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第66話

「…なに、あれ」


 最初から最後まで、理解の出来ない不安定な言動の数々。他の人を省みられない視野の狭さ。あまりの底気味悪さに、二の腕が鳥肌でいっぱいだ。

 自分の思い通りにならないからといって、全てが人のせい。挙句の果てにはバウワー伯爵令嬢に罪を被れと強要。何も悪びれないその態度は少し常軌を逸してはいないだろうか。 

 私はその不気味さを振り払うように身震いをすると、大きく息を吐いて気を取り直した。


「ねぇ、大丈夫?」

 

 床に座り込んだままのバウワー伯爵令嬢は、ただただ滂沱の涙を流しながら呆然としていた。その気持ちは分からないでもないけれど、冷たい床に座り込んだままなのを放置はしてはおけない。


「体が冷えるわ。ソファへ行きましょう」


 私がそう言って手を差し伸べると、素直に手を取り立ち上がり誘導されるがままソファの方へ歩き出した。その間もバウワー伯爵令嬢の頬には涙の雫が流れ続ける。

 辛い時、悲しい時って、なぜかいくら泣いても涙は尽きないものなのよね。その気持ちを私は良く知っている。いつか干からびてしまうんじゃないかって変な心配もして、それでも涙を止める事ができなくて。確かあの時はメアリに無理やりストローを突っ込まれたんだっけ。

 バウワー伯爵令嬢の止めどなく溢れる涙を見て、その時の事を思い出してしまって、思わずクスリと笑ってしまった。


「……何がおかしいの?」


 それに気付いたバウワー伯爵令嬢が恨めしそうな眼差しを向けてくる。


「ごめんなさい。決して貴女を笑ったのではないの。昔の事を思い出して、ついね」


 だって、メイドのメアリに「くさっ!」と暴言吐かれたと思ったら担ぎ出されて、気が付けばツルピカにされていたのだ。思い出す度に可笑しくて仕方がないのだから、許して欲しい。


「……なんでそんなに余裕な顔してられるのよ。今の状況をきちんと分かっているの?」


 私のその態度に不満を感じたのか、鼻を啜りながら苛立ちをぶつけてくる。


「これからどうしたらいいのよ。説得って何よ。私に何を説得しろって言うのよ。この人が私の説得に応じてくれる訳ないじゃないの。むしろ逆に論破されるに決まっているわ。最初から私の負け試合じゃないのよ!」


 その通り。よく分析出来てらっしゃることで。


「どうしてこんな事になってしまったのよ。あんなに優しいお姉様だったのに、いつから変わってしまったの…っ」


 おいおいと嘆き続けるバウワー伯爵令嬢の隣に私は座り、そっと背中を撫でる。私の知らない二人だけの想い出があるのだろう。それがあるから、バウワー伯爵令嬢は今までブーレラン子爵令嬢を見捨てず、最後まで引き返すように懇願していたのだろうから。


「バウワー嬢がどうしてブーレラン嬢に尽くすのか私には分からないけど、どんなに嘆いたって今の状況はなにも変わらないわ。今はこれからどうするべきか考える時なの」


 残酷だけど、現実を受け止めて貰わなければ。


「…ぅぅ…っ」

「うん。辛いね。でも頑張ろう。何もしなかったら最悪の事態を招くだけだわ。恐らく、私は殺される。そして全てを貴女に擦り付けて、最終的にはバウワー嬢も口を封じられるわ」


 死人に口なしとよく言うではないか。これは典型的なパターンの内のひとつだ。


「分かっているでしょう。さぁ、顔を上げて。心をしっかり保ちなさい」

「…ヒィ…ッく」

「うんうん。悲しいね、苦しいね。全部終わったらいっぱい泣いてもいいから、ほら頑張れ」


 私の言葉に必死に涙を堪えようとするバウワー伯爵令嬢だが、なかなか上手くいかない。


「困ったわね…。お水でもあるといいのだけど…」


 経験上、こういう時に水を飲むと少しばかり落ち着く事を私は知っている。干からび防止にもなるし。そう思って水差しを求めて周囲を見渡そうとした、その次の瞬間だ。


「ジャジャジャジャーン♪ 困った時は星に聞け、その前にオイラに聞け。いつでもどこでも飛んで来やすよ、キミのため。困り事解消お役立ち間違いなし、細かな心配り達人、オイラ・参・上!」

 

 どこからか、変なのが降ってきた。しかも変な口上とポーズ付きで。


「お嬢さん、お困りでやんすね。さぁさぁ、オイラがその困り事を解消してあげるでやんすよ、キラーン♪」


 あまりの出来事に、私もバウワー伯爵令嬢もポカンと間抜け面だ。そんな私達の様子に気付いているのかいないのか、気にも留めずヤンスは取り出した水袋を差しだした。


「お望みのお水でやんすよ。ささ、受け取るでやんす」

「え、あ…うん。ありがとう…?」


 勢いに押されて、つい受け取ってしまって、んん? とやっぱり首を傾げてしまう。


「どういたしまして、でやんす!」


 愛嬌たっぷりの満面の笑顔。もう何度も見たそれに、やっとの事で呆けていた頭が再稼働。


「そうじゃないっ! 貴方、なんでここにいるのよ⁉」


 というより、どこから来たのよヤンス。今、天井から降ってきたよね⁉


「ビックリしたでやんす? それじゃ大成功でやんすね!」


 ひゃひゃ、と声を上げて笑うヤンスに一睨み。一瞬でヤンスの顔から笑みが消える。


「…あぅ、おっかないでやんすよぉ」


 怒らせているのは誰だ。さっさと質問に答えろ、ともう一睨みすると、ヤンスは慌てて佇まいを正した。


「オイラは頭の伝言を持ってきただけでやんすよ」

「伝言…?」


 リオが私に?


「そうでやんす。あとはオイラと頭はこれからずらかるでやんすから、その前に姐さんに餞別だそうで」

「は? 餞別ですって?」


 何の義理があって? しかも『オイラと頭』に限定されていなかっただろうか?


「まさか、仲間を置いて自分達だけ逃げるつもりなの?」


 トカゲのしっぽ切りも真っ青な薄情っぷり。


「えー、仲間っておもしろい事言うでやんすね。あんな奴ら、仲間でも何でもないでやんす。付き合いだって短いし、情なんてものすら持っちゃいないでやんすよ」

「…え、どういう事…?」

「まぁまぁ、そんな事はどうでもいいでやんすよ。つまらない事は気にしないで、これを素直に受け取るでやんす」


 そう言って押し付けるように手渡してきたそれに、私は目を見張った。


「これは…」

「頭からの伝言。『気が利くだろ?』でやんす」


 ぐうの音も出ない。これを渡してきたという事は、私が何を目論んでいたのか、リオには筒抜けだったという事だからだ。


「………何時から気付いていたの?」

「頭曰く、最初からだそうでやんす」


 うっわ、やられた。


「ムカつくわ…」

「頭にいちいち腹を立てていたら疲れるだけでやんすよ」


 実感の籠ったアドバイスである。リオにも腹は立つけど、ヤンスも同じくらい腹立たしい。けれど、餞別として受け取ったこれは確かに助かるし、気が利くのも間違いない。


「ありがとう…、助かるわ」


 だから、ここは素直にお礼を言ってあげる。悔しいけど!


「頭に伝えておくでやんす」

「そうして」

「んじゃ、そう言う事でオイラは行くでやんすね。姐さんたちもあまり無理しちゃダメでやんすよ。そっちのお嬢さんは姐さんと違って本物のお嬢様のようでやんすし、ほどほどにするでやんす」


 む、本物のお嬢様って何よ。私だってまごう事なく本物の子爵令嬢なんですけど?


「貴方も無事に逃げられるといいわね」


 出来る事なら、だけどね。ふふん。


「あー…、それはこの屋敷を取り囲んでいる騎士達の事を言っているでやんすか?」

「……っむ」

 

 ヤンスの台詞に、今まで私の背中に隠れていたバウワー伯爵令嬢が「え?」と小さく声を上げた。


「そうなの…?」

「…そうよ。うっわ、腹立つ。本当に最初から知っていたのね」


 そりゃもちろん、ヤンスは頷き、背後ではバウワー伯爵令嬢が「そんなの聞いてない」と喚き始める。


「さすが姐さん、抜け目ないでやんすねぇ。でもその上を行くのが頭なんで諦めるでやんすよ。って事でご心配無用でやんす。でも気にして貰えるなんて嬉しいでやんすね」


 そう言って顔を緩ませるヤンスに私はつい口ごもる。心配どころか、嫌味のつもりだったのに全く動じてもいない。逆に私が何とも言えない思いをしただけだ。


「あ、そうそう。あともう一つ伝言があったでやんす!」


 おっとっと、忘れるとこだった、とヤンスはピタリと足を止めて、音もなく私に近づき顔を寄せた。

 そして、今度は一体何よ、と身構える私の耳もとで聞かされた伝言。


「……え?」


 思いもしない内容に、私はヤンスを凝視した。


「んじゃ、ちゃんと伝えたでやんすよ?」


 そんな私の様子を気にする素振りを見せることなく、ヤンスはにかっと全開の笑みを見せただけ。そして現れた時とは正反対に、音もなく静かにバルコニーへ消えていったのだった。


いつもありがとうございます!

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