第68話
「ひとつだけ聞いて良いかしら?」
「いいわ。何でも答える」
きゅっと唇を噛み締めて頷くバウワー伯爵令嬢。そんなに決心してまで答えるような内容ではないけれど。
「どうしてあの時、聴取室の近くにいたの? 理由があるのよね?」
私が冤罪を掛けられて、聴取室に連行された時の事だ。最初は只の野次馬根性なのかと思っていたけれど、もしかしたら違うのかもしれない。そう思ったのだ。
「あぁ…、それは宝飾店に行った時に、ラウル様のネックレスとは別に壊れた宝飾品をお姉様が出してきたのよ。プリシラ様から内緒でお願いされたからって。だから、その宝飾品が王弟妃宮から盗まれたと騎士が誤解しているのかと思って…」
「うん」
相槌を打ち、続きを促した。
「お姉様から秘密って言われていたけれど、誤解を生むくらいなら口を噤む必要はないなって…。それに貴方が冤罪で捕まるのは可哀そうじゃない。優しいプリシラ様だったらきっと分かってくれると思ったし。だからこの事をラウル様に言わなきゃって…。そしたら…」
「私が血塗れで倒れていたのね」
こくん、とバウワー伯爵令嬢は頷いた。
「そっかぁ、ありがとう」
その答えを聞いて確信をした。生意気な小娘だと思っていたバウワー伯爵令嬢は、正義感を持った優しい娘なんだって。
「べ、別に貴女の為じゃないわよっ」
そして、まさかまさかの私好みのツンデレである事も。なんて嬉しい大誤算。
「誤解でラウル様に処分が下されるかもしれなかったから、ラウル様の為であって、だから…っ!」
うんうん、分かってるって、とニヤニヤ笑みを隠しもしないでいると、顔を真っ赤にして「違うってば!」と叫ぶバウワー伯爵令嬢の可愛い事、可愛い事。そんなに慌てて否定すればするだけ、私のにやけ顔が増すだけなのに。
「何なのよ…っ。さっきまで今にも倒れそうな顔色していたくせに…っ!」
「そういうバウワー嬢も干からびそうなくらい泣きじゃくっていたのにね?」
そう言い返すと悔しそうにもごもごと何か言っているけれど、彼女の言う通りすっかり調子を取り戻している自分がいる。
「話をすり替えないでちょうだい! 私が言いたいのは、ラウル様は不貞なんてしてないって事! 私の説明で分かったでしょ!」
そう言えばそうだったね。すっかり忘れていたよ、うっかりうっかり。
「あぁ、そうね。良く分かったけれど、ね」
ブーレラン子爵令嬢じゃないけれど、『それが何?』なのだ。バウワー伯爵令嬢から、ネックレスが私に贈られた物だと聞いて思ったことと言えば、『ニールの予想が正しかったのか。私の解釈も中々の物だと思ったんだけどな?』である。
「じゃあ、誤解は解けたのだから、仲直り、するわよね…?」
なんでそこまでラウルと私を『仲直り』させたいのか、ちょっと理解が出来なかった。確かに彼女はいい子だと思う。けれどラウルの熱烈なファンだったはずだ。普通なら私との『仲直り』なんてしない方を喜ぶものだと思うのだけど。
でも『仲直り』をしないと納得出来なさそうなバウワー伯爵令嬢に、私は10年前の夜会での出来事を、包み隠さずに話す事にしたのだ。
「え、ウソ…」
「残念ながら本当の事。だから『仲直り』って、そんな簡単な話じゃない事をわかってくれるよね?」
「え、と…、ならどうして婚約破棄に踏み切らなかったの? それはラウル様が好きだからではないの?」
ブーレラン子爵令嬢同様、バウワー伯爵令嬢も、好きで噂話を吹聴する人達も、私がラウルに執着をしていて婚約解消を了承しないと思っていたのだろう。
私は大きく息を吐き、バウワー伯爵令嬢を見つめた。
ブーレラン子爵令嬢とは違い、この娘だったら私がどう思っていたのか理解をしてくれるだろうか。ほんの少し興味が出て来た。
「あのね、婚約破棄をしなかったのはね、決してラウルをずっと想い続けていたからじゃないのよ」
そしてラウルも私を想っているから婚約継続を願ったのでもない。
「最初はね、馬鹿にするなっていう意地だったの。私は都合のいい玩具じゃない。私を好き勝手に扱えると思うなよって」
婚約継続の条件を『婚姻時期は私がその気になった時』と決めた時、絶対に頷いてやるもんかって息巻いてた。
でも、本当はラウルが私に懇願するのを待っていたのかもしれないと、今になって思う時がある。あの時、ラウルが釈明なり謝罪なり、誠意を持った行動を見せてくれたのなら、もしかしたら私は彼を許したのかもしれない。残念なことながら、そんな事は一切なかったのだけども。
「ある日ね、王弟妃が私を学園まで訪ねてきたの。その時に何を言われたと思う?」
「……謝罪…?」
「普通はそう思うわよね」
けれど違った。よく考えれば、謝罪するなら訪問先を学園に選ばない。
「挨拶もそこそこに、『マーシャさんが侍女になってくれて嬉しいわ』よ。もう私吃驚しちゃって」
もう乾いた笑いしか出なかった。よくよく話を聞いてみると、ラウルが私を推薦したのですって。
「思わず、マイラ様の侍女になるから無理ですって断ってしまったのよね」
本当は先に依頼をされていたとはいえ、マイラ様の侍女になる事には迷いがあったのだ。でもなぜかその時に、『逃げなくちゃ』と強く思ったのを覚えている。
「きっと私を王弟妃の侍女にする事で、夜会の日の事をなかった事にしたかったのだと思うわ。本当馬鹿にしてくれるわ。そんな簡単に人を利用しようとするなんてね」
「そんな…っ」
信じたくないよね。バウワー伯爵令嬢は彼らの事が好きだから、尚更信じられないよね。でも、実際に夜会での出来事は、私の近しい人しか知らない事実になっている。
「ショックだったわ。でもその時に思ったの。私を利用するなら、私も彼らを利用しようって」
「…え?」
どういう事? とバウワー伯爵令嬢が訊く。
「王宮に私が出仕し始めたのはマイラ様が僅か9歳の時。誰もマイラ様の味方をしてくれる人なんていなかったの。当時、王太子だった陛下も年下の花嫁をどう扱っていいのか分からず戸惑っていらしたし、家臣も子供だと思って侮っていたわ。王太子妃という重圧だけが9歳のマイラ様に重く圧し掛かっていたの。悪意に満ちた王宮の中で、味方もなく生活するって想像以上に苦しいものよ」
日に日に憔悴していくマイラ様に、どうすることも出来なくて歯がゆかったあの頃。少しでも負担を減らしたくて、守りたくて必死だった。
「少しでも悪意をマイラ様から逸らしたかった。だからその為にラウルとの婚約を利用した」
彼らが『悲恋の人』に見立てられて人気を集めていたのも都合が良かった。
「結構簡単に私への悪意は集めることが出来たわ」
それはまるで、新たな獲物を見つけた獣たちの舌なめずりする音が聞こえるかのようだった。
「私はマイラ様の為にラウルを利用した。そしてラウルも妃殿下の為に私を利用した。似た者同士ね」
けれど、決定的に違う事が一つ。私は自分を犠牲にしたけれど、ラウルは自分ではなく私を犠牲にしたのだ。それを良しとしたラウルに未練など微塵もない。
「でも、だからと言って10年もの長い時間を使う必要性ってあったの?」
バウワー伯爵令嬢のその台詞に、私は自嘲の笑みを浮かべた。
「そうね。それは貴女の言う通りだわ…」
私の心の中にはあるのは後悔だ。
「とっくの昔にそんな物、必要がなくなっているのは気が付いていたわ。私へ敵意を向ける事をしなくても、もうマイラ様はグラン国王妃としてしっかりと立つ事が出来ているのだから」
頭の中に過るのは、リオの言っていた『私のせい』という言葉。もし私がもっと早くに、ラウルとの婚約破棄に踏み切っていたら、あの半地下に置いてきたメイドの女性が酷い目に遭う事はなかったかもしれない。もしかしたら私が知らないだけで、もっと多くの女性達を不幸にしてしまったのかもしれない。
そう考えるだけで、心臓がどうにかなりそうになる。
「もっと早くに婚約を破棄しても良かったの。でも、そう。今度はマイラ様の為にではなく、私の為にラウルを利用するようになったのよ」
ラウルの事を卑怯でずる賢い男だと軽蔑しておきながら、省みると当の自分はなんて卑怯で臆病者だろう。
「……怖くなったの。婚約を破棄したら、今度は新しい婚約者が出来るでしょう? また捨てられたら、必要ないと裏切られたらって…」
誰もがラウルのような浮気をする訳ではないけれど。実際に陛下やダグラス様のように、妻を一途に想っている人もいる。
「王妃宮の嫌われ筆頭侍女が、こんな臆病者で吃驚したでしょう?」
神妙な顔して話を聞くバウワー伯爵令嬢に、私は敢えて陽気な口調で言った。ちょっと話し過ぎてしまったかな、とそう思ったからだ。
バウワー伯爵令嬢は、唇を噛み締めながら首を横に振った。
「そんな風に貴女に思わせてしまったのは、ラウル様なのね…」
「それは少し違うわ。彼はただの切っ掛け。要は自分に自信がないというだけなの」
ぐずっと鼻を啜る音が聞こえた。そんなつもりはなかったのに泣かせてしまった。
「…でも、そうね。一度裏切ったラウルの事を信用する事が出来ないのは確かだわ。だから彼との『仲直り』は無理なの。少しは分かって貰えたかしら?」
バウワー伯爵令嬢は小さく頷き、「ごめんなさい」と、そう言った。
私は俯いたままのバウワー伯爵令嬢の手を取り、立ち上がるように促した。素直に立ち上がった彼女の手を引き、バルコニーへと誘う。
気が付けば陽が大分傾いていて、どれだけの時間を話に費やしていたのだろうか。
「…泣かせてしまってごめんなさい。そして、聞いてくれてありがとう」
そう伝えると、バウワー伯爵令嬢は俯いたまま無言で首を振り、そしてひときわ大きく鼻を啜る音がした。
私は取ったままの彼女の手を握り締めて、ただ静かに瞳を閉じて外の風を感じていた。
それから、どれくらいそうしていただろうか。
「ねぇ…?」
「ん? なあに?」
不意に問いかけて来たバウワー伯爵令嬢に、私は瞳を開けて視界に彼女を入れる。
「………他に好きな人は出来なかったの?」
その純粋な問いに、私は笑みで答えた。それを彼女がどう受け取ったのか、私は知らない。
いつもありがとうございます!




