第62話
短めです。
目が覚めると、一番初めに目に入ってきたのはベッドの天蓋。しかも一目で上等な物だと分かるものだった。
「……?」
初めはなぜ自分がここにいるのか分からなかった。ぼぅっとした頭のまま、首だけを動かして薄暗い室内を見渡すと、誰もいない事が分かった。そしてやはり見覚えのない部屋な事も。
「…………、ぃたっ」
そして思い出した記憶に飛び起き、その瞬間に腹部に走った鈍い痛みに軽くうめき声が零れた。
よくもまぁ、淑女のお腹を遠慮なく殴ってくれたものだ。それに私の服も変わっている。気を失っている時に着替えさせられたのだろう、着ていたのは私が拒んだやたらと豪奢なドレスである。着ていた通勤の為のドレスはどこにいったのか、恐らく処分されたのだろう。ナイフを隠し持っていたから身体検査のつもりだとは思うが、心底、私が攫われたのが勤務中でなくて良かったと胸を撫で下ろした。もしこれがマイラ様から賜った侍女服で、もし悪用されたらと考えるだけでも恐ろしい。文字通り首になる所である。
もちろんリオに対して腹立たしさが込み上げてきたが、それ以上の苛立ちは自分に向けられた。
あの時の、催眠術にかかってしまったかのような鈍い思考と、その後の暴れだして止まらなかった激情。自分で自分が制御できない事が、こんなに怖い物だとは思わなかった。思い出すだけで身の毛がよだつ、これは畏怖だ。
一体私の身に何が起こったのか、分からない。何をされていたのかも、分からない。
確かに心身共に疲れている上に睡眠不足ではあった。だがそれだけではあんな風になる訳がないのだ。何らかの方法によって私は狂わされた、それは間違いないだろう。
悔しくて、情けなくて、唇を噛み締めた。ほんのりと血の味が口内に広がる。
「……落ち着け、私」
何度も深呼吸を繰り返して、何とか自分の気持ちを立て直す。
私は軽く頭を振り、ひときわ大きく息を吐いた。それからベッドを降り、薄暗い部屋の中、真っ先に向かったのはバルコニー。陽を遮る重いカーテンを引くと太陽の光が一気に私を照らした。
「半日、って所かしら?」
太陽がはるかに高い位置にあるのを確認して呟いた。それも日を跨いでなければの話ではあるが、多分時間的に正午を少し過ぎた頃ぐらいだと見当を付けた。
鍵のかかっている扉に手をかける。普通であれば、監禁、または軟禁するのであれば開くはずないのだが、私にはこの鍵が開く事に自信があった。
案の定、カチャリと何の抵抗もなく鍵は開いた。
「……気持ちが良い」
数日ぶりに浴びる陽の光に、私の荒んだ心が洗われた気分だ。
私は瞳を閉じて、新鮮な空気をいっぱいに吸い込み、胸の中にあったモヤモヤを全て吐き出すように長く息を吐く。
今、私がやるべき事は自分を責めることじゃない。反省も後悔も後回し。だけど、絶対にこの悔しさは忘れない。忘れてなんかやるもんか。
心に決めて、私は瞳を開けた。
バルコニーの高さからして、部屋が2階にあるのが分かった。ここから見える景色は、建物は見渡す限り見えず木々が広がっており、しかも丁度バルコニーの下には地面ではなく湖だ。見る限り大分深そうな湖で、ここからの逃亡も侵入も大分難しそうである。
そう考えていると、ざぁ、と風が私の髪を攫っていった。
吹き抜ける風と木々のさざめき、更には聞き覚えのある鳥の声が3度程聞こえて、私は肩から力を抜き大きく背伸びをした。そうすると、呼応するようにまた鳥の声が鳴いて、ますます口端は上がった。
「ふ、ふふ」
なんて穏やかなひと時なのだろう。
この状況下に穏やかだと思える自分にほんの少しだけ声に出して笑った。随分と心の余裕が戻ってきている。自分の意思ではなかったとはいえ、睡眠が取れたのも良かったのかもしれない。
私は部屋の中に入り、全てのカーテンを開く。薄暗かった部屋が陽の光で明るくなり、全体像が見えた。
ふと目に入ったのはドレッサーだ。私がリオに用意させた化粧品が並べてあり、騎士団が向かってくるという時に、よくもまぁ持ち出せたものだと感心してしまった。
私はドレッサーに近づき化粧水が入っている小瓶を手に取った。
ドレッサーの横には箱に入った靴もある。私が着ているドレスに合わせた踵の高いヒールだ。これもきっとリオが用意したものだろう。
私は神経質なくらい何も仕込まれていないか確認をした上で、遠慮なくそれを履くことにした。
せっかくのドレスに裸足だなんて恰好が付かないではないか。どうせなら髪もまとめたかったけれど、ドレッサーの中には髪留め一つも入っていなくて、残念ながら諦めるしかなかった。ライニール様から頂いた髪飾りも行方不明だ。
城に戻った際には謝らないといけないな、なんて呑気に思った自分に、また笑いが込み上げて小さく笑った。
それからどれくらい経っただろう。
ノックが聞こえて返事を返すと、メイドが数人入ってきた。
「お食事の用意をさせて頂きます」
メイドの一人がそう言うと、こちらの返答を聞く事もなく黙々と食事のセッティングをしていく。私は何の文句を言わず、ただそれを眺めるだけ。
セッティングが終わると、メイドが「こちらへ」と言って私をテーブルに座らせた。
「すぐに主人が参りますので、しばらくお待ちくださいませ」
そう言って下がるメイドに、私は言葉を発さずに頷く。そう待たずに、メイドの言うように『主人』とやらは一人の少女を伴って現れた。
「バウワー伯爵令嬢…」
バウワー伯爵令嬢は私を見て何かを言おうとしたが、その言葉は発される事なく背後から来たもう一人の人物の声にかき消された。
「お待たせしましたわ、グレイシス子爵令嬢」
ワインレッドと金色の刺繍がふんだんに使われた豪勢なドレスと、大ぶりの宝石を使った宝飾品をこれでもかという位に身に付けた人物。『主人』と呼ばれたのは、バウワー伯爵令嬢ではなく、こちらの人物なのをこの一言で表していた。
「……ご招待いただき、お礼を申し上げますわ…」
そう返事をした私の嫌味を、エイリア・ブーレラン子爵令嬢は扇で口元を隠したまま、目元だけで微笑むのだった。
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