第36話
それからラウルが書記官を連れて戻ってきたのは小一時間ほど経ってからだった。
私に対しての文句ならず只の悪口を正面から延々に言い続けるブレイス卿と、それを両脇と背後から宥める騎士の3人。それをじっと黙って聞いている私、よく我慢したわ。どれだけ机をひっくり返してやりたかった事か。
「書記官をお連れした」
そう言ったラウルの背後から現れたのは、30歳前後のいかにも文官と言った風体な男性だった。私はさっと立ち上がり、書記官の男性に頭を下げる。
「急なお願いを承知して頂きまして有難うございます。大変申し訳ございませんが、どうぞよろしくお願い致します」
本来だったら私が頭を下げる必要はない。だがこれも計算の内である。
書記官の雰囲気からは、納得しない状況の中渋々来たのがありありと分かった。どんな説明をしたのかは知らないが、間違いなく言えるのは、ラウルが上手く説得出来ないまま連れて来たという事。もしかしたら頭も下げず、本当の意味で無理を言ったのかもしれない。そう思えてしまう程に彼の表情は不本意に満ちていたのだ。その中、冤罪を訴える私が謝罪したなら彼の目からどういう印象に映るだろうか。
「…いいえ、貴女が謝る必要はございません。コールデン隊長からは何かの手違いだと聞いていますから」
「それでも、私は当事者ですので…」
「それでは貴女のお気持ちだけ受け取りましょう。さぁ、顔を上げて下さい」
手を取られて体を起こすと、書記官の男性は僅かな笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます」
私もそれに応えるようにささやかな笑みを返した。内心はニヤリである。これで私と彼の間には、はた迷惑な第4部隊に振り回されたという共通の認識が芽生えただろうから。
私はまるでエスコートされるように椅子に促され、彼も書記官の定位置である机に着いた。
その間、騎士の誰一人として何も言わないものだから、印象は最悪でしょうね。謝罪するまでもなく、軽く頭を下げるだけでも受ける印象は全然違うのに馬鹿ばっかりだ。
「確認ですが、王弟妃宮の宝物室への侵入容疑、窃盗容疑での聴取でよろしいですか?」
書記官がラウルに問うが、ラウルは首を横に振り言った。
「この聴取は、そこに座っているダリル・ブレイスが行う。私は只の付き添いだと思って結構」
「……では、ブレイス卿。間違いありませんか?」
いぶかし気な顔で私の正面に座っているブレイス卿に尋ねる書記官。表情だけではなく声音でもうんざりしているのが伝わってくるわ。すっごいその気持ち分かる。だって聴取の付き添いって、何だ、それって普通思うよね。当然の様に口にできるラウルの思考回路が分からない。
「王弟妃殿下への侮辱罪も追加してもらおうか」
ククっと得意げに笑いながらブレイス卿はそう言った。
侮辱罪ときたか。後悔すると思うけど追加したいのだったらお好きにどうぞ。
「承知しました。では用意が出来ましたので始めて下さい」
書記官が言うと、ブレイスはこれ見よがしに咳払いをして愉悦色した目で私を見た。いたぶる気満々だ。うわー、性格悪いね。もう卿なんてつけてあげない。敬意を込めて呼ぶ時に使われる呼称をこいつに使う必要性はないわ。品性というものが全く感じられないもの。
「マーシャリィ・グレイシス。貴様の悪行は全て分かっている。恐れ多くも王弟妃殿下に嫉妬するあまり嫌がらせを繰り返していたな。妃殿下に対しての暴言、王妃殿下への訪問の妨害、それに貴様、有難くも妃殿下からお茶に誘われているというのに一回も参加していないそうだな」
お茶会に関しては間違っていないが、それ以外は見当違いも甚だしい。
「そして、王弟妃宮付きのメイドを言う事を聞かねば首にすると脅したうえで、無理やり協力させ宝物室に入り込み、そして高価な宝飾品を盗んだ。そうだな!」
「身に覚えはございません。全くの冤罪にございます」
「嘘を吐くな。調べはついているのだぞ!!!」
調べとはどのような調べでしょうね。教えて貰いましょうか。
「暴言はメイドから証言はとってある。そして侵入、窃盗に関しては密告によって判明した事だ。言い逃れは出来んぞ!!」
いいえ、しますよ。言い逃れではなく反論ではありますがね。
「お茶会に関してはそうですわね。参加した事はございません」
「ふふん、そうだろう?」
得意げになるのは早いと思うけど。
「ですが嫌がらせではございません。ご存じの通り、私は王妃付きの侍女にございます。休みを頂いてもいないのにお茶会の参加を優先させる訳にはいかないのです。その旨はきちんと王弟妃殿下にお伝えしております」
それでなくとも行きたくはないし、この先誘われても全く行く気はない。
「それと訪問の妨害との事ですが、同じような事をコールデン隊長にも聞かれた事がございます。ですがその際にしっかりとその疑いについては説明させて頂き、納得されたご様子でしたが、その説明を再度した方がよろしいでしょうか?」
私は扉近くにいるラウルを振り向き聞いた。
「…いや、その必要はない」
ですよね。だって恥をかくのは自分達だもの。
「ダリル。その件については解決済みだ」
「その女を庇うのですか、隊長!」
「そうではない。この件に関しては妃殿下も私も納得済みだと言っている」
納得済みとは、非があるのは先ぶれを出さずに訪問してきた王弟妃殿下なのに都合の良い言い方ですこと。
「…チッ」
ものすごい目つきで睨んでくるけれど、痛くも痒くもないのでお好きにどうぞ。それにお楽しみはまだまだこれからですよ。付いてきてくださいね。
「後、証言されたメイドとは、どちらのメイドですか?」
「それが何の関係がある。メイドはメイドだ」
「どこの宮に所属するメイドであるか重要ですわ。まさか王弟妃宮付きのメイドだとは言いませんわよね?」
「その通りだが、それがどうしたというのだ。証言に違いはない」
「では、その証言に間違いがないという裏を取っているのですよね」
「間違いなどあるはずがないだろうが!」
どうして言い切れる。証言だけでは証拠にならないのは当然だろう。だからこそ証言の裏を取る必要があるのだ。
「では、王弟妃宮付きのメイドが、王弟妃宮に足を踏み入れた事のない私の暴言をどうやって聞くことができるのでしょうか?」
「…なんだと?」
基本、王妃殿下の傍にいる筆頭侍女である私は王弟妃宮に行く必要がない。マイラ様の使いで王弟妃宮に向かうのは筆頭の私ではなく他の侍女だし、元より私個人で王弟妃に会いに行く事などない。
「ですから、お茶会に参加した事があるのならまだしも、王弟妃宮へ行った事もない私に、王弟妃宮付きのメイドとは顔を合わせる事すら無理です。侍女なら分かりますがメイドは持ち場を離れて他宮には行けませんし、しかも宮に入るには検問が必要ですわ。それを行うのは宮付きの騎士隊ですわね。その記録はございまして?」
この調子だと調べていないでしょうね。残念過ぎる。
「同じように、使用人を脅して侵入というのも難しいかと思います。それを実行するには使用人だけではなく警備をしている近衛騎士の協力が必要になりますもの。まさかそのような方が第4部隊に?」
「いる訳がないだろう! 第4部隊の騎士を侮辱するのか!!」
そう答えるしかないよね。仲間を疑う訳にもいかないし、何より自分も怪しいと言うようなものだもの。
「そうですわよね。安心しましたわ。それでしたら私の疑いは晴れますわね」
だってそうでしょう?
「侵入できないのなら盗む事も到底無理ですもの」
「…くっ」
「あ、でも私の言い逃れ出来ない証拠があるとおっしゃっていましたわよね。それをどうぞ、お出しになって」
まさか、これで終わりだなんて言わないよね。だってあんな大勢の前で私を罪人扱いしたのだもの。
「どうかなさいましたか? 確固たる証拠があるのですよね?」
「……」
なんで顔を背けるのかな。嘘でしょう。私、まだ論破らしい論破してないからね。まだまだこれからだよね。そうだよね!?




