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第69話

 時は過ぎ、約束の時間が訪れた。


「答えは出してくれたかしら?」


 顔に微笑みを貼り付けたブーレラン子爵令嬢は、昼とは違い背後に人相の悪い男共を引き連れていた。その中に、リオにやたら反抗的だった男も含まれている。恐らくこれは、私達に圧力をかける為だ。

 自分に逆らうな。言う事を聞けと。


「えぇ、バウワー嬢と色々お話しして結論を出しましたわ」


 でもそんなものに怯む私ではない。だがバウワー伯爵令嬢には少し酷だろう。ランカ水の入っていた水袋をギュッと両手に握り締めた彼女は少し強張っているように見えた。


「でもその前にお話をしませんか? 色々聞きたい事がありますの」

「まぁ、よろしくてよ。でもせっかくですもの。昼食の時と同じように食事を楽しみながらお話しましょうよ」

 

 いやいや、結構です。そうきっぱり言いたいのを堪えて、私は微笑んだ。


「それは素敵な申し出ではありますが申し訳ございません。私、少々疲れで身体に支障をきたしているみたいで、何かを口にしたいと思えませんの。ご理解頂けますでしょう?」


 目を伏せがちにしおらしく。消耗していますよ。抵抗なんてしませんよ、とアピールだ。


「…まぁ、それはそうですわね。こんな状況ですもの。身体が悲鳴を上げても当然の事ですわ。こちらの配慮が足りなくてごめんなさいね」


 この状況を作ったのは誰だって話である。ううん、ブレイスに負けず劣らずに厚顔無恥ぃ。


「いいえ、ご理解頂き嬉しいですわ」

「あらぁ。そんなの当然ではないの。だってグレイシス嬢は私の大切なパートナーになるのですもの」


 うふふ、と笑い声を立てるブーレラン子爵令嬢は、相変わらず王弟妃の模倣を続けている。滑稽だと思っていたのに、今はどこか悍ましい。それに私に断られるなんて微塵も考えていない事が分かる台詞だ。


「ではあちらの方でお話しましょう。お茶くらいは飲めるかしら?」

「…お気持ちだけで結構ですわ」

「あら、そう。残念だわ」


 そう言って、私達はソファに腰を下ろし、一人の男だけがブーレラン子爵令嬢の背後に立った。他の男達は部屋の中に散らばり、それはまるで私達を包囲しているようだった。 

 その際に目の合った反抗的だった男が、一瞬だけニヤリと嫌な笑みを浮かべ、ゾクリとした寒気が私を襲った。なんて気持ちの悪い男だ。


「では、何をお訊きになりたいのかしら。どうぞ遠慮なくお聞きになって。相互理解を深める事は大切ですもの。何でも答えますわ」

「ではお言葉に甘えて」


 余裕しゃくしゃくといった体のブーレラン子爵令嬢だけど、そういつまでそれが続くかな。私が今から話し出す内容は、彼女の予想外のものだ。


「ブーレラン子爵令嬢は2本の虹をご覧になった事はございます? 別称ダブルレインボーと言うのですが」


 強制的にライニール様と出かけた時に、彼から聞いた話だ。


「知らないわ。それが一体なぁに?」


 そんな反応になるのは予想済み。というかむしろ当然。何を聞かれたのか意味が分かっていないでしょう? でもきちんと意味があるんだよ。


「ダブルレインボーは目撃すると、『願い事が叶う』『祝福』『新しいスタート』『人生が好転』と幸運のサインだとかで、私達にピッタリだと思いませんか?」


 貴女はそれを望んでいるのでしょう? そう問いかけると、ブーレラン子爵令嬢は興味が無さ気だったのを一転させ、みるみる間に嬉しそうに破顔した。


「まぁぁっ! なんて素敵なの。グレイシス嬢の言う通り、私達にとってもピッタリだわ」

「そうですよね。王弟妃と私の婚約者の不貞を暴く事で貴女の『願いが叶い』、『新しい人生のスタート』を切り、『人生が好転』して『祝福』ある未来が訪れるのですから」

「なんて私に相応しい。素晴らしいお話だわ、マーシャさん」


 そうでしょうとも。でもね。


「でも中々見る事は難しいそうです。とっても珍しい現象、特別な条件下でしか発生しないのですって。残念ですが、私達が目撃できる可能性はとても少ないと思いますわ」


 元々、貴族女性である私達は室内で過ごす事が多い。それに大量に雨が降った後に見られる事があるという二本の虹だ。お目にかかる可能性はもっと低くなる。


「……私の勘違いかしら? 何か含みを感じるわ」

「勘違いではありませんわ」


 含みをたっぷり仕込みました。それに気付くかな、と案じていたけれど、ちゃんと気付いてくれて良かった。


「どういう意味かしら?」


 扇を広げ口元を隠し、ブーレラン子爵令嬢は訊く。


「そのままですよ。ブーレラン嬢…、貴女の願いは特別な条件下でしか成功しません。でもその条件は決して満たす事はないし、貴女の望みは叶わないと申しています」

「……っ」


 ブーレラン子爵令嬢の表情がとたんに曇る。


「それは、私と共に来るのを断ると言っているのね」

「えぇ。貴女の特別な条件下の中に、私の存在があるのだとしたら尚更頷く事はしません。お断り申し上げますわ」


 きっぱりと言い切ると、ブーレラン子爵令嬢は持っていた扇を振りかぶり、バウワー伯爵令嬢を目掛けて投げつけた。


「きゃっ!」


 扇は慌てて避けようとしたバウワー伯爵令嬢の肩に当たり、彼女は小さく呻き声を上げた。


「リフィ! 私は貴女に説得をしろと命じたわよね。なぜ出来ていないの‼‼」


 金切り声を上げるブーレラン子爵令嬢を、バウワー伯爵令嬢はキッと睨みつけた。


「なあに、その目は。私に逆らう気? どうなるか分かっているかしら…」


 その態度が気に食わなかったのだろう。フルフルと怒りを身体中に滲ませるブーレラン子爵令嬢は目線だけで背後にいた男に合図をする。それに男はニヤリと笑い、一歩進み出る。


「この男に貴女を襲わせてもいいのよ。知っているでしょう。王弟妃宮にいたメイドがどんなに目に遭ったのかを。私きちんと言い聞かせたものね。同じ目に遭いたくなければ、私の命令に従いなさいと」

「…ひっ」


 私は小さい悲鳴を上げたバウワー伯爵令嬢を、男から隠すように背中に庇った。


「なぜ貴女はそんなに言う事が聞けないのかしらね…。役立たずにも程があるわ」


 そう吐き捨てたブーレラン子爵令嬢に、ふざけんな! と喉まで出かける怒号を何とか呑み込んだ。


「半地下にいたあの女性を襲わせたのは、ブーレラン子爵令嬢…貴女なのね?」


 ふつふつと湧き上がる怒りが私の身体中に満ちていく。


「ふふ、そうよ。だってプリシラの為だって煩かったのですもの。私に利用されているだけだと知って殴り掛かってきたりもして…。当然の報いだわ」

「女性の尊厳をなんだと思っているの…っ。貴女も女なら分かるでしょう!」


 それがどんなに辛い事なのか、分からないなんて言わせない。


「そうね。可哀そうだったわ。泣き叫んで必死に逃げようとしてた。ふふふ、無様だったわぁ。なんていい気味なのかしら…ぁ」


 そう言ったブーレラン子爵令嬢の表情は一言で言えば、恍惚。正しくそれだ。ゾッと悪寒が背中を走る。


「うふふ、それに聞いたわよ。あの子、死んだんでしょう? 貴女達も同じ道を通る事になるのかしら。でも仕方ないわよねぇ。それを望んだのはご自分ですもの」


 勝ち誇り、楽しそうに嬉しそうにそう語るブーレラン子爵令嬢に、私は鼻で笑ってやった。


「あの子が死んだ? それを誰から聞いたの?」

「この男が確認したわ。眠るように死んでいたみたい。グレイシス嬢が看病していたのですってね。でも残念だったわねぇ。折角の厚意も無駄足で」


 クスクスとした嘲笑。私がそれを聞いて気落ちするとでも思ったのだろうか。でも残念なのはブーレラン子爵令嬢の方だ。


「あの子なら騎士団に保護されて蘇生処置を受けているはずよ。死んでなんかいない。私が死んでいるように見せかけただけよ」

「まぁ、嘘をおっしゃい。そんな事が出来る訳ないでしょう?」

「出来ますよ。一時的に仮死状態になる薬を飲ませるだけだもの」


 自信満々の私の態度に、ブーレラン子爵令嬢の嘲笑が止む。


「今頃は、意識を取り戻して騎士団の聴取を受けているかもしれませんね。ご愁傷様です」


 残念でした。これで貴女の目論見は全ておじゃんだ。


いつもありがとうございます!

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