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第1話

 ツカツカツカツカ、と足早に私は王宮の廊下をひたすら歩いている。というか、むしろ逃げているが正しい。


「マーシャ、お願いだ、待ってくれ!」

「…………あら、いやだ。幻聴かしら?」


 ふふ、と鼻で笑い、私はその声を軽く無視するのだが、そうはさせてはくれない男がひとり。


「マーシャ!」


 わざわざ走って回り込み、私の前方を塞いでまで呼び止めたのは、近衛騎士第4部隊副隊長ラウル・コールデン。

 先日、婚約破棄をしたばかりの元婚約者である。


「……(ちっ)」


 と、思わず淑女らしからぬ舌打ちと、盛大なため息を心の中で吐いた。


「……まぁ、コールデン副隊長殿。私に何かご用がございますか?」


 どの面下げて? と視線だけで訴えているのだから気付けよ。


「話をしたい。時間を作ってくれないか…っ」


 ちっとも私の視線の意味を受け取ろうともしない元婚約者は、ぬけぬけとほざいた。


「あら、お話ならお伺い致しましたでしょう?」


 わざわざ忙しい時に時間を作って『お話』とやらを聞いてあげたじゃないの。なんともお粗末な『お話』ではありましたけれども。


「いや、そうではなくて……っ」

「あら、おかしなことをおっしゃるのね、コールデン卿」


 小首を傾げて、きょとんとした表情を作ります。えぇ、えぇ、そうでもしないと嫌悪丸出しになってしまいそう。

 こちらが必死に表情を取り繕っているというのに、ラウルと言えばわざとらしく視線を彷徨わせ、けれど意を決したようにピタリを私の顔に照準を合わせてきた。

 はい、きたきた。独りよがり劇場の開演ですよー!


「マーシャ……君は怒っているのかい?」

「いいえ、まさか。ほほほほ」


 今更感満載な問い頂きましたー!

 怒ってなんかいませんよ。怒っているのではなく面倒なだけね。というか私が怒るようなことをしたという自覚があったんだ? とそっちの方に驚きである。


「なら、二人で話をしないか?」

「……まぁ、ふふ」


 誰がするかーーーっ!

 叫びたいけど叫べない。だってここは王宮のど真ん中、グラン国王陛下がおわす宮ですもの。

陛下から呼び出され、王妃宮から出て執務室へ向かう途中に、こんな面倒な奴が待ち受けているなんて思いもしなかったよ。だって、本来だったらこの男だって王弟妃宮にいるはずなんですからね!

 もうさっきから、突き刺さる好奇の視線が痛くて痛くて涙が出そう。


「駄目かい?」


 当たり前です。

 それに『二人でお話』と言いますけど、先日の『お話』を私達だけで行うつもりだったんだけどね、こちらとしては。それなのに当日に王弟妃を伴ってくるじゃない? こりゃ話す価値ないな、と見切りをつけた私は絶対に悪くないと思う。

 それなのに、なぜ婚約破棄してから付き纏ってくるかな、この脳内お花畑男は! あー、めんどう!


「コールデン卿のおっしゃる『誤解』なら解けましたでしょう? これ以上はお話しする必要はないのでは?」


 ご自分の体たらくを披露しただけの意味のない『お話』だったけれど、結果は変わらないのだから満足してよ。婚約破棄した今、何の話が必要なの、ねぇ?


「そんな他人行儀な話し方は止めてくれ! 私の事は『ラウル』と、そう呼んでくれていたじゃないか!」

「まぁ…っ!」


 何言ってるんだろう? 他人行儀も何も、ねぇ?


「私達はもう婚約者ではないのですよ。ただの他人ですのに、名前を呼ぶなんてとても…」


 つまり婚約者でもないラウルは、私を馴れ馴れしく『マーシャ』と呼ぶ権利はないのですけど。


「それに二人きりでお話するというの、少し……ねぇ?」


 外聞もございますので、と困り顔を作ります。表情筋大忙しである。


「例え婚約を解消したとしても、私達は幼馴染だろう? 話をするくらいいいじゃないか」


 ほほう。幼馴染を前面に打ち出して同情を誘うつもりか。だが残念。『幼馴染なのだから許してくれるだろ?』的な下心が見え見えで乗る訳がない。それに、その『幼馴染』を裏切ったのはどちらなのかな、と小一時間くらい説教してやりたい……いや、やっぱり私の貴重な時間がもったいないな。


「申し訳ございま「断らないでくれ、マーシャ」…ぁ?」


 被せてくるか、この野郎。ちょっぴり素が出てきてしまったではないの、止めてよね。


「話をすればきっとわだかまりも解けるはずだ。お願いだ、マーシャ」


 キラキラキラ、っとした何かが飛んできたような錯覚に、心の底からうんざり。そんな私を他所に、ラウルの独りよがり劇場はますます絶好調で。


「君がそんなに頑なになってしまったのは私の責任だ。分かっている」

「…………」

「私はその責任を取りたいと思う。いや、取らせて欲しい」

「………………」

「君が私を責めるのは当然だ。その責めは甘んじて受けるから、だからお願いだ」

「……………………」


 うるうるうる、と瞳に涙が浮かんでいるわけでもないのに、何かが彼の瞳から溢れ出しているんですけど、これなんていう芸当なんだろうか。と、思わず現実逃避。


「私の話を聞いてくれ……っ」


 はいはいはい、熱演おつかれー。もうなんていうの、すっごい演技だとは思うのよ? でもそれは、アネモネ宝飾店支配人であるニールが観劇しそうな舞台上での話であって、残念ながらここは王宮ど真ん中。舞台上ではありません。


「マーシャ……、私の願いを聞き入れてくれ」


 そう真摯な眼差しで訴えられましてもねぇ。あぁ、なんてクソ面倒くさい事極まりない。

 今ここですげなく断ることはできる。きっぱりはっきり『失せろ』と言うだけだ。

 だがしかし。私には、最近上がったであろう評判を下げずに、やんわりと断らなければならない理由があるのだ。

 その理由はただ一つ。


「コールデン卿。ご存じでいらっしゃると思いますが、私は今、婚姻相手を探している最中でございますの」


 新たな婚約者候補探しである。


「それは…っ」

「いくら幼馴染とは言いましても、婚約者でもない殿方と二人きりなどと、そんなふしだらなこと、私にはできませんわ…」


 この嫌味が通じてるかな?

 ラウルと王弟妃は、そんなふしだらな場面を当時婚約者だった私に見られているんだよ。ちゃんと理解してるかな?

 ……してないか。してたら、私にこんな行動とれるはずがないものね。


「……マーシャ」


 その切なそうな眼差しに騙される女性は多いと思う。現に、気配を消しながらこちらを窺っているメイドの感嘆のため息があちらこちらから聞こえてきたしね。

 でも、私には通じない。その眼差しは偽りだって、ちゃんと分かっているもの。


「ご理解下さいませ」


 だから、それ以上近づくな、このヤロウ。


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