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第48話


 目の前に広がる光景は、悲惨の一言に尽きた。


 王妃宮にマイラ様から私室として与えられた、過ごしやすいようにと長年かけて作ってきた憩いの場が、見るも無残な姿になるなんて今朝の私に予想が出来ただろうか。


「………なんてこと…」


 散乱する衣服と数少ない宝飾品、お気に入りの書籍やタペストリーも床に散らばり見る影もない。頂いたばかりでまだ使い始めたばかりの高級化粧品も中身がボロボロ。もう使用できないのは明らかだ。あまりの状況に愕然とする。


「これは、ない…っ」


 私の心の内を代弁するかのように、誰かが言った。

 




 

■■■■


 時は少し(さかのぼ)る。


 恙無(つつがな)く孤児院慰問を終わらせた私達王妃一行は、夕方頃には王宮に戻っていた。

 マイラ様は王妃宮にて夕餉までの暫しの時間を、ごゆるりとお過ごしになっており、その間に私は陛下への孤児院慰問についての報告を済ませ、ついでにダグラス様にカリエの件についてもさくっと終わらせた。

 何か思う所があったのか、ダグラス様の思案に悩む姿を眺めながら、いつもこんな真面目な顔していればいいのに、なんて思ったのは秘密だ。


 そして只今現在、王妃宮への帰り道の途中である。


「侍女殿! マーシャリィ・グレイシス殿!」


 名前を呼ばれて振り返って、その先にいた人に思わず顔がほころんだ。


「あら、書記官の…」

「えぇ、そうです。覚えていてくれて良かった…っ」


 ホッと息を吐く書記官様に、私はにっこりと微笑み、軽くお辞儀(カーテシー)をする。

 この方を忘れるなんて有り得ない。なんと言っても、衆人環視の中、私の味方をしてラウルを非難してくれた方ですよ。完璧に、とは言わなくても、今まで周知されていた私への悪評を払拭してくれた、言わば立役者だ。感謝しても感謝しきれない、恩人様である。


「もちろんですわ。その節は大変お世話になりました。お見舞いまで贈って下さって…、お気遣いに感謝致しております」 


 そう、更にこの恩人様は怪我で臥せっていた私に、わざわざお見舞いの花束を贈って下さったのだ。知り合いでも何でもなく、たかだが書記官と被疑者という間柄だというのに、だ。なんて良い人‼


「いいえ。私にあの暴挙を防げる能力(ちから)があれば、もっと良かったのだがね…。不甲斐なくて申し訳ない」

「そんな…。書記官様がそのように思う必要はございません。私は本当に心から感謝しているのです。どうぞこの気持ちを素直に受け取って下さいませ」


 誰だって騎士という立場で、被疑者とは言え女性に暴力をふるうなんて思わないし。書記官様だけじゃなく、騎士隊長のラウルだって動けなかったんだから、そんなに気に病む事もないと思うのだけど。あぁ、でも良い人だから気にしちゃうのかな。


「侍女殿は優しいね」


 いえいえ、優しいのは間違いなく貴方ですよ!


「どうぞ私の事はマーシャとお呼び下さい」


 そうにっこりと微笑みながら告げる。


「おっと、これは失礼。私はノア・レッグタルト。どうぞノアと」


 すっと手を取られ、落とされたキスに面映ゆさを感じた。別に変な事をされている訳でもないのに、これが長年女性扱いをされていなかった弊害か。


「ご丁寧にありがとうございます。ではお言葉に甘えて、ノア様と呼ばせていただきますわね」


 そんな動揺を微塵も表に出さず、被るは女性扱い慣れしている淑女の仮面である。


「マーシャ殿は今から王妃宮へ戻られる所なのかね? もし良ければお送りする栄誉に預からせて貰っても?」

「まぁ、もちろんですわ。とても嬉しゅうございます」


 私の仮面も中々な物ではないだろうか。使い慣れていない割にはちゃんと機能している気がする。

 笑顔の対応は正解だったようで、ノア様は満足そうに微笑んだ。そして私の隣へと移動して、それはとても自然に歩き始めた。


「聞きたい事があるのだが…」

「まぁ、なんでもお聞き下さいませ」


 あれですか、聴取を受けた件のことですか。それとも脳内お花畑野郎(ラウル)の事ですかね。あ、優しい方だから怪我の具合かもしれない。とにかく答えられる事ならいくらでも答えますよ。もちろん常識の範囲内だけど、恩人様なので少し位は譲歩しますよ!


 そう朗らかに答えた私へ投げられたのは、予想外の事だった。


「不躾だとは思ったけれど、それが気になってね」


 指差されたのは、先程キスを落とされた手とは反対の左手の薬指に嵌っているもの。シロツメクサで作られた指輪だ。送り主はご想像の通り、小さな紳士リアム君である。今の今まで萎らせないように隙を見て水に潜らせて、わざわざダグラス様に自慢する為に身に付けていたものである。


「これですか? ふふふ、素敵な方からの贈り物なんですよ」


 花指輪をプレゼントしてくれた時のリアムくんときたら、もう最高に素敵でメロメロになってしまったのは言うまでもない。思い出しては、ついつい顔は緩んでしまう。頑張って、私の淑女の仮面!

 

「…っ…ゴホン。それは随分と意味深な場所に…」

「左手の薬指ですものね、ふふ」


 そこに嵌める指輪と言ったら、誰もが思い浮かべるのは結婚指輪だろう。にしてもノア様、なぜに今、言葉に詰まったのよ。そんなになるほど変な顔してたのかな、と内心不安に思いつつ、会話を進めた。


「とっても心揺さぶられる求婚(プロポーズ)を受けましたのよ」


 リアム君に‼ キャー、愛し過ぎる~っ‼‼


「…………まさかとは思うが…あの男が…?」

「あの男…?」


 あの男って誰よ。私に求婚(プロポーズ)してくれるような男が他にいたかな、と頭を働かせるが思い当たりはない。破棄目前とは言え、今はまだ婚約者がいる身なのに求婚(プロポーズ)してくる人なんているはずもない訳で。となると、思い当たるのは只一人。


「あっ! もしかして婚約者(ラウル)の事ですか? ないない、ないですから!?」


 あまりの事に思わず淑女の仮面が外れたので、慌てて被り直して言い募った。


「嫌だわ、ノア様ったら。驚かせないで下さいませ。そんな訳ないではありませんの。アレが私に求婚(プロポーズ)ですって? あり得ませんわ! 花指輪(これ)は孤児院慰問へ伺った時の、小さい紳士からの求婚(贈り物)ですわよ」


 ラウルをアレと言っている時点で、仮面が被り切れていない。だが私の言いたい事は伝わっただろう。

 つまりは、子供のお遊びの一環であり、本気の求婚ではないという事だ。私的には本気で一向に構わないのだけど、さすがに17歳差はないよね。男性が年上であれば、ない事はないけれど、私の方が年上だとねぇ。悪ければ親子ほどの年齢差だ。


「いやいや、これは失礼。さすがに私もないとは思ったのだがね、意味深過ぎて好奇心が抑えられず…申し訳ない」

「謝らないで下さいませ。私も子供からの贈り物が嬉し過ぎて、指輪を外せなかったのも勘違いさせる要因ですわ」


 正確には外せなかったのではなく、嵌め直したのだけれど。


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