表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

61/132

第54話

 数人の男たちに囲まれて連れて来られたのは、薄暗い半地下の部屋だった。


「しばらくはここで大人しくして貰う。お育ちの良い侍女様には少々不適切な部屋だが、贅沢は言ってくれるなよ?」

「…っ」


 剣を見せつけ脅しをかけてくる眼帯の男に、私は何も言わず睨みつける。


「おうおう、負けん気の多い侍女様だなぁ?」


 クックッと馬鹿にしたように笑う男に、トンと背中を押され部屋に足を踏み入れた。埃と湿気まじりのカビの匂いに思わず顔を顰めてしまう。なんとも不衛生な部屋だ。


「安心してもいいぜ。最低限の歓迎はしてやるよ。死なれちゃ困るからなぁ」


 何が面白いのか、笑いが絶えない男はそう言って、他の男が手渡してきた物を投げつけて来た。思わずそれを受け取る私に、眼帯の男は何が楽しいのか喉を鳴らして笑う。


「あぁ、そうそう。一人じゃ寂しいかと思ってお友達も一緒にして差し上げたぜぇ。感謝してくれよなぁ?」


 お友達とは誰の事を指しているのか、と私は内心首を傾げながらも、眼帯の男を睨みつけ続けた。きっと男は私が怯えるのを見たいのだ。その為に恐怖を煽るような事をわざと言っているのだろう。誰が思い通りに怯えてやるもんか。


「いいねぇ。俺は嫌いじゃねぇよ、その気概はよぉ。だが俺以外はどうか知らねぇんだ。侍女様が、お友達のようにならなきゃいいけどなぁ?」


 ますます意味の分からない事を言う男は、声高々に笑い声を響き渡らせる。それに呼応して周囲の男たちも下卑た笑い声を立てた。その笑い声が何とも言えない気持ち悪さを漂わせて、背中に寒気が走る。


「余計な真似しないのが身の為だぜぇ」


 そう最後に忠告を残し、男たちは立ち去った。けれど、笑い声が扉を閉めても響いてきて、寒気が止まらない。


「…しっかりしろ…っ」


 小さな声で、自分を叱咤する。

 落ち着かせる為に何度も深呼吸を繰り返して、その度に鼻につくカビ臭さに、これが夢ではなく現実な物だと思い知らされる。

 ひと際大きく息を吐きだして、それから部屋の中を見渡した。唯一の光が差し込んでくる小さな小窓は天井近くにあり、あれがきっと地上なのだろう。手が届く場所ではない上に足場に出来るようなものもない。例え手が届いたとしても小さな格子がついていて、自力での脱出は諦めるしかない。

 私はため息を吐き、改めて眼帯の男から投げ渡された物を確認する事にした。

 薄汚れた袋に入っていたのは、革の水袋と携帯食、そして旅用の毛布。当たり前だがナイフなどの刃物は入っていない。


「歓迎、ねぇ……。確かに最低限だわ」


 死なせるつもりはないと言っていた。つまりは私に自害などされては困るという事だ。

 携帯食を見てみると、3日分くらいはあるだろうか。節約すればもう少し持つだろう。男性用なのだろう革袋の中にたっぷりと水が入っていて、少しだけ安心を覚えた。水さえあれば、人は一週間は生きられる。


 この誘拐は十中八九、宝飾紛失の件が係わっているのは間違いないだろう。恐らく、ブレイスの強盗まがいの行動も、私を確実に誘拐する為の布石だ。そうでなければ、馬車と護衛をタイミング良く用意できるはずがない。まんまと悪党の罠に嵌ってしまったのだ。


「悔しいったらありゃしないわ…っ!」


 マイラ様の侍女になった当初の危機感を、穏やかな日々を過ごす内に忘れてしまっていたのが悔やまれて仕方がない。


 私が誘拐されたと発覚するのは、屋敷に帰って来ない事を不審に思って王宮に問い合わせをする時だろうか。だが、もし私が帰宅する事の知らせが屋敷に届いていなければ、それはなくなる。けれど明日の午前中には絶対に私が拐かされた事は知られるだろう。カリエに話を聞きに行く約束をしている事もあるし、時間の都合がつけばダグラス様が迎えに来てくれると言っていた。つまりは早くて今夜。遅ければ明日の朝だ。

 それからここを突き止め、助けが来るまでの時間はどれくらいかかるだろう。

 必死に頭を働かせ、自分が出来る事を探していく。絶対に助けが来てくれることは確信していたから、私は身を守る為の行動をすればいいのだ。自力で脱出が出来ないからといって、絶望している暇はない。


「……ん?」


 ふと、見渡して気付いた部屋の隅にある膨らみ。それが僅かに動いたのに視線を止めた。

 そう言えば、眼帯の男が言っていたではないか。お友達も一緒だ、と。

 ゴクリと息を呑み、恐る恐るその膨らみに近づいていく。小さい小窓から差す光だけでは薄暗く、何がそこにあるのかシルエットでしか分からないのだから、近付いて確認するしかない。

 そして一歩一歩近寄り、露わになったその膨らみの正体に、声にならない悲鳴が喉から飛び出した。


「……ぁ…」


 そこにあったもの、いや、居たのは人だ。真っ白く血の気を無くした、薄汚れた女性がそこに横たわっていたのだ。


「…なんて、酷い事を…っ!」

 

 一目で彼女の身に何が起きたのか理解をした。

 私は急ぎ袋の中の毛布で女性の半裸の身体を包み込んだ。喉奥から込み上げてくる衝動を必死に堪えながら、薄汚れた顔をポケットに忍ばせていたハンカチを水に浸して拭っていく。水が貴重な事は理解していたが気にしていられなかった。顔色は真っ白なのに、所々にある赤黒い痣が痛々しくて、私の眦に涙が溜まりだす。けれど涙など拭っている暇などない。少しでも早く、彼女を清めてあげなくては。それが彼女にとって慰め程度のものでしかなくても、でもほんの少しでも綺麗にしてあげたかった。


 一通り清め終わって、眼帯の男が女性の事を『お友達』だと言っていた意味に気付く。この女性は昨年に私が王妃宮から王弟妃宮に異動させたメイドだった。恐らくは、ブレイスに嘘の証言をした後に行方不明になったメイドなのだろう。

 もしあの時点で拘束されていたとしても、証言を偽証した彼女に待っているのは明るいものではなかったと思う。偽証罪は決して軽い罪ではない。それなりの罰を受ける事にはなったかもしれない。けれど、こんな目に遭う事はなかった。そもそも彼女が本当に嘘の証言をしたのかも分からない。私のように冤罪の可能性だってあるのだ。


 女性を介抱しながら、頭の中で眼帯の男の言葉が頭の中で繰り返す。


────侍女様が、お友達のようにならなきゃいいけどなぁ?


 眼帯の男の歪んだ笑みと、周囲の男たちの下卑た笑い声の意味に嫌でも気付く。

 命の保証があったとしても女性の尊厳の保証はないのだと、背中に冷たい汗が流れた。激しい運動をした訳でもないのに、心臓が激しく動いているのが自分でも分かった。息も荒くなり、喉もカラカラだ。


 王妃付きの侍女になって10年間、一度も命の危険がなかったかと言えば、そんな事は決してない。何度も危ない目に遭ってきた。剣の前に身体を晒した事も、毒に倒れた事も、炎に巻かれた事さえあった。どんな時も諦めずに足掻き続けて、危機的状況をギリギリで潜り抜けて今の自分がいる。

 けれど、女性の尊厳の危機に直面したのは初めてだった。

 襲ってくる嫌悪と恐怖。

 さっきまでは命さえ守っていれば助けが来てくれると希望を持っていられたが、そうも言っていられない。今、危機に晒されているのは命じゃない。私の女性としての尊厳だ。もしもその時が来たら、と想像して身の毛がよだった。

 ナイフが無くたって自害する方法はいくらでもある。尊厳を傷つけられるくらいなら、と一瞬だけ強く瞳を閉じた。

 怖くて、気持ちが悪くて仕方がなかったけれど、ふと思い出した左手の薬指にあるリアム君からの指輪が、少なからず勇気をくれた。

 小さな紳士の可愛いプロポーズを受けたのは、つい数時間前。天上にも上る気分だったのに、今は奈落の底に突き落とされた気分だ。


「負けて堪るか…!」


 恐怖よりもふつふつと湧き上がってくる怒りに、唇を噛み締めた。その時だ。


「………ぁ」


 かすかな声が女性の口から漏れ、そしてゆっくりと薄く瞼が開いた。

 女性は私を視界に収め、不思議そうな顔をしたそのすぐ後、思い出したように大きく目を見開き、音にならない悲鳴を上げた。悲鳴を上げたくても声が出ないのだ。ガタガタと身体を震わせて、見えない誰かから必死に逃げようとしている。


「駄目よ、落ち着いてっ!」


 その身体で暴れると、余計に自分を傷付けるだけだ。

 私は暴れる女性を毛布の上から抱きしめる。これ以上傷付いて欲しくはない。


「…っ…あ…っ!」

「私を見て。分かるでしょう? 私は女よ。貴方と同じ女性。貴方を傷つけたりなんかしないわ…っ」

 

 血の気のない顔で倒れていた彼女のどこにこんな力があったのだろう。そんな風に思ってしまう位に力強い抵抗に、私を見てちょうだい、と私は声をかける。ここに貴方を傷付ける人はいないと、何度も何度も辛抱強く。

 声が届いたのか、次第に少しずつ大人しくなっていく女性に、私もホッとして力を抜いた。


「うん、そう。大丈夫でしょう?」


 恐る恐る、でも願うように私の顔を見つめる彼女に優しく微笑みかける。


「さぁ、お水を飲んで。そう慌てないでゆっくりよ」


 水袋では飲む事が出来ない女性に、手のひらで水を掬うようにして飲ませてあげた。やっと落ち着く事が出来たのか、そこで初めて私が誰なのか分かったのだろう。

 唇を震わせた声で、助けて、と彼女は言った。そして、死にたくない、とも。


「もう大丈夫よ。安心してちょうだい」


 そう言ったけれど、そう簡単に信用なんて出来ないだろう。実際に大丈夫だなんて確証はどこにもないのだ。けれど、ここで私が弱気を見せる訳にはいかない。こんな酷い目に遭っても死を選ばず、死にたくない、と言った彼女をこれ以上の絶望に叩き落とすなんて、私には出来なかった。


「私が誰だか知っているでしょう?」


 王妃宮で働いていた時に貴女は私の事をこう言っていたわね、と親が子供をあやす様に頭を撫でた。


「王妃付き筆頭侍女マーシャリィ・グレイシスは目的のためには手段を選ばない女。そうでしょう?」


 その時のそれは悪口だったけれど、決して間違ってない言葉だ。マイラ様をお守りする為に手段を選ばない事なんて日常茶飯事だったのだから。


 そして、私はその全ての目的は達成している。


「だから手段を選ばずに必ず助けるわ、貴女の事を」


 私は自分の恐怖を隠して、不敵な笑みを浮かべてそう言った。


誤字脱字報告、評価、ブクマを有難うございます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ