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第52話

「いいか、ダリル。お前は犯してはいけない過ちを犯した。騎士として、この国の貴族としてやってはいけない事をしたんだ」


 私の動揺を知らずに、ラウルはブレイスに諭していく。


「…隊長が何を言っているのか分かりません。過ちだなんて…。俺は騎士として、正義の為の行動をしただけです!」


 心底、何が悪いのか分からない風のブレイスに、この場にいる誰もが呆れにも似た思いを持っただろう。


「君には王妃宮に不当な手段で侵入したという自覚がないのかい?」


 私達の思いを代弁するように、ノア様が冷静に言う。


「貴様…あの時に隊長を侮辱した書記官…っ。貴様などに正義の何が分かる!?」

「君に正義などないことくらいなら分かるけどね」


 馬鹿にした様子を隠しもしないのは、ノア様だけではない。


「ハッ、こいつの部屋に押し入ったから何だって言うんだ。盗人だろ、盗人」


 あくまでも私が盗人だと言うブレイスに、どの口が、と全員が侮蔑に満ちた眼差しを向けた。私が盗人と言うのであれば、同僚である騎士を害し、王妃宮にある私の部屋を荒らしたブレイスは何と呼ばれるのが相応しいのか。


「隊長、俺は証拠を掴む為に止む無く強行したにすぎませんし、おかげで確固たる物的証拠が出て来たではないですかっ。これは俺の手柄です。褒められるべき事であって、こんな扱いを受ける謂れはありませんっ‼‼」

「お前に騎士としての正義が一体どこにあると言うんだ。以前に彼女から言われた言葉を忘れたのか?」

「笑わせないで下さい。こんな女の言う事に何の価値があるのです? 聞く意味もないっ」


 聴取室で言った「近衛騎士としての忠誠は誰にあるのか」と言った事だろう。私を指すラウルに、顔を歪めたブレイスは唾棄するように言い捨てる。


「この女のせいで我々は処分を下されたのですよ? 隊長だってどんな処分を受けるか分からないじゃないですか。妃殿下も今まで十分この女に苦しめられてきたんですよ。まだこれ以上悲しませるつもりですか。隊長もずっと苦汁を舐めさせられていたでしょう? ここで、こいつに鉄槌を下すべきです! 今がその時ですよ‼‼」


 正義とかそんなものではなく、きっとこれが彼の本音だ。


「…残念だ、ダリル」


 ラウルのその声は嫌に廊下に響いた。


「私が言っている意味が分からない以上、お前にグラン国近衛騎士である資格はない」


 そこでやっと自分がどんな視線を向けられているのか気付いたブレイスは、サッと顔色を変えた。拘束されているにも拘らず、妙に勝ち誇っていた態度を取っていたブレイスが、初めて自分の置かれている状況を把握したのだ。

 それに加えラウルに失望され、力を無くし項垂れた彼は小さな声で、そんな、と呟いた。


 私は、その様子をどこか他人事のように見つめていただけ。


「ライニール隊長、私の部下が取り返しのつかない事をしました。謝ってすむ問題ではありません。彼はそちらの方で如何様にでもしてもらって結構です。もちろん、私への処分も前回の分まで踏まえて受け入れる覚悟は出来ています」


 頭を深く下げるラウルに、ライニール様も少しだけ訝しげにしたものの、その実直な様にすぐに頷いた。


「マーシャ…、いや、マーシャリィ殿」


 そして向き直り、真っ直ぐな眼差しを向けてくるラウル。


 そんな彼に、私は言いようのない奇妙な気持ちに襲われていた。

 彼は間違いなく私を裏切った婚約者のラウルだった。だが私の幼馴染のラウルでもあったと、この時にそう思ったのだ。

 今の私の心境を聞く人がいれば、何をそんな当たり前の事を、とそう言うだろう。けれど、このラウルの真摯な態度に、困惑する私の心境も分かって欲しい。

 この10年間、顔を合わせても視線が合う事もなく、言葉を交わしても会話が通じない、終いには悦に浸った独りよがり劇場という理解のし難い行動ばかりを見せられていたのだ。今の私が見慣れているのは、脳内にお花が咲き乱れているラウル。

 それなのに、目の前にいるラウルは私の瞳に真っすぐな視線を向けてくる。ここに来る直前まで、自分の保身の為に私に詰め寄っていた彼はどこにいったのだろうか。

 今更そんな眼差しを向けられても、と不快になると同時に、私の冷え切った心を襲う郷愁。この10年間、思い出す事もなかった幼き頃の優しい思い出に、胸に込み上げるものを感じていた。

 それは、悲しみや恨みではない。もちろん、その頃の恋心や愛情でもない。どうしようもない虚無感だ。 


「すま」「それ以上何も言わないで」


 なぜ、ラウルの言葉を止めたのか、私自身にも分からなかった。それは衝動的に遮っていたのだ。けれど私の声音は酷く冷静なもので。


「…マーシャ殿…」


 隣でノア様の私を気遣う声がした。ライニール様からも視線を感じる。取り繕うなら、きっと今しかない。けれど、私の口からは取り繕うための言葉は出てこなかった。


「その言葉の続きが私への謝罪でしたら結構。聞きたくはありません」


 正直な思いが、口から飛び出て来たのだ。


「私が貴方に望むのは、王妃殿下に対しての謝罪と、この件の早急な解決です」


 それ以上は、今の私には受け入れられない。

 私を襲う、複雑怪奇な思いが溢れそうになるのを必死に堪える。今これ以上、私に何かを与えないで。堪えきれない衝動で、みっともない醜態など晒したくはない。


「承知した…」


 私の強い拒絶に諦めたのか、ラウルはそう言った。


 遠くから聞こえて来たドタドタという足音に、ダグラス様が遅ればせながら到着したのに気付く。急いできたのか、軽く息を弾ませていた。


「おい、マーシャ。一体何があったのか説…明……」


 誰よりも真っ先に、私に尋ねてきたダグラス様の言葉が中途半端に切れる。そして私の顔を無遠慮にまじまじと眺めて、大きなため息一つ。


「お前、もう帰れ」


 とはっきりと言った。


「は? 何を言っているんです。私は当事者ですよ。そんな勝手な事が許される訳ないでしょう?」


 きちんと役割を果たさずに、無責任に私だけ帰るなんて出来る訳がない。


「今のお前では役に立たん。後日、しっかりと聴取をやればいい」

「そうですね。今の状況でしたら私で十分です。それに彼もいますし」


 帰れ、の一点張りのダグラス様を援護するライニール様。ノア様も、そうした方が良い、と一緒になって私を帰らせようとする。

 なぜそんなにも帰れと言われているのだろう。私は不思議で仕方がなかった。別に具合が悪い訳でもないし、ましてや私から帰りたいと言っている訳でもないのに。


「良いから帰れ。んで、いつものようにメアリの腹に癒されて来い」

「残念ながらメアリのお腹は満員御礼です」


 しっし、とまるで虫を追い払わんばかりの態度のダグラス様に、私は言い返した。


「あぁ、そうだったな…」


 ダグラス様が困ったようにカシカシと頭をかき、うーん、と唸る。

 そこまでも困る事でもないでしょうに。どこか他人事のように、私はそんなダグラス様を眺めた。

 でもなんでだろう。無性にメアリに会いたかった。ダグラス様の言うように、メアリのお腹に顔を埋めて癒されたくて仕方がなくて。


「んじゃ、マーシャ」


 ぽんっと頭に乗せられた大きな手。


「俺の可愛い可愛い息子の、可愛い可愛い可愛すぎる気持ちを萎らせんでくれるか?」


 『可愛い』と言い過ぎてウザい、と思ったのは一瞬。すぐにハッとして左手薬指の指輪を見て、血圧が急降下。


「……っ!?」

 

 萎れかけてる…っ、何てこと‼‼ 



誤字脱字報告ありがとうございます。

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