第32話
「…………」
「…………」
「……ふーん」
「……………」
「へぇ………」
「……………」
「……ほぉ……」
「うっとうしい!!!」
ついうっかり、王宮内で淑女らしからぬ声を荒げてしまった私は、慌てて周囲を見回して、自分とダグラス様以外に誰もいない事にホッと息を吐いた。
「さっきから何です、ダグラス様」
まだ人目の少ない廊下だったから良かったものの、もう少しすれば廊下を抜けて騎士の訓練場が見えてくる。本日が公開訓練日により、訓練している騎士を見定めに夫人令嬢達が来ているのだ。見られでもしたら、また私の悪評となってしまうではないか。
さっさと公開訓練に混ざればいいものを、何で悠々と隣で私を見下ろしているのかな。イラっとするから、そのもの言いたげな視線止めてもらえます!?
「そんなに怒るなよ」
「怒らせているのは誰ですか!」
頭の上から突き刺さる視線が痛いのよ。言いたい事があるなら言えばいいものを、じーっと頭上から見下ろすだけで何も言いやしない。察してちゃんですかーっ。私は魔法使いではないので心の中まで聞こえませんよ!
「言いたい事があるならおっしゃいませ!」
ほらほら、せっかく催促してあげたんだから吐きましょうか。
「……それ」
「それ?」
それとは、どれの事を指しているのかと思えば、先程からずっとダグラス様の視線を奪っていた私の頭にある物。
「あぁ、この髪飾りですか?」
そう尋ねると、ダグラス様は頷いた。
「それが陛下の言っていた奴か?」
「多分そうですね。ライニール様から記念にと頂いた物ですよ」
記念という名の戒め品だが、これがライニール様から頂いた髪飾りだと知っているのは、当人である私とライニール様以外は、両陛下とマリィくらいだから間違いないだろう。
ライニール様との買い出しをした次の日、王宮に戻った私を待ち受けていたのは、ソワソワを隠しきれていないマイラ様だった。好奇心いっぱいのキラキラした目で「どうだった?」と聞かれたら、話さない訳にもいかず、洗いざらい全て話しましたとも。お説教されたことも含めてね。マイラ様は、どうも納得のいかない顔をしていたけれど、これが私の初デートだったのだから仕方がないでしょう。ライニール様は頑張って下さっていたと思います。妙な期待をされていたようだけれど、所詮私相手ですよ。マイラ様が求めているような甘酸っぱいデートにはなりません、残念でした。どちらかと言えば、記念すべき初デートはしょっぱい感じで終了です。
「ライニールと付き合うのか?」
また頓珍漢な事を言い出したよ、この人は。どうしてそうなるの。
「記念に頂いたと言ったでしょう。これはライニール様の気遣いです」
贈り物を貰ったら、即お付き合いになる思考が分からない。
「だが、婚約破棄を了承したと聞いたぞ」
「それは間違ってはいませんが」
文通相手は誰だ。メアリは決して口を割らなかったけれど、情報が早すぎるでしょう。婚約破棄に関する書類は準備段階であって、まだ提出してないのに。
「飛躍し過ぎです。確かに婚約は破棄する予定ですし、その内お見合いでもしようと思っていますが、相手は決まっていません」
「ふぅん…そうなのか」
そうですよ。だから変な勘違いしないで下さいね。ライニール様に変な迷惑をかけるのは嫌ですよ。只でさえ、お説教が身に染みてキリキリしているのに。
ちらりとダグラス様を見上げると、何とも複雑そうな顔をしている。
「はぁ、何です。自称お兄様は、妹が結婚に前向きになった事を喜んではくれないんですか?」
実兄は飛び上がる程喜んでくれましたけど。
「喜んでいいのか迷ってはいるな…」
「なんでまた?」
そんな反応しているのはダグラス様だけだ。
「それでいいのか?」
「いいも何も、何を気にしているんですか」
「だから、話をしなくていいのか? このまま何も言わずに婚約破棄をしてわだかまりは残らないのか?」
「!?」
吃驚した。何に吃驚したかって、デリカシーの欠片もないダグラス様の口から私を気遣う言葉が出てきた事に、だ。あまりにも驚きすぎて、ポカンと大口を開けてしまったじゃない。慌てて手で口を覆った私を褒めてあげたい。
「おい?」
「あ、ごめんなさい」
ちょっと感動してしまった。だってダグラス様にそんな情緒があるなんて思いもしなかったものだから。
んん、と喉を整え、気を取り直してからダグラス様に言われた事について返答をした。
「わだかまり…ですか。うーん、確かに文句ひとつ言えていませんからね。全くないというのは嘘ですが…、相手が話をしようともしてくれませんし」
『ここだっていうタイミングの時に乗っかる事』というメアリの言葉が頭の中で過る。彼女の言っている意味とは少し違うかもしれないけれど、物事にはタイミングというものがあるのだと思う。
「話をすべき時は過ぎてしまったんだと思います。今話し合っても実のない事になりそうで…」
今でもあの時の怒りがひょっこり顔を出す時はあるけれど、何を言っても私の気持ちが伝わる事はないだろう。返ってくるのは気持ちの入ってない謝罪。もしくは理解の出来ない愉快な言い訳を、自分に酔いしれた悲劇の主人公で演じてくれるのだろう。そんな胸糞が悪くなるだけの話し合いなど時間と労力の無駄だ。
「……何です?」
ダグラス様が私の頭を撫でる。
「もしかして労わってくれてます?」
労りにしては力が強すぎて髪が崩れそうですが。まぁ、でも有難くそのお気持ちは頂いておきます。滅多にないダグラス様の優しさでしょうからね。
「お前がそれでいいなら、俺が言う事でもないのは分かっているんだがなぁ」
「ふふ、有難うございます。でもそろそろ離して下さい。人目につきますからね」
そう言うと、ダグラス様は素直に手を下ろしてくれた。私も乱れた髪をサッと整え直す。
「まぁ、あれだ。何かあったら言えよ。この兄が聞いてやるからな」
「その時は自称兄の活躍を期待しておきます」
「大いに期待してくれ」
期待は裏切らんつもりだ、と胸を張って言うものだから、可笑しくて私は笑い声を立てた。どうせなら『つもり』ではなく言い切って欲しかったですけどね。




