第4話
「戻ります」
私はそれだけを告げ、歩き出した。後を追うようにラウルが付いてくる。
この場に留まって、これ以上王宮スズメ達に噂話の提供をする気はないのだ。自然に足早となる。
「……」
「……」
「……」
「……何か?」
「いや…」
「そう、ですか」
これ拷問か何かだろうか。
言いたいことがありそうなそぶりを見せる癖に、何も話さない。視線をよこす癖に、私が見やれば速攻視線を外す。ただ黙々と歩いているだけだ。好き好んで世間話をしたい訳ではないが、空気が重すぎて辛い。
昔から私から話題を振らなければ会話ができない人だった。私も兄のケイトも、どちらかと言うとおしゃべりが好きな方だったから、ラウルが喋らなくても困ることがなかったのだ。年々、口下手が酷くなっているような気がする。まぁ、私と話さなくても、さっきプリシラ様とは流暢に会話していたようだし、問題はないようだけど。
私がお仕えする王妃殿下の宮まで、そんな距離があるわけでもないのに、とてつもなく遠く感じる。
精神的苦痛って、本当に時間感覚を失わせるものなのだな、なんて現実逃避をしながら、ただひたすら黙ったまま歩いた。その間も、ちらちら視線が鬱陶しい。
「…マーシャ」
どうやら珍しく話をする気になったのか、私の名を呼んだ。返事をせずに、ちらりとラウルに視線をやるが、目線は相変わらず合わない。けれどそのまま彼は話を始めた。
本当に珍しすぎて意外だ。
「…久しぶり…だな」
「そうですね」
別にこのまま会わなくても問題はありませんでしたが、と心の中でだけで付け加える。
「ケイトは元気か…?」
「私も会っていないので確かな事は言えませんが、手紙を読む限り変わりはないと思います」
兄のケイトは王宮にて文官として出仕している。ついこの間、王宮内の私室に誕生日の祝いのプレゼントと手紙が届いたので、間違いなく元気である。
「兄に直接お聞きになったらどうですか。親友だったではありませんか」
「…あれから会ってない…」
でしょうね。兄は私以上に貴方の所業に怒っていたから。
それを知っていて聞くのだから、私も相当性格が悪いとは思う。
しかし、本当に珍しく彼からの会話が成り立っている。彼はこの10年でちょっとは、会話スキルが成長したらしい。
「ネックレスは…気に入ってくれただろうか?」
「…ネックレス、ですか?」
首を傾げる。そんなもの頂いた覚えはない。
「先日、妃殿下のご領地視察の護衛の際に購入したのだが…」
「私に、ですか?」
小さくラウルは頷いた。
「頂いておりませんが、何かの勘違いでは?」
「おかしいな…」
そう言って、うろたえる様子を見せた。
大方、プリシラ妃殿下の崇拝者が何かしたのだと思うけど、そんな事言っても恋に盲目な彼には意味がないので黙っておく。今までも似たような嫌がらせを受けた事があったのだ。今更驚きもしない。むしろ、ラウルが私に贈り物をしていた、という事の方が驚きだ。
今更、プレゼントなんてどういう風の吹き回しだろう。気味が悪くて、思わず鳥肌が立ってしまった。だからと言って腕を摩るわけにはいかないので必死に堪えていると、カツン、とラウルの靴音が止まった。
不審に思い、私も同じように足を止める。
「どうか…」
したんですか? と問いかけようとして、真剣な顔をしているラウルに言葉を止める。
そして、おもむろに紡いだ彼の言葉に唖然とした。
「マーシャ…、君がプリシラ妃殿下に嫌がらせをしているという噂は本当だろうか」
あまりにも荒唐無稽な台詞に吃驚しすぎて即座に反応が出来なかった。
ポカンとした間抜け面をさらしているのではなかろうか。でも私の顔を見ているようで見ていないラウルは気づかない。
「もしそれが本当なのだとしたら…もう止めて欲しい」
「は?」
気づかないばかりか、顔を顰め、胸を押さえながら、いかにも心苦しいと言わんばかりの様子のラウルに、なぜか一人舞台を見ている気分になる。
「君が責めるべきなのは私だけだ。いくらだって受け止めてみせるから…」
彼女を責めないでくれ。お願いだ…。
ですって。
珍しく多弁だと思いきや、内容はこれだ。ずっと言いたげにしていたのは、この事なのだろう。
呆れ果てて、怒る気にもならなかった。
「あのねぇ…」
これでもか、って言うくらい、これ見よがしに大きなため息を吐いてやった。
ラウルは未だに神妙な顔をしている。
「なぜ私が王弟妃殿下に嫌がらせをしないといけないの?」
声のトーンも表情も変わらないまま、普通に聞いてみる。嫌味に受け取られないように、言葉遣いだけは昔のように砕けたものにした。その方が、ラウルに言葉が通じると思ったから。
「それは…」
言いにくそうなラウルに代わって先に私は言葉を紡いだ。
「貴方の想い人が彼女だから嫉妬してる、とでも思った?」
「……」
違うのか、という表情をするラウル。
「私はコールデン家に10年間ずっと婚約解消を求めているの。結婚を申し入れてきてるのは貴方。拒否をしているのは私。それなのに、なぜ彼女に私が嫉妬をするの?」
理由がないよね、と言葉を続けた。
「それに、私が嫌がらせをしてるなんて噂を誰から聞いたの? 誰が言っているの?」
「それは…」
「言えないかな、言えないよね。私が言ってあげようか。王弟妃殿下のご友人達? それとも王弟妃殿下の宮付きのメイドかな? 違う?」
否定しないという事は、間違いではないのだろう。
「ねぇ、近衛隊って、警護するだけが仕事じゃないよね。何かあれば捜査や調査、取り調べとかもするよね。まさか、噂を真に受けて、なんて事ありえないよね」
「…っ」
「何か確証や証拠があって、私が嫌がらせをしているって言ってるのかな」
「しかし、先ほど…」
「先ほど? もしかして、王弟妃殿下の来訪をお断りした事?」
ラウルの言葉にかぶせるように言い返す。
「…そうだ」
「それの何が嫌がらせなの? 私が王妃付き侍女なの知ってるよね。その私がなぜ王宮の廊下に一人でいたと思う?」
「……」
「陛下の執務室からの帰りだからよ。王妃様からのお手紙を陛下にお届けしたの。嘘ではないわ。陛下がもう少ししたらこちらに来られるから、すぐに分かる事よ。それに、もし私が断らず、王弟妃殿下が来られていたら、恥をかくのはどなた?」
感謝されこそ、非難される覚えはない。思い込みだけで物を言い、私を責めようなんて甘いのだ。
「あと、私がいつ貴方を責めた? いつ貴方が受け止めてくれた?」
私が求めたのは婚約解消だけだ。責めたいのなら婚約破棄を叩きつけている。そもそも10年前の事で、ただ一度として対話したことがないのだ。
いつまでも10年前の事を前提で話しているのは、責任のない噂好きの下働きと、王弟妃殿下サイドの人達、そしてラウルだけ。
「……」
「どうして何も言わないの?」
反論できるものなら言い返してくればいい。10倍返しにしてやるから。
そう思って、はたと自分がヒートアップしているのに気が付いた。せっかく冷静に話をしたかったのに、これじゃ女のヒステリーになってしまう。それでは駄目だ。
ふぅ、と深呼吸をして落ち着かせる。
昔の事は、今はいい。
今の話の論点は、私が謂れのない疑いを懸けられていることだ。
「…近衛騎士団第4部隊ラウル・コールデン隊長殿」
口調を変えた私に気が付いたラウルは、ハッとして顔を上げた。
「私は王妃付き侍女として誇りをもっております。私の全てが王妃様の評価にも繋がることを知っております。責任ある行動を心掛けているつもりです」
恥じ入るような事などしない。
「私がそのような事をしているというお疑いをお持ちでしたら、まず、言い逃れできない確固とした証拠をお持ちください」
疑う前に証拠を出してから物を言え。偏にそう言った。
何も反論が出来ないラウルは、しばらく黙り、そして一言だけ、
「…承知した」
そう言った。
誤字脱字報告ありがとうございます。




