(確かサブギルドマスターの「拷問卿」カッパーと「レジェンドオブレジェンド」ロッテーシャ………この人たち暗殺者ギルドの幹部⁉)

 ここまで気が付いたところで、フリルフレアは背筋が凍る想いをした。

(ってことは……ここって、暗殺者ギルド⁉……うそ…)

 青くなるフリルフレア。カッパーとロッテーシャが何のために自分を誘拐したのはか分からなかったが、恐らくローゼリットに関係するであろうことだけは想像できた。そうでなければ自分と暗殺者ギルドに接点など無い。

 だが今はそれ以上に気になることがあった。

(私……無事に帰れるのかなぁ……)

 正直に言って生きて無事に帰れる気がしない。恐怖に思わず涙がにじむ。

「ん!むーんー!」

 瞳に涙を浮かべ、イヤイヤをする様に首を激しく振るフリルフレア。だが、それを見たカッパーはニヤリと嫌らしい笑みを浮かべる。

「元気なお嬢ちゃんだな、俺の拷問にどこまで耐えられるかな?」

 カッパーの言葉にさらに青くなるフリルフレア。そう、この男は暗殺者ギルドサブギルドマスターにして、「拷問卿」の二つ名を持つ男。

(まさか………私、拷問されるの⁉)

 冗談では無かった。自分が拷問されるいわれなど無いと思うフリルフレア。しかし、そんなフリルフレアの思いなど知る由もなく、カッパーはフリルフレアの真横に来ると、そのままフリルフレアをうつぶせにした。そしてその翼の根元に両手を添える。

「じゃあ、今から拷問するから正直に答えろよ?」

 そんなふざけたことを言いながら、カッパーはフリルフレアの翼を脇に抱え込んだ。手は相変わらず翼の根元に添えられている。

 そしてフリルフレアの返事も待たずに先を続けた。

「お前さん、ローゼリットの仲間なんだって?あの小娘がどこに行ったか教えてくれないかい?」

(そのローゼリットさんを私も探していたんですよ!)

 カッパーの問いに心の中で答えるフリルフレア。しかし、当然猿轡をされているので答えることなどできない。

「あ、答えないわけね。それじゃ…」

 軽い感じでそう言ったカッパー。そのままフリルフレアの翼を抱える腕に力を込めた。

ボキッ!

「んむうううううううううう!」

 フリルフレアの瞳から涙がこぼれ落ち、塞がれた口からは声にならない悲鳴が上がった。あまりの痛みに体が痙攣する。

 カッパーはフリルフレアが答えないと見るや否や、彼女の深紅の翼の骨を根元からへし折った。それも一切の躊躇もなく。

「ううん!むうう!うう!」

 あまりの痛みのために涙をこぼし、痙攣しながらのたうち回るフリルフレア。それを見たカッパーの口がさらにニヤリと歪む。

「素直に答えないからこうなるんだぜ?お嬢ちゃん」

 素直に答えないも何も、フリルフレアの口には厳重な猿轡がされている。そもそも答えること自体ができないのだ。しかし、そんなことは気にもせず、カッパーはわざとらしく言葉を紡ぐ。

「答えてくれないんなら仕方がない。もうちょっと拷問を続けようかね」

「ふー!んー、むうー!」

(こ、この人……一体何を言っているの⁉)

 折られた翼が痛んだが、それでも何とかフリルフレアはカッパーに視線を向けた。自分もローゼリットの居場所を探そうとしていたのだと言う事を伝えたかった。そうすれば開放してもらえ……。

(いや……それじゃダメ…)

 痛みの中考え直すフリルフレア。考えて見れば、暗殺者ギルド側がローゼリットを探している、つまり居場所を把握していないと言う事は、ローゼリットがギルドと連絡を取っていないと言う事だ。それはつまりローゼリットはギルドから逃げ出したと考えられた。

(そっか……もしかしてローゼリットさん、スミーシャさんと一緒に逃げる決心をしたのかな?)

 もしそうならば、ローゼリットの居場所はおろか、彼女が行きそうなところも答える訳にはいかなかった。そう……例えば宿屋の屋根裏とか…。

 それならば、たとえ猿轡を外されていたとしても何も答えることはできなかった。暗殺者ギルドの連中を少しでもローゼリットから遠ざけなければならない。

 フリルフレアがそんなことを考えている間に、カッパーは壁に飾ってあった器具を幾つか取ると、それらを手にフリルフレアの真横に来た。そしてそれらのうちの一つを掴みフリルフレアに見せつけるように目の前に持ってきた。

 それはペンチに非常に似ていた器具だったが、先の形状が少し違った。先は立方体の様になっており、その内側に小さな円錐がついているような形だった。ちょうどそのペンチモドキを閉じると円錐の頂点同士がピッタリかみ合うようになっていた。

「これ……なんだか分かるかい?」

 そう訊いてくるカッパーに何とか首を横に振るフリルフレア。だが、それを見たカッパーの笑みはさらにいやらしく残酷になっていく。

「分からないかい?それじゃ正解を教えるよ」

 次の瞬間後ろ手に回されているフリルフレアの右手が掴まれる。そして人差し指の第二関節に何か冷たいものがあてられた。その冷たいものが先ほどのペンチモドキだと気が付いた瞬間……。

ペキ!

「んんんんん!ううむんんんんん!」

 またもフリルフレアの塞がれた口から声にならない悲鳴が迸る。フリルフレアの右手の人差し指が第二関節の所で潰されていた。ペンチモドキからは血が滴っている。

「ふうんんんん!むうううん!」

 あまりの痛みに涙と鼻水で顔がグチャグチャになるフリルフレア。猿轡の手拭いがそれらを吸って濡れてしまい息苦しさを感じた。

「ああ、ゴメンゴメン。痛かったかな?次はこっちにしようか?」

 とぼけた様子で語りかけるカッパー。そのままフリルフレアの左手の中指を掴むと、その先端の爪の所にペンチモドキの先を押し付けた。

グチ!

「んんんんんん!ん!むんん!」

 再びフリルフレアの口から声にならない悲鳴が上がる。ペンチモドキによって潰された左手の中指の先からは血があふれ出している。

「素直に答えてくれないからこうなるんだぜ?」

 そう言ってフリルフレアの三つ編みを掴んで無理矢理顔を持ち上げるカッパー。涙と鼻水でグチャグチャになったフリルフレアの顔をさも愉快そうに見ていた。

(なんで……口を塞がれてて答えるなんてできる訳ないのに…)

 痛みのあまり睨み返すことすらできないフリルフレア。そんなフリルフレアの三つ編みを掴んだままカッパーは大きな樽の様な物の前までフリルフレアを引っ張っていった。

 直径1m程で高さが1,2m程のその樽の様な物にはなみなみと水が張られていた。

「それじゃ、今度はこいつだ。拷問って言ったらやっぱりこれだよな」

 ニヤリと笑うカッパー。そして後方に控えていたイカ頭の魔物に向かって「こいつを立たせていろ」と指示を出した。

 指示された魔物はフリルフレアの身体を掴むと無理矢理立たせた。そして大きな樽の様な物の前に立たせると、そのまま押さえつける。

「よぅし、お嬢ちゃん。もう一度訊くが、ローゼリットがどこにいるか知らないかい?」

 カッパーの言葉に涙で濡れた瞳で睨みつけるフリルフレア。

(口を塞がれててどうやって答えるのよ!あなた、拷問を楽しんでいるだけじゃない!)

 今のフリルフレアにできる最後の抵抗だった。

 だが、そんなことは想定内とばかりに気にも留めず、カッパーはフリルフレアの頭を掴む。

「ああ、涙で顔がグチャグチャだな。……綺麗にしなきゃな」

ザバァ!

 次の瞬間、カッパーはフリルフレアの頭を水の中に押し込んだ。突然のことに暴れるフリルフレア。だが、身体を戒める縄と、押さえつける魔物により、その抵抗は無駄に終わる。それでも苦しさによりバタバタと暴れ続けるフリルフレア。

 しかし、次の瞬間頭を押さえつけていた手に今度は引っ張られた。掴み、引っ張られた髪に痛みを感じそうなものだったが、今は息苦しさでそれどころでは無かった。

(空気……空気を…息が……)

 思わず大きく口を開けて息を吸おうとするフリルフレア。だがそれは叶わなかった。それどころか水から顔が上がっているというのにまともに呼吸ができない。

(何で⁉……息が…)

 それでも何とか空気を吸おうとする。わずかに空気が入ってくるが、その酸素量では全然足りない。あまりの息苦しさにパニックり陥りそうになった時、フリルフレアは気が付いた。自分の鼻と口を覆う猿轡の存在に……。

 そう、フリルフレアの鼻と口を覆うように塞いでいる手拭いが水を吸い込み彼女の呼吸するための穴をすべて塞いでいたのだ。これではまともに呼吸ができない。

(お、お願い……これ…外して!)

 必死に振りほどこうと首を振るが、猿轡は一向に緩まない。

「そら、もう一回行くぞ?」

 カッパーの残酷な宣言。再びフリルフレアの頭を掴むと、水の中に押し込んだ。

 バシャバシャと暴れるフリルフレア。

(いやぁ!苦し、苦しい!助けてぇ!ヤダァ、助けてドレイク!)

 拘束を逃れようと必死に暴れるフリルフレア。しかし無情にも頭を押さえつける手は力を緩めることは無い。それどころか、暴れるほどに、力を込めて押し込んでくる。

・・・・・・・・・・・

 そしてどれほど時間が経っただろうか。3分から5分位はは立っていただろうか?段々と抵抗が弱くなってきていたフリルフレア。息苦しさのあまり意識がもうろうとしてきており、もう暴れる力も残っていなかった。

(ゴメンね……ドレイク…)

 それはどういった意味の謝罪だったのか?記憶を共に探そうと約束した相棒を置いて先に命尽きることへの謝罪だったのか。

 次の瞬間フリルフレアの身体から力が抜けた。イカ頭の魔物がその身体を引き上げ、地面に置く。水浸しで縛られたその姿はあまりにも哀れだった。呼吸を阻害していた手拭いは今も彼女の鼻と口を覆い隠しており、その瞳は見開かれていたが、光を宿してはいなかった。

 フリルフレアの命はカッパーにより残酷な方法で奪われた。

「あ、いっけねー、口塞いだまんまじゃ答えられなかったよなぁ!」

 わざとらしくおちゃらけるカッパー。それを見ていたロッテーシャは仮面の奥でため息をついた。

「バカね、殺してどうするの?ローゼリットの居場所を知っていたかもしれないのに」

「まあまあ、そういうなって。それに死んだ後でも情報は引き出せるんだからな」

「またブレインイーターの能力を使う気?」

 そう言ってロッテーシャはイカ頭の魔物の方を見た。どうやらこのイカ頭の魔物はブレインイーターと言うらしい。

「能力は使わなきゃもったいないだろう?こいつに脳みそを食わせれば、その知識や情報が手に入るんだからな」

「脳を食べた相手の知識や能力を得る能力。便利なんだか不便なんだか」

 再度ため息をつくロッテーシャ。だが、カッパーはそんなことはお構いなしにブレインイーターに指示を出した。

「おい、この小娘の脳を吸い尽くせ。そしてローゼリットの居場所を教えろ」

 カッパーの命令に「カシコマリマシタ」と答えフリルフレアに近寄るブレインイーター。そのまましゃがみ込んだ瞬間だった。

ボオウ!

 突如としてフリルフレアの身体が燃え上がる。

「グワ!」

 突然のことに飛び退くブレインイーター。その顔がわずかに焦げていた。

 そうしている間にもフリルフレアを包む炎は激しさを増していた。

「な、何これ⁉一体どういうこと⁉」

「お、俺が知るかよ!」

 驚きを隠せないロッテーシャとカッパー。しかし、フリルフレアを包む炎は激しさを増しているが、不思議なことにそれ以外のモノは全く燃やしていなかった。ただ一つ魔物であるブレインイーターをわずかに焦がしたことを除いて……。

 そしていよいよ炎は激しさを増し……そして次の瞬間跡形もなく消え去った。

「……………な、何だったんだ……?」

 カッパーの呟きだけが響くが、答えられる者はこの場にはいなかった。しかし、ロッテーシャは何が起きたのかを確認するためにフリルフレアに近づいた。

 地面に横たわり死んでいるフリルフレア。相変わらず両手足は厳重に縛られており、鼻から顎までを覆うような猿轡も健在だ。だが、それだけだった。フリルフレアの身体に拷問の痕は何もなかった。折られた翼も潰された指もきれいなままだった。

「こ、これ……どういう事…⁉」

 驚きの声を上げるロッテーシャ。カッパーが何の事だと訊こうとした、まさにその瞬間だった。

ドガアアン!

 激しい轟音とともに、扉がぶち破られる。

「どこだ⁉フリルフレア‼」

 ドレイクの咆哮があたりに響き渡った。





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