少し近くてはてしなく遠い
不意の乱入はあったものの見事退け、自分の弟子に見事財布を絞られたその翌日。
夕方まで爆睡をかまして一日を消火した鈴野は、夜遅くに宵闇バットもとい夜明けの鳥と雑談配信をしていた。
「……で、そんな感じでこの私が見事鮮やかに解決して、高い鰻を後輩ちゃんに驕ったわけ。どう? 凄くない?」
『ふーん。それは愉快で立派な休日ね。才能あるわよ、三流小説家の』
『草』
『草』
『草』
『よー設定練ってるなぁ』
『魔法少女全否定で草』
昨日の全てを話すわけにはいかず。
けれど話題としてはちょうどいいと、一応特定を避けるために諸々を変えはしたものの、実にそれっぽく語った鈴野。
どこか異世界の吟遊詩人のように、或いは胡散臭い通信販売の営業のように。
饒舌に、抑揚をつけて、一大スペクトルのように語り尽くしたのだが、宵闇バットにそれはもうばっさりと一刀両断にされてしまう。
「酷いよなぁこいつ。おら雑音共、いつもの如く私を擁護しやがれ」
『やだよ』
『コッコちゃんかわいいやたー!』
『死ね鈴』
『痛々しいぞババア』
『チャンネルをコッコちゃんに譲れ』
「はいライン越えたー! 踏んじゃいけない一線踏み越えましたー! お前とお前とお前は五分タイムアウトー! ババアって言ったお前とお前はブロックー!」
『……はあっ』
気付けばゲストそっちのけで喧嘩を始める鈴野とコメント欄。
文字群と鈴野が熱いレスバを交えている最中、バットは深いため息を漏らすのみ。
『……つまんないから帰ってもいい?』
「だめだめだめ! はあっ、はあっ……。し、仕方ない。きょ、今日はこんくらいにしといてやるよ。感謝しろよ雑音共」
『ちっ』
『感謝しろよ?』
『コッコちゃん、コッコちゃん!』
『ぼっちが友達得て調子乗りやがってよぉ』
『¥1000 ベル。今日も口が冴えてるね』
バットの一言でどうにか中断され、脱線していた配信がどうにか元の流れに戻っていく。
「で、何だっけ? 好きなモクの銘柄だっけ?」
『馬鹿じゃないの? 今年の目標よ。今年の目標』
「あーそんなんだったな。……目標、目標ねぇ?」
そういえばそうだったなと、言われて思い出したので考え込む鈴野。
「うーん。チャンネル登録者一万人……はむずそうだし、馬かサッカーで億を当てるってのも興味ねえしなぁ。
『……魔法少女名乗る割に俗物すぎない? っていうか、Vtuberなんだし最初のにしておきなさいよ』
「うっせえ。あと半年しかねえのに一万なんて夢見られるかよ。今3000ちょいだぞ!?」
未だに六桁以上、何だかんだで人が集まりはする炎上企業勢である宵闇バット。
今は偽っているとはいえ、そんな彼女に言われてつい反発してしまう鈴野。
その視線の先には画面には約3000程度と、魔法少女ベルの残酷かつ絶対な現実が示されていた。
「目標なんて出来るぎりぎりのものを選ぶんだよ。それ以上を望むのなら夢になっちまうからな」
『はっ、日和見思考の言い換えでよくもまあ。……じゃあ、そんな貴女の目標とやら?』
「うーん……あっ、あれにしよう。積んであるゲームを消火する。どう?」
『ちんけな目標ね。……ま、お手頃で良いんじゃない?』
言葉の割に随分と優しく、けれどもどこか沈んだ口調で宵闇バットはそう口にする。
いつもと違う心なしか弱々しい声に、鈴野は画面の前で僅かに首を傾げてしまう。
「じゃあコッコ。お前は何がしたいんだよ? 言ってみ?」
『……そう、ね。自由にやりたい。全部を曝け出して、その上で進んでみたい』
「なんだそりゃ。露出癖か?」
心の中の苦虫を噛み締めたような答えに、鈴野は軽く笑いながらも言葉の意味を考えてしまう。
この間もだが、どうにも察してほしそうに憂いているようにしか思えない。
ある程度の親しさは培ったとは思うが、それでもこれ以上踏み込んで良いものかと悩んではいたのだが。
それにしても、こうまで露骨だと逆に問いたくなくなるよね。理由のない逆張りだけど。
『……何かしんみりしてる』
『いや、ねっとり?』
『キマシタワーとかいう次元じゃない気が』
『¥10000 繋がったのか? 僕以外のやつと……?』
『お姉さん?』
「あー、そういうんじゃねえからな、この浮気性なCP厨共め」
『……そうね。まだ会ったことのない友達だもの。それに私はちゃんと男が好きよ』
「そうかい。それは結構。あ、そろそろグルクラの時間だから終わるな。おつおつー」
『は?』
『は?』
『は?』
『切るの雑すぎて草』
『え、まだ一時間くらいあるんじゃ……』
『コラボなの忘れてるだろこいつ』
『え、明日の番宣とかしないんです!?』
『¥1000 お休みベル。明日のコラボ、楽しみにしているよ』
時計を確認することなく、ばっさりと配信を切ってしまう鈴野。
若干の戸惑いの声を乗せる宵闇バットを尻目に、慣れた手つきで諸々のソフトを落としてマウスから手を離し、灰皿にあった比較的白く長い吸い殻を口へと咥える。
『……どういうつもり? まだグルクラまでには余裕がある。コラボの宣伝が今回の主だったよね?』
「あーまあそうだな。……わりい、忘れちまってた」
『貴女ねえ……はあっ、まあいいわ。どうせ誰も期待なんてしてないでしょうし』
一瞬だけ声を荒げそうになるも、すぐに萎ませ落ち着いた宵闇バット。
期待していないと、そのあんまりな言いぐさに鈴野は違和感を覚えながらも、ライターではなく指で火を付け、煙を吹かして室内へと煙を飛ばす。
「なあお前さぁ、何にそんな腐ってんだ? いくら荒れようと落ちぶれようと燃え盛ろうと、お前はネオエンターの宵闇バットだろ? んなに悪い境遇かよ?」
『……あんたに何が分かるの。顔すら知らないのに、私の気持ちなんて──』
「そうだな。私はお前のことなんざほとんど知らん。そしてぶっちゃけそこまで興味もない。例え明日に関係がなくなろうと、きっと数日程度で忘れて次に進むだろうよ」
私もお前も、鈴野は燃やした葉の苦みと刺激を脳へと回しながらせせら笑う。
「だからよ、話してみろよ。そんな吹けば飛ぶ程度の、煙草の煙程度の軽さしかねえ関係なんだ。しゃべる岩に向かって鬱憤晴らせば、少しは気持ちもましな気持ちでコラボ本番に臨めるんじゃねえか?」
『……軽いのか重いのか、はっきりしなさいよ』
ほんの少しだけ、いつも通りの低く棘のある口調へと戻った宵闇バット。
そんな彼女ににやつきながら、頬杖を突きながらとんとんと灰皿を叩きつつ、鈴野は黙ってしまった女の次の言葉を待つ。
『……羨ましいなって。好き勝手配信やって、楽しそうなのが』
「ああ? そういや前々から言っていたな。どこがよ?」
『……最初はそういう配信者を目指していたの。配信を通して自分を見てもらって、自尊心と承認欲求を潤わせたかったの』
やがてぽつぽつと、少しずつだが宵闇バットは話し始める。
けれどその言葉に聞いていた鈴野は、疑問に感じてつい首を傾げてしまう。
「じゃあなんで企業に募集したんだよ。私みたいに個人でやっていれば良かっただろう?」
『……さあ、何でだったのかな。魔が差したのよ。受かるとは微塵も思ってなくて、記念受験よりもお気楽な、やってみたって話だけが欲しくて受けてみたんだもの』
「ふーん」
後悔を滲ませた、自らを心底嘲るような嗤いを白宵闇バット。
けれど鈴野は態度も姿勢も変えず、喫煙しながらただひたすらに適当に相槌を打つ。
『受かっちゃったのよ。今はもうないけど、あの頃はまだぎりぎり素人でも通れてしまっていたのよ。その中で宵闇バットのキャラを与えられて、でもそれは自分とは真逆だった』
「まあ確かに。今のそれとは真逆だもんな。八方美人の蝙蝠女、宵闇バットは」
『……言ってくれるわね。けどそうよ。明るくて、あざとくて、愛嬌があって、誰にだって声を掛けられる天真爛漫な吸血鬼。それが宵闇バット、夜の中に輝く一番星。……楽しいこともあったけど、それでも私には眩しくて、鳥かごみたいに窮屈すぎたわ』
随分と詩的に語るものだと、鈴野は役目を終えた吸い殻を灰皿へと擦りつけ。
そしてもう一本。今度は新品を取り出し火を付けて、変わらぬ味に酔いしれながら、バットの話に耳を傾ける。
「そうかい。けどまあ、その鬱憤で彼氏とヤったのはまずかったんじゃねえの?」
『……やってないわ。ねえ、あの一件のあらましって知ってる?』
「ああ。確かお前が配信切り忘れて、男の声らしきものとお前の喘ぎ声が乗ったんだっけか」
『そうよ。そして乗ったのが、この声』
カチリと、マイクのクリック音が宵闇バットの声に被さる。
それがどういう意味かと、いまいち言葉の意味を呑み込み切れていなかった鈴野の耳に届いたのは、低く良く通る男の声。
『今日も一日お疲れ様。よく頑張ったね。辛いだけの仕事なんて忘れてさ。これから始める俺との時間を楽しもうぜ』
「……ああ? な、何だこれ……?」
『ASMRよ。私のお気に入りの、週末の疲れを癒やすイケボ全肯定七十二選』
「……あァ?」
説明されてもまるで意味が分からないと、そう言いかける鈴野。
だがその言葉が喉まで差し掛かったとき、脳裏に一つの考えが駆け巡り、思わず煙草を指から落としそうになってしまう。
「ま、まさか……男の声ってそれ……?」
『……そうよ。これで自分を慰めてたの。あの日は鬱憤溜まっていたから、それはもう大胆に』
「え、ええぇ……?」
なおも後ろで男の声を鳴らしながら、突如とんでもない事実を暴露した宵闇バット。
そのあんまりな真実にそんなのありかと、あんぐりと口を開けてしまった鈴野は思わず煙草を指から落としてしまい、割と真剣に慌てながらもそれを回収する。
『私の喘ぎ声が大きかったのが不幸だったわ。僅かにBGMもあったのに、男役のボイスだけを拾ってしまって燃えたってわけ。笑えるでしょ?』
「お、おう……? ありえ、いやあり得なくも……ない……のか?」
困惑しつつも理解したものの、それでも鈴野は腕を組んでまで悩んでしまう。
まあ確かにあり得なくもないという納得と、そうはならんやろという否定。
ついこの前ミュートミスをやらかした鈴野はその阿呆らしい真相を否定しきることが出来ず。けれどもまあ嘘ではないのだろうと、なっとるやろがいとどうにか内心を納得させる。
「ま、まあそういうミスは誰にでもあるわな、うん。……ちなみに裏垢の方は」
『そっちは事実よ。よくもまあ見つけて結びつけたものよね、熱心なファンに感心するわ』
「ええ……?」
あっけらかんと吐かれた肯定に、鈴野は頭から崩れ落ちてしまう。
そっちは本当なのかよ。……まあ不満だらけのこいつなら当然やってるか。
っていうかこれ、部外者が聞いちゃっていいのか? この秘密を抱えて墓まで行くのか私は?
「……弁明しないのか? 裏垢はまあともかく、お前の炎上の主だった理由はオナってた方だろ? 少なくとも、企業側もある程度ならフォローしてくれるんじゃねえか?」
『オナっ……まあそうね。でもどのみち裏垢は事実だし、今更否定しようが誰も信じず助けてくれずよ』
「……まあ、そうだわな」
『それに丁度良かったのよ。演じるのにもしがみつくのにも、もう疲れちゃったから』
諦めと納得の含んだ声色。
諦観に満ちたその発言に、それもそうだと鈴野は納得して引き下がる。
『あんたとの配信は楽しかったわ。コンプラや余計なことを考えず、臆面もなく言い合える。こんな配信がしたかった、そんな配信をしてみたかった、あの頃描いていたものそのままだったもの』
「……いや、一応コンプラやら倫理には気を遣ってるし、キャラ作り以外は余所と大差ないけど」
『……まあともかく。私の憧れた、夢に見たままの配信だった。……だからあんたにしたのよ、最後のコラボ先は。偶然じゃなくて、ある日見つけたあんたを選んだの』
想像以上に振り回されたけど、と苦言の割には声の笑っている宵闇バット。
そんな彼女の声に、鈴野は少しだけ照れくさくなりながらいつもより強く、白い割に害でしかない煙を体内へ吸い込んでいると、ふとその言動に違和感を覚えてしまう。
「……やめちまうのか? 引退しても、個人でやりゃあ良いじゃねえか」
『……もう疲れちゃったのよ。中途半端にあんたとやっていたら、本当に楽しくなくなっちゃったの』
それは言うつもりというよりは、つい零れてしまったかのような呟き。
けれども彼女が弱々しく笑うのみ。悔しさよりも納得に満ちた、飛ぶのに疲れた蝙蝠の吐露であった。
『もうマネや会社に話は通っているわ。温情として、一応卒業扱いにはしてもらえるって』
「……そうかよ」
『何よ? 光栄に思いなさいよ。部外者ではあんたが初めてなのよ?』
宵闇バットはそう言うが、鈴野の返事に力は入らず。
掛ける言葉が見つからないと、濁すつもりで少し強めに息を吸ってしまい、一気に体内へ充満した煙で蒸せてしまう。
『……大丈夫?』
「あ゛ー平気。問題ない」
『そう。……もうそろそろ切るわ。明日のコラボ、頑張りましょうね』
数秒の沈黙の後、鈴野が次の言葉を発する前に宵闇バットは通話を切ってしまう。
後に残る静寂。一人になった世界にいつもの数倍気まずさの中で十秒ほど黙っていた鈴野は、その静寂を裂くように舌を打ってしまう。
「……はあっ」
乾いたため息。ざわつく心。どうにも収まらぬ、腹の虫。
咥えていた煙の立っていた煙草を空へと軽く吐き、くしゃりと掴んで握り潰してしまう。
「気に入らねえ。気に入らねえなぁ」
パラパラと、手の中で潰れた吸い殻の残骸を灰皿へと捨てながら、己の内で擽っている憤りを言の葉に変えていく鈴野。
自分を出汁に勝手に諦めようとしている女。
自分との配信を楽しいと言った女が、よりにもよって自分との配信で終わろうとしている女。
そして何より、少しずつでも距離の縮まってきたと思い始めていた女が、好きだったものを嫌いなままで終わろうとしている女。
その全てが気に入らない。その言葉も、声も、気持ちも気に入らない。
あいつの思惑通りに、壮大な自殺に付き合わされるのなんてまっぴらごめんであった。
「……決めた。悪い結月。次の配信で、私終わるかもしれんわ」
そうして少し考え、鈴野はやがてそれを思いつく。
配信を楽しみしてくれている、その中でも最も身近な女へ鈴野は届くわけのない謝罪を呟きながらも、それが名案であるとにやりと笑みを浮かべるのみ。
きっと怒るだろう。もしかしたら、あいつはその場ですぐに通話を切ってしまうかもしれない。
けれど知ったことか。好き勝手利用しようとしてるのはあっちで、元々私もそのつもりだったのだから。
「綺麗な葬式になんてしてやるかよ。どうせ燃えるなら地獄の業火で共倒れだ」
鈴野はばっと椅子から立ち上がり、すっきりとした顔で腕を空へと伸ばす。
もう迷いはないと、そんな晴れやかな表情のままパソコンを落とし、服と眼鏡を脱ぎ捨てて風呂場へと向かっていった。




