第38話
「ねぇ、ブレイス卿。貴方に婚約者はいますか?」
そう問うけれど、ブレイスは怒りに震え答えない。仕方なく隣にいる騎士に同じ事を尋ねると、戸惑いながらも頷いてくれた。
「婚約者と手紙を交わしたことはありますか。そう、騎士のお仕事は忙しいですものね。寂しがらせないようにお手紙を交わすのは大切な事ですわ。お二人で出掛けた事は? あら、評判のカフェですわね。婚約者の方もお喜びになったでしょう? もちろん贈り物もまめにされているのよね? まぁ、夜会に参加される時のドレス一式を? 素敵ですわ。もちろんエスコートは貴方のお役目ですわよね。ええ、だって婚約者の色を纏うのは特権ですものね。当然ですわ」
突然始まった世間話。でも決して関係のない話をしているのではない。
「貴方は婚約者にしっかりと向き合っているのね。素晴らしいと思うわ。どうぞそのまま婚約者の彼女を大切にして下さいませ」
騎士としては駄目だけど、男性として婚約者を大切にしている事は褒められる。おろおろしている隊長であるラウルよりずっと高評価。
「婚約者を大切にする。そんなの当たり前の事ですわ。それが家同士の政略的なものだとしても蔑ろにしていいはずないわ。結婚すれば長い年月一緒に過ごすのですもの。歩み寄りは必要よ。例え好ましくない相手でも最低限のマナーは大切でしょう」
けれど、と私はそっと瞳を伏せた。
「私は社交界デビューをした時から10年間、一度も婚約者からそのように扱われた事がないのです」
その私の言葉に、全員の視線がラウルに向かった。
「そんな男性をどう思いますか。もし貴方方が逆の立場だとしたら、好意を持ち続ける事が出来ますか?」
誰一人として答えない。ブレイスも言葉を失ったままだ。つまりラウルの行動はそれだけ非常識だという事。
「私には無理でした。嫉妬するだけの情熱などとっくの昔に失いましたわ。11歳の頃からの婚約者ですもの。まったく情がないとは言いません。でもそれがこの事態を招いたのだと思うと、とてもではありませんが情さえも消え失せてしまいそうで…」
「…マーシャ、違うんだ…」
力ないラウルの声が聞こえたけれど、私は静かに首を横に振った。
「淑女の風上にも置けない醜女。そんな風に言われる私でも、名ばかりの婚約者と言えど必死にコールデン卿、貴方を立ててきたつもりです。事実とは違う悪評を立てられても、悪意ある噂でどれだけ貶められても、弁解は一切してこなかった……それがいけなかったのですね」
ガッツリと真っ赤な嘘です。ラウルを立ててきた事なんて一切合切ありませんとも。私の都合の良いように利用してきた事がラウルにとって好都合だっただけです。だけど嘘も方便。
「マーシャ…君の気持ちは分かっている、分かっているから…」
それ以上は言わないでくれ、ですかね。嫌でーーーす!! 私の気持ちも全然理解していないから。どの面下げて『分かっている』なんて言えるのでしょうね。それに、私に縋る権利はラウルにはありません。言わないという選択肢は、もう私にはないんですよ。無理無理!
「でも、もう止めますわ」
きっぱりと言い放ち、そして困惑した様子を見せる騎士達と書記官一人ひとりに視線を這わせた。
「私に王弟妃殿下に対しての嫉妬心など微塵もございません。婚約者の立場にしがみ付いているのは、私ではなくコールデン卿の方です」
「嘘だ!!!」
私の台詞に真っ先に反応したのはブレイスだった。ラウルはもう何も言えないようで俯いている。
「嘘だ、嘘だ!! 貴様は我らを騙そうと大嘘を吐いているんだろ! 騙されるもんか!!」
うん。子供の駄々かな。自分の思い描いていた展開にならない事に癇癪を起こしているお子様にしか見えない。
「そうだ。証拠を出せ。貴様が言っている事が正しいと証明できる証拠を。俺が納得できるだけの証拠を出すんだ!!」
自分は誰もが納得できる証拠を用意できなかったくせに、私には完璧な証拠を持ってこいなんて、どの口が言えるのだろう。あぁ、その口か…、と唾の飛び散ったばっちい口を見て思った。
「かしこまりましたわ。その貴方、お願いしてもいいかしら?」
ブレイスの後ろにいた騎士を指名した。
「婚約解消の書類の控えを私の父が保管していますわ。それを持ってきて貰えるようグレイシス家に使いを出して頂ける?」
丁度婚約破棄に関して必要な書類として用意していたから、直ぐにでも持って来れるだろう。
「駄目だ。書類を捏造するかもしれん」
えぇー、偽造書類はそんなに簡単に用意できませんよ。魔法じゃないんだから。
「騎士様が直接行って下さってもよろしいですわよ。それでしたら捏造できませんでしょう?」
「ふん、この事態を予想してあらかじめ偽造でもしているのだろう。ずる賢い貴様が考えそうな事だ」
はい、また暴言『ずる賢い』頂きましたー。確かに貴方のおつむに比べたら賢いですわね、おほほほほ。
「それでは、書類を作成した書士をお呼び下さい。その方から間違いなく書類を作成したと証言して頂けます」
基本的に書士は作成した書類に関して守秘義務があるが、証人として召喚すれば証言するのは可能だ。
「馬鹿を言うな。貴様が抱き込んだ書士の証言など当てになるものか!」
とんだ風評被害ですこと。お門違いもいいところだが、馬鹿は馬鹿なりに頭を使っているようだ。その頭の回転を、もっと違う所に使うべきだと思う。例えば、私のぐうの音が出ないくらいの証拠を集める事にとかね。そうしたら、もう少し手強い相手になったかもしれないのに残念だわ。
「…ふぅ、証拠を出せという割に、こう難癖を吐かれては困りますわね。何です? 私に証拠を出させないよう妨害をされているのでしょうか?」
「貴様が有無を言わせない証拠を出せばいいだけの話だ」
うわー、厚顔無恥という言葉を慎んで差し上げたいね。すっごく似合うと思う。いっその事『コウガン・ムチ』もしくは『ムチ・コウガン』に改名すればいいと思う。
「そうですわね…自宅には婚約解消の控えと共に、コールデン卿が父に婚姻を願う書状もあるのだけど、それも捏造と言われそうですわね…」
10年分しっかり保管してありますとも。だってこれも婚約破棄の提出書類の一つになるもの。婚約者の務めを果たさずに、婚姻だけを求めてくる不埒なふるまいの証拠としてね。
「あら、そうですわ。コールデン隊長に証拠を提出して貰えばいいのだわ」
ね、とラウルを見ると、あからさまに動揺した。
「隊長にだと?」
「ええ、そうですわ。控えが我が家にあるのなら、コールデン卿の元に原本があるのは当然でしょう。もちろん父からの書状も同封されているはずですわ」
これなら捏造しようがないので、文句は言えないわよね。
「ねぇ、コールデン隊長。もちろん提出して下さるわよね」
当然だよね。責任もって同じような事が起こらないようにしてくれるのでしょう? 今がその時ですよ。




