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第8話

 特例親善大使とは、グラン国とクワンダ国で盛んに行われている交換留学で毎年一年ごとに交替でお互いの国へ留学生を送り出す役目のことだ。

 令嬢達の話題でお察しのように、今年はグラン国からクワンダ国へ留学生を送る番。つまりはグラン国から親善大使が選ばれるということだ。


「どなたが選ばれたのか、そんなにお知りになりたい?」

 

 嫋やかに微笑み、けれど内心は絶対にいたずらっ子のように笑っているマイラ様の台詞に、令嬢達は目をキラキラさせて首を縦に振る。


「今年の親善大使はね、私のお姉様、つまりはクワンダ国女王直々のご指名なの」

 

 まぁ、と令嬢達の声が上がる。


 お役目に選ばれるのは、基本的に両国で何かしらの功績を残した人物に与えられる。つまりは両国で名前を知られていることが絶対条件。更にクワンダ国女王陛下直々のご指名となると、関心度が高くなるのも分かる。分かるけど…っ。


「もちろん、誰もが認める功績を収めているし、私も陛下も納得の人選よ」

「まぁ、では両国の王が認める人物ですのね!」


 誰かしら、と令嬢達は各々名前をあげる。

 詩人として有名な侯爵家ご子息や、他国でも流通しているワインの産領地の伯爵。中にはグラン国屈指の剣士と名高いダグラス様の名前まで上がっていた。『悲恋の人』と称されているラウルの名が出た時には、さすがに呆れたけれども。

 けれど、マイラ様は上がった名前に首を横に振る。


「まぁ、分かりましたわ‼ 両国で名高くて、陛下にも覚えよく功績を収めている人物などお一人しかおりませんもの!」


 誰一人として正解が当てられない中、アナベル嬢が手を上げる。


「思慮深く心優しい、全ての淑女の憧れ、プリ「マーシャリィ・グレイシス様でしょうね」…はぁ!?」


 王弟妃プリシラの名を高らかに言い放とうとして、けれど被せてバウワー伯爵令嬢が放った名前にアナベル嬢の声はかき消された。そして憤慨したアナベル嬢は、おもむろにバウワー伯爵令嬢を小馬鹿にし始める。


「何をおっしゃっているの? この人が特例親善大使ですって? たかが侍女のこの人が?」


 信じられない、とアナベル嬢は声を上げた。他の令嬢達も同じような表情をしているが、誰も声には出しはしなかった。


「たかが侍女、ではありませんわ。王妃付き筆頭侍女。れっきとした高級女官ですわ」

「そうは言っても、子爵家如きが親善大使などと…っ」

「子爵家から親善大使が選ばれた事例はございますわ。特例親善大使に家格は関係ないかと」

「それは全て男性でしたわ! 王族のプリシラ様ならまだしも、下級貴族の女性が選ばれたことなどございません!」

「それはグラン国では、ですわね。女性の活躍が目覚ましいクワンダ国の親善大使は何度も女性がいらしていましたし、グラン国が女性を選んでもおかしいことはございませんわ」


 そうでしょう? とバウワー伯爵令嬢は周囲の令嬢に問いかける。だが、誰一人と反応はしない。戸惑っているのだ。

 一触即発の空気が庭園を漂っていた。


「……なぜマーシャだと思ったのか聞いてもよろしいかしら?」


 そんな中、静かにマイラ様は問うた。


「クワンダ国女王陛下から直々のご指名とお聞きして、真っ先に浮かび上がったのは筆頭侍女様お一人でした」


 バウワー伯爵令嬢は紅茶を置いて、一呼吸置いてから言葉を紡いだ。


「一番の理由は、クワンダ国から交換留学に来られた方々が、『我々の先駆け』だと筆頭侍女様のことをおっしゃっていたからですわ。学園の生徒は誰も信じようとしなかったけれど、今ならその言葉に納得が出来ると思ったのです」


 彼女の口から出た台詞に、私は軽く目を見張った。クワンダ国からの留学生が『我々の先駆け』なんて言っていたなど、初めて耳にしたからだ。それに納得が出来ると言ったバウワー伯爵令嬢にも。


「……そういえば聞いた事があるわ。筆頭侍女様が留学されていた時に大変なご活躍をされたとか…」


 一人の令嬢が小さく呟いたセリフに、バウワー伯爵令嬢は頷く。


「先程も言いましたが、クワンダ国では文官武官共に女性が多く活躍しているのは有名なお話ですわ。それはクワンダ国女王陛下が女性でも能力が高ければ重用しているからです」


 グラン国には侍女などの女官はいるけれども、政治にかかわる文官に女性はいない。武官など以ての外だ。けれどクワンダ国は違う。それは国主が女王だからという理由ではない。


「そのきっかけが、筆頭侍女様がご留学されていた時に、クワンダ国女王陛下の下でご活躍されたことだとお聞きしました。留学に来られた方が敬意を口にされるのは当然ですわ。だって彼らにとって筆頭侍女様は先駆者ですもの」


 それだけで、クワンダ国でマーシャリィ・グレイシスの名がどれだけ名高いか分かる、とバウワー伯爵令嬢は続ける。


「私も誤解をしていた一人ですけれど、グラン国では過小評価されているマーシャリィ・グレイシス様の評価は、他国では追随を許さないほど高いものですわ」


 少しずつ、私が選ばれるなど有り得ないと思っていただろう令嬢達の表情が変わっていく。


「それに、両陛下からの信頼が厚いのは周知の事実。我が国でも筆頭侍女様の名を知らぬ者はいないでしょう」


 それは良い意味でも悪い意味でも、だ。


「それが、私がマーシャリィ・グレイシス様を特例親善大使に任命されたと考えた根拠ですわ」


 それは、断言にも近い物言いだった。


「……ふ、ふふふふ」


 マイラ様が大きく笑い声をあげる。


「素晴らしいわ、バウワー伯爵令嬢。いいえ、シエルリーフィ。貴女の慧眼には恐れ入るわ」

「恐れ多いことにございます」


 いつの間にか他のテーブルの令嬢や、担当している侍女も警護に当たっている近衛騎士らもこちらの会話を注視していた。


「そう、今年の特例親善大使は私の腹心、マーシャリィ・グレイシスよ」


 高らかなマイラ様の宣言に、庭園にいる誰もが驚きの声をあげる。だが直ぐにマイラ様が手を上げると、その騒めきは途端に収まり静かになった。次に続くマイラ様のお言葉を待っているのだ。


「皆が驚くのも無理もないでしょう。この決定に不満を持つ人も少なからずいる事も理解しているわ」


 けれどね、とマイラ様は続ける。


「他国に比べ、グラン国では女性の立場が低いのです。男尊女卑が根強く、またそれがどれだけの人材を損なわせているか考えたことがありますか? 我がグラン国が他国より遅れていると感じたことは?」

 

 しんとした庭園で、お茶会らしからぬ空気が場を占めていた。

 

「我がグラン国も大きく発展する時が来たのです。その為に私の腹心でもあり、クワンダ国でも先駆けとなったマーシャに、グラン国でも先駆けになってもらうことにしたの」


 手招きするマイラ様に、私は頭を垂れた。


「私、マーシャリィ・グレイシスにグラン国特例親善大使という大役を賜りまして恐悦至極に存じます。そのお心にお応えすべく誠心誠意務めさせて頂く所存にございます」

「えぇ、貴女なら出来ると信じているわ。さぁ、頭を上げてこちらへ」


 促されるままマイラ様の傍らへ侍る。立ち上がったマイラ様が私の肩にそっと手を乗せて、それからお茶会に参加した令嬢一人一人と視線を合わせた。


「皆様、よろしいですか。マーシャの後に続くのは、これからのグラン国を担う若い貴女がたよ。私の期待に大いに応えてくれることを願っているわ」


 一人、また一人と感銘を受けた令嬢達が拍手を打ち始める。それはいつの間にか令嬢だけではなく、庭園に居る多くの人が興奮冷めやらぬと拍手の嵐になっていた。

 ただ、その中で納得をしないのは、やはり王弟妃信奉者のアナベル嬢。


「そんなの有り得ないわ。グラン国の未来の先駆けに相応しいのは、この人よりプリシラ妃殿下ですわ!」


 皆が納得していく中、それでも反対の意をあげるのは勇気がいることではあるが、愚か以外の何物でもない。


「黙りなさい。ゴードン伯爵令嬢。これは決定されたことです」

「ですがっ、この人が我が国で何の功績を残したと言うのです! プリシラ様の方がよっぽど国に貢献しているわ。そうでしょう!?」


 周囲に同意を求めるが誰もそれに同調はしない。狼狽えるアナベル嬢は椅子から立ち上がり、フラフラとしながら他のテーブルに賛同者がいないかと探すけれど、顔を顰める人ばかり。

 

「……そんな……っ」


 誰も同調してくれない事に絶望したアナベル嬢は力なく膝をついた。そんな彼女に近づいたのは、バウワー伯爵令嬢だ。


「ゴードン伯爵令嬢。しっかりと目を凝らして御覧なさい」


 凛としたバウワー伯爵令嬢の声に、アナベル嬢はゆっくりと顔を上げる。


「貴女の目の前におわす我が国が誇る王妃殿下が、筆頭侍女様の功績そのものですわ」


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