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第61話

 私が原因だと否定しきれないのは、リオの言い分にも一理あるとそう思う自分がいたからだ。

 私はヤンスにした糾弾を思い返す。自分が実際に手を下していないからといって関係ないという顔をするな、と、そう糾弾した。可哀そうだと、同情する権利さえないと。

 リオの言葉に、それは私自身にも言える事ではないだろうか、そう思ってしまったのだ。


「あんたはさ、自分のせいだって思いたくないだけだろ。自分は正しい。間違ってないって。だから正論で人を攻撃するんだよな。自分の過ちを隠したいからさ」


 耳もとで囁くようにリオは言う。


「清廉潔白な自分を守りたいもんな。正当化したいよなぁ、分かるぜ。誰だって自分が可愛いからさぁ…」


 それはまるで呪文のように、頭の中でリオの台詞が木霊する。


「なぁ、今どんな気分だよ。あんたの罪が目の前にあるんだぜ?」


 ほら、しっかり見ろよ、とリオは私の顔を横たわっている女性の方へ無理やり向けた。生気の全く感じられない横顔は今にも息を止めそうに見えて、知らず知らずのうちに震えている事に気が付いた。


「直視したくないよな。男たちに嬲られてさ、絶望だよなぁ。これからの人生、終わったも同然だしなぁ。それもあんたのせいで」


 くく、と耳もとでリオが喉を鳴らす音が自棄にはっきりと聞こえる。


「なぁ、もしあんたが望むなら俺が女の息の根を止めてやってもいい」

「……ぇ?」


 今、私は何を言われたのだろう。思考がままならない。まるで酩酊してるようで、全く頭が働かないのだ。


「死んだ方が女の為だろうよ。ここから生き延びて、運良く社会復帰できたとしてもよ、傷のついた女には変わりはねぇだろ。世間の白い目に晒される辛さを味わう位だったら、このままいっそってな。それに今にも死にそうなんだ。少し位早まったくらいで何も変わらないだろ、な?」


 あんたはどうしたい? とリオは囁く。


「心配しなくても大丈夫。後始末はしっかりやるから、絶対にあんたが俺に望んだ事だなんてバレやしねぇ。だから誰にも責められないし、嫌われねぇよ」


 くらくらと眩暈に似た感覚の中、私は必死にリオの言う言葉を理解しようとしていた。


「何…を?」


 言っているの? 息の根を止める? それは何で? 何のために? 私がそれを望むから? いつ私がそれを望んだの? あぁ、それは彼女が私の罪だから消してしまいたい、そう思っていると?


「今の気持ちを素直に言ってみてもいいんだ。誰にも邪魔はさせねぇ。あんたの願いを俺が叶えてやるよ」


 どうしてだろう。ねっとりとした声で誘うそれが甘い誘惑のように思えるのは。鼻孔を擽るリオの体臭さえ甘く感じた。


「あんたはただ俺におねだりすればいいだけだ」


 リオはおもむろに女性に近づき、そして腰にあった剣をスラリと抜いた。私はそれを、まるで舞台を観劇するように眺めていた。


「ほら、言ってみろよ。『お願い』ってな」


 あぁ、これは悪魔のささやきだ。


 リオの甘い誘いに、私の喉は張り付き声が出なかった。だが、その時である。扉を壊す勢いで手下の男が部屋に飛び込んできて、一瞬にして現実に戻ってきたような感覚に襲われた。


「頭、てーへんだ! 騎士団がここに向かってる‼」


 男が飛び込んできたのと同時に、小窓から吹き込んできた風が私の頬を撫でた。その瞬間、霞がかっていた頭がクリアになっていく。そして、同じように先ほどまでの異様な空気も霧散する。

 

「っち、せっかく良い所だったのによ…」


 リオが不満げに舌打ちし、そして剣を持っている方とは違う手で頭をガシガシとかいた。


「ま、ここがバレるのも時間の問題だったしなぁ。仕方がねぇし、予定通り移動すっぞ。慌てず騒がず迅速に、行動開始!」

「へい!」

「了解でやんす!!」


 一瞬で蚊帳の外に放り出された私は、その光景をただ唖然と眺めていた。あまりの切り替えの良さに、白昼夢を見たのかと錯覚してしまいそうだった。

 けれど、ドクドクと脈打つ心臓の音と、びっしょりと汗で濡れた背中。やたら冷たい指先に、間違いなく現実だったのだと悟る。

 リオが再び私に顔を向け、飄々とした格好でニタリと笑った。


「………私に何をしたの…?」


 リオの誘いに喉が張り付いていなかったら、私はきっと誘導されるままに『お願い』と答えていただろう。そんなの私の意思ではない。思考が戻った今、私の状態が普通ではなかったのがはっきりと分かる。


「私に何をしたの! 答えて‼‼」


 先ほどまでの甘ったるい雰囲気はどこにもなく、肩を竦めてリオは言った。


「俺は何もしてねぇよ?」

「嘘おっしゃいっ!」


 何もせずに、あんな状態になる訳がない。先程までの酩酊感、霞がかった思考。クリアになった頭がそれを危険だと訴えている。


「悪ぃがお遊びはここまでだ。あんたには一緒に来て貰うぜ?」

「その前に、私に何をしたのか答えなさい!」


 ギリッと睨みつける。けれどそんな睨みなんてリオには痛くも痒くもないのだろう。


「だから、俺も他の奴らもあんたにゃ何もしてねぇっての。嘘じゃねぇ」

「嘘よっ!」


 私は反射的に叫び、隠し持っていた小型のナイフを取り出してリオに突き付ける。


「おっと…、いつの間にそんなもん隠し持ってたんだよ?」


 ナイフを突き付けているというのに、一向に焦りもしないリオに苛立ちが募る。


「女の嗜みよ。何か文句ある?」

「ぷはっ、んな嗜みがあって堪るかよ、ひっひ」


 なんて楽しそう。少しは狼狽えてくれればいいのに。腹立たしくて、本当に腹立たしくて血管が切れてしまいそう。その位にグツグツと腹の中は煮えたぎっていた。


「御託は良いから答えなさい」

「だぁかぁらぁ、何もしてねぇの!」


 肩を竦め呆れたようにリオは答える。


「それにいいのか。あんたが反抗すれば俺は容赦しねぇよ」


 そう言って、リオは剣を意識のない女性の喉元に向ける。


「止めて!」

「俺に武器を向けるって事はそういう事だ」


 止めて止めて止めて。彼女を殺さないで。助けるって約束をしたのに、お願いだから殺さないで。これ以上彼女を辱めないで。


 そう心の中で叫ぶ。


「止めて…嫌よ…嫌。これは一体何なのよ‼‼」


 どうしてだろう。折角今まで上手く躱す事が出来ていたのに理性が全く利かない。

 誰でもいいから止めて欲しかった。あふれ出る感情で身体のコントロールが出来なくて、身体の中で嵐が起こっているみたいだ。

 激情のままに武器を取り出して歯向かった所で事態は好転しない事は誰だって分かっていた。それなのに、なぜこんなに理性が保てないのか、自分の行動が、自分でも信じられなかった。 


「……あんたが感じた違和感は間違ってねぇよ。けどな…」


 リオがやたら冷静な口調でぽつりと言った。


「それは本当にあんたの自業自得だ、マーシャ」

「っあ!」


 リオの剣が私の持つナイフを弾き、それとほぼ同時に腹部に走った激痛。身体が傾げ、リオの腕の中に崩れ落ちる私がいた。


「……………………………………っくそ…ったれ…っ」


 悔しくて、腹立たしくて、それでも身体は言う事を利かない。薄れゆく意識の中、悪態を吐くのが精一杯だった。


「くく、あんたの顔を立てて、女の命は見逃してやるよ」


 完全に意識を失う寸前、リオがそう言った気がした。


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