第2話
私の強い拒絶に、ラウルは一瞬怯む様子を見せた。
それ以上近づいて欲しくはない。思わず睨み付けてしまったのは、私のラウルに対しての面倒臭いという感情よりも、例の事件後に発覚した私の身体の異変が強く拒否をしているからだ。その変化をラウルに知られたくもないし、更に言えば衆人環視の中で晒すわけにはいかない。
「……本当にそれだけが理由なのかい?」
疑わし気な眼差しで少しずつ距離を縮めてくるラウルに、来るなー! と頭の中で警報が鳴り響く。
「他に何の理由が? おかしなことをおっしゃるのね」
背中に走る寒気と、滲みだす冷や汗を微笑で誤魔化しつつ、すり足で距離を保ちつつ逃げの体勢を取る。
騎士のラウルより身体能力は格段と劣るけれど、さすがにこんな王宮で無体な真似はしないだろうから、なんとかこの場を切り抜けたい。だが、ラウルは確実に距離を縮めてきて、彼の香水の香りが鼻に届くかという時、パァンと鋭い音が鳴り響いた。
「そこまでにしとけ」
耳に飛び込んできた聞き覚えのあり過ぎる声に、私は盛大に歓喜である。もちろん心の中だけで。
「あ……、団長、それにライニール隊長まで…」
呆然とした声を出すラウルを他所に、私は脱兎のごとくダグラス様の背後に隠れるようにして逃げ込む。
「ま…っ」
引き留めるラウルの声など無視無視。全身に立った鳥肌を掻き毟ってしまいたい衝動を堪えるのが大変なのに、その原因を待ってやる訳がない。
「いい加減にしなさい。卿はここをどこだと思っているのです」
私に手を伸ばしかけた格好で固まっているラウルに、ライニール様は冷たい声音で言った。
「いえ、そ、それは……っ」
「それは?」
ん? と続きを促すライニール様に、独りよがり劇場どころではなくなったラウルはしどろもどろである。だが直ぐにキッとライニール様をにらみ付ける。
「こ、これは私とマーシャの問題ですので口を挟まないで頂きたい!」
はぁ!? である。まったく答えになってないじゃない。しかもその問題も何も、既に終わった事をクダクダと未練がましくしているのはラウルだけだから!
もうびっくり発言過ぎて言葉も出ない私に、こう言ってますが? と目線だけで問いかけて来たライニール様に盛大に首を横に振る。
「彼女は嫌がっているようですよ」
「……っ、マーシャは誤解をしているのです。ですから、私を嫌がっているわけではありません!」
嫌がってますから! 嫌で堪りませんからぁ! どれだけ好意的に見てるのよぉ! 誤解があってもなくても嫌がってるだろうが! その目は節穴か、こらぁ!!
怒鳴りつけてやりたいのに怒鳴れない、なんていうジレンマ。
「誤解だろうが何だろうが、女性に対する態度ではありません」
「ですが!」
「ですがも何もありません! 恥を知りなさい!」
「……っ」
きゃー、代弁ありがとうございます、ライニール様! もっと言っちゃって、言っちゃって! 胸がすくぅ!
「そもそもここは卿が居るべき場所ではないでしょう。まさかと思いますが、責務を放り投げてきた訳ではないでしょうね?」
「そんなまさかっ! むしろ王弟妃殿下のご厚意により、マーシャに会いに来れたのです!」
「王弟妃殿下のご厚意?」
はい、余計なお世話きた!
「え、えぇ、そうです。マーシャと話をしてくるようにと仰せつかったのです」
だから決して責務を放棄したわけではない、と。
ライニール様は不愉快気に眉を顰め、そして頭上からはダグラス様の呆れたようなため息が聞こえた。
えぇ、えぇ、言いたい事は分かりますとも。
「はぁ、何の理由にもなっていないな」
「全くですね」
ダグラス様とライニール様の台詞に、ですよねー! と無言で同意。
「は……?」
それなのに、なぜ不思議そうな顔しているのか、本当に理解出来ない。脳内にお花畑が咲き乱れていようが、近衛騎士としてはそれなりに有能だと思っていたのだけれども、どうやら私の勘違いだったようだ。これは酷い。
「その『ご厚意』とやらは、筆頭侍女殿の意思を無視してまでする事か?」
「……あっ」
「それとも『ご厚意』ではなく、王弟妃殿下の『ご命令』か?」
「……ぁ……いえ」
ラウルは俯き、小さく答える。自分の間違いに気付くのが遅い。
「こいつは卿の婚約者だったかもしれないが、王宮での立場は『王妃付き筆頭』だ。分かるな?」
ダグラス様は諭すように言った。
つまりは、お互いの立場を弁えろ、とダグラス様は言っているのだ。
百歩譲って未だ婚約関係が続いているか、もしくは友好関係が続いている前提の上で、偶然に会った時などの立ち話程度ならまだ話は分かる。
だが王宮という場所で、近衛騎士と筆頭侍女という立場で、だ。わざわざ待ち伏せて、私の意思を無視してまで『お話』とやらを強要する事はできない、というか、してはいけない。何度もやらかしてくれているけれど、これって本当に当たり前の事。これが王宮ではなく、プライベートだったとしても、婚約破棄をした相手を待ち伏せて強要するとか、これ以上になく迷惑な付き纏い行為である。
例えこれが王弟妃殿下からの『ご命令』だったとしても、王妃付き筆頭(私)には王妃殿下以外の王族からの『ご命令』を断る権利を有しているのだ。よっぽどのことがなければ断りはしないが、権利があるという事がポイント。もしラウルが『ご命令』を強要した場合、王弟妃殿下の名の下に、私=マイラ王妃に喧嘩を売るという行為に値してしまうわけだ。
まぁ正直な所、何度も喧嘩を売るような行為はしてきているけれどもね、今までは見逃してあげていただけだ。感謝して欲しい。
「申し訳ありませんでした……」
その事がやっと理解出来たのか、ラウルは俯きながらもそう謝罪の言葉を吐いた。
「謝罪すべきなのは私にではないでしょう!」
馬鹿なんですか? と音に紡がれない台詞が私の耳には聞こえた気がした。それに馬鹿なんですよ、と心の中でお返事。
言葉の端々からライニール様が苛々しているのが分かる。
「なんて情けない。話をしたいというなら必要な手順を踏みなさい」
ライニール様はその苛立ちを隠しもせず、続けざまに小さな声で、けれどしっかりとラウルの耳に届くように、
「彼女に受け入れられるかは別ですが、ね」
凍えそうな冷たい声音でそう言った。
ごめん。メンタルやられてた……。でももう大丈夫!!!




