青い月はまだ淡い
低く、重く、それでもなお煌びやかに夜の空へと響く鐘音。
誰もいない鏡の世にてその連続を尚更に反響させ、空を充たすのは青い光を放つ無数の月の鏡であった。
「……恐れ入ったよ。まさかこうまで的確に弾かれるとは」
空高くの魔法少女から距離を取る鈴野は、月光を背にしながら見下ろす少女に辟易したように息を吐きながら、けれども優しい微笑みをみせる。
青線によって構築された領域。無数の円盤から発され、数多膨大に反射して空にひしめく青光。
恐るべしはその的確さ。鈴野が放つ鐘音波の悉くを反射し、撃ち合わせて相殺する技量。
そして接近しようにも青い光の軌跡はそれを拒絶し、更には灼かんと張り巡らされたそれら。
その真価は、旧世代屈指の魔法少女たるラブリィベルをして攻めあぐねるほど。
距離を取ったという言い方は正しくない。彼女の間合いから離れざるを得なかったというのが正答。
並大抵の魔法少女とは比較にならない、ともすればこの時代の最強の領域に届いたかもしれないと思えるほど今の結月──否、魔法少女ブルームーンはこの戦場にて猛威を振るっていた。
「で、そこまでして何しに来た? お前を捨てた薄情者の私に、無価値で無意味なお礼参りか?」
向けられた青い光の柱を紙一重で回避しながら、鈴野は口を三日月形にして嗤う。
目の前の魔法少女の執念と、自身へと向けられた悲痛さに満ちた青い瞳を。そしてこんな状況を招いた、己のふがいなさをひたすらに。
「やめとけよ。確かにましにはなったがそれだけだ。ガキの背が少し伸びたって、この私に勝てるわけねえだろうが。私だって、そこまでの愚図に育てた覚えはねえんだけど──」
「うっさい! そうやって、いつもいつもはぐらかさないでっ!!」
青の魔法少女は声を荒げながら、鈴野へ向ける鏡を増やす。
光量は怒りに呼応するように厚く熱く、一層密度は濃くなり鈴野を逃げ先を潰していく。
「私の気持ちも考えないでっ! 勝手に卒業って! いなくならないって言ったのに!」
「私はそこまで弱くないッ!! お姉さんが思うほど、私は大人でも子供でもないッ!! 貴女がどう思おうと、私は貴女の弟子なんだッ!!」
少女は吠える。激情をひたすらに、怒鳴ることなど慣れていない震えた声で。
怒り。悲しみ。苦しみ。彼女の言葉に込められるのは、ひたすらに貯め込まれた今までの鬱憤。
そしてどの感情の根底にあるのは、今光を向けている一人の魔法少女への想いであった。
彼女の叫びは意志。言葉であり、されど言葉を超えた想いの発露。
青の光は伝えるための唱えでなく、ぶつけるための咆哮であれば、全ては夜の空に渡るのみ。
ぶつけるべきはただ一人。今この一時、結月の目にはそれ以外の世界全てですら眼中になかった。
「弱くない、か。……そうだな、お前は私とは違う。あの頃の私はあの人に、そんな風にぶつかれなかった」
ふと空の上で止まる鈴野。青光に呑まれ、全身を灼かれながら顔を下げる。
重ねていたのを自覚した。比べていたのを理解した。自らの幼き頃と、目の前の彼女が似たものだと誤解していた。
けれど違った。彼女はあの日の私などではなく、とっくの昔に自らの手で芽吹いた本物の魔法少女。
贋作であり欠陥品な私とは違う。新世代の連中とも違う。
俯いて助けを乞うだけの小娘ではないと。鈴野は目の前で己に想いをぶつけてくる少女にようやく直視した。
「認めるよ。私はお前を、結月を見誤っていた。……いや違うな。私が勝手に思っていたんだ。それが誠意だって、お前ならばすぐに忘れて生きてくれると思ったんだ」
言い訳だと認めてしまえば、鈴野の口からはするすると言葉は出始める。
まるで懺悔するかのように。或いは、貯め込んでいた自分の決意の反故に安堵するかのように。
「なあ結月。私は過去の清算に行く。恐らく帰ってくることはない。今の私達じゃどう足掻こうが勝ち目のない、戦いだからだ」
「……なんです、それ」
「死にに行くと言えばお前は必ず抵抗する。だからいっそ嫌われて、人並みの、いつか時が埋めてくれる程度の傷で終わらせてやりたかった」
かつて自分がそうだったからと。
そう言いかけた鈴野は、それだけはと喉元で止めながら力のない笑みを向ける。
その言葉、その態度を前にし結月の顔は悲痛に歪む。青い光は揺れる感情を示すように明滅し、魔力は抑えを失ったように暴れ出す。
「ふざけるなッ!! だからって、嘘なんて吐くのは違うだろッ!!」
「そうだな、ほんとその通りだ。辛いのはいつも残される側。……分かっていたことだ。こんな私でさえ、いつまでも引き摺って、あの人と同じ味なんて吸ってやがるんだから」
懐中時計も捨てられない。煙草だってやめられない。
いつまでもいつまでも縋り付いたまま。結局は魔法少女という柵すら捨てきれなかった、哀れで惨めで愚かな女。それが自分の真実なのだと、今宵無数に浮かんだ鏡が嫌が応にも突きつけるのだ。
けれど、だからこそ。
それを自覚しているからこそ、鈴野はゆっくりと顔を上げる。四肢から眼球まで、自らの何もかもに幼気な少女の光を焼き付かせながら。
「じゃあ私も連れて行って! 私だって、力になれるもんッ!!」
「だろうな。お前はそう言うよな。だからこそ、話したくなかったんだ」
鈴野の周囲で揺れる桃色の魔力。その揺らめきに青い光は呆気なく弾かれる。
焦げ付く肌も、全身の傷も、結月が与えた負傷など、最初からなかったかのように消えていく。
「お前一人いたからって何も変わりやしない。あれは本来人類が足掻いて退けるべきもの。お前なんぞが増えたって、無駄な犠牲でしかないんだ」
「そんなの分からないッ! 少なくとも、お姉さん達だけに押しつけていいものじゃないですか!!」
「……そうかもな。全ては自己満足。お前の言うとおり、どこまでいこうが私達の身勝手なんだろうよ」
吐き捨てるように笑いながら、鈴野は自らの魔力を引き上げる。
潺から荒波へ。小さな拳が突き出されれば、結月の展開した鏡の悉くが割れていく。
「なっ……!!」
「今の人類じゃあまだ足りない。せめてもう少し、あと一世紀は進歩と猶予が必要だ。猫型ロボットがなんて贅沢は言わねえが、次に続ける勝ち方なんて出来やしない」
「お前はその柱だ。もしも審判が来てしまったとしてもお前ならば、お前達ならば安心出来る。私達には……響には出来なかった道を拓き先へと繋げられるだろうさ」
夜空に舞い散る魔力の破片。本物の月明かりに照らされて、二人の間にかくも美しき雨が降る。
「い、行かせないっ。ここで貴女を倒して、まだ話を──」
「いいや結月、もう終わりだ」
動揺を顔に出すも、すぐに立て直そうとする結月。
だがその一瞬を、鈴野は当然見逃さない。
一息よりも短い間に、空を踏んで結月の目前へと桜色の魔法少女は接近する。
「がっ……!!」
「じゃあなクソガキ。こんな私のことは忘れて、どうか達者で未来を歩いてくれ」
「おねえ、さん……」
拳は届かず。されど震動は的確に結月を揺らして意識を刈り取る。
変身が解け、ふらつきながら落ちようとした少女を鈴野はその小さな体で優しく抱き留めた。
「……めい」
「はーい☆ あなたのエターナルフェイバリットラブハニーこと狐峰めい☆ ここにすいさーん☆」
眠る少女を抱えながら、一声呼べば次の瞬間を待つことさえなく現れる狐耳の魔法少女。
夜空が取り戻した心地好い静寂を消し飛ばす騒がしい声を出しながら、次の指示を待つ忠犬座りでくるくると鈴野を周りを飛び回る。
「送れ。場所は私が指定する」
「りょうかーい☆ ほい☆」
鈴野が一言頼みながら、自らの脳とめいの脳を繋ぐ。
その思考を読み取っためいは、この上ない笑みを浮かべ、展開している四本の尻尾を振るわせながら、パチンと拍手を空へと響かせる。
そして次の瞬間には、まるで最初からそこにいたかのように夜空は消え。
代わりに殺風景ながら閉塞感のない部屋。白い壁でありながら異常とは感じない、生活の跡が確かにある一室──結月の部屋だった。
「じゃあね姪ちゃん☆ どうか健やかに☆」
「……行くぞ」
「いいの?」
「……ああ。これでもう、言うべきだったことは伝えきった」
鈴野は結月をベッドへと寝かせ、毛布を掛けてから頭を優しく撫でる。
そして「元気でな」と零した後、一歩退いて適当に部屋を眺めていためいに一声かけると、彼女は笑顔でもう一度拍手をすると、二人はその部屋から姿を消した。
「伝えきった……ねえ? ボクとしてはあれじゃやっぱり足りないと思うけどなー☆ 結局は置いていっちゃうわけだし☆ この薄情者☆」
「……じゃあどうすりゃ良かったんだよ。教えてくれよ、めい」
「知らなーい☆ 強いて言えば弟子なんて取らずにいれば良かったんだよ☆ 甘々なひめちゃん☆」
瞬く間にどこかへ現れた二人。
どこかも分からぬ山奥の、見覚えのある屋敷の前。あるとなしを共存させた、恐るべき大結界の中。
そんな場所へ飛ばされた鈴野は苛立ち混じりにめいへと尋ねるも、狐耳の魔法少女はいつもの調子で肩に抱きつきそう答えた。
「或いは塗り潰せば良かったんじゃないかな? 出会ってから今までのメモリーをさ☆」
「……出来るかよ。性悪が」
「だっよねー☆ そんなひめちゃんだからこそ、ボクは真にフォーリンラブなんだぜっ☆」
ぐりぐりと、鈴野の頬に頬を擦りつけるめい。
そんな何も変わらない女を疎ましく思いながら、けれど今は剝がそうと思えずそのままにしながら立ち尽くしていると、屋敷の中から着物の少女が出てきて二人の前まで歩いてきた。
「よう来たのう二人とも。別れはもう……ああ、よく頑張ったのう。ひめや」
「……うるせえ。クソババア」
声を震わせ、瞳は潤ませ、くしゃくしゃな顔をした鈴野。
そんな童のような罵倒を聞いた着物の老少女は、微笑みを浮かべながら鈴野を抱きしめ、本当の子供のように背を優しく叩きながら屋敷の中へと導いた。




