第29話
「つ、疲れたぁ~~~!」
ドサッと自室のベットに倒れ込むようにして体を投げ出した。
ドレスが皺になるなんて気にしていられません。まだお昼を回った位だというのに、なんだこの一日重労働をしたかのような疲労感、半端ない。
ライニール様からの説教を受けながらの帰り道は、酷く長い道のりでございましたとも、冗談抜きで。
『いいですか、マーシャ殿。しっかりお聞きなさい』
その前置きから始まるお説教は、反論も言い訳も言い逃れも出来ない事を、今までの経験上私は知っている。
ライニール様曰く、陛下のお言葉をどう考えているか。マイラ様の今回のご命令の真意を理解しているか。婚約が無効になった場合の事を想定しているのか。
その3点に重点が置かれていた。
陛下のお言葉というのは、私を悩ます婚姻の事。その前にラウルとの婚約を何とかしなければ先に進めないなぁ、と何となく後回しにしていたのだが、それをライニール様にはしっかりと見抜かれ、先延ばしはよくありません、とがっつり叱られた。
そしてマイラ様の真意。これは恥ずかしながらライニール様に指摘されて初めて知った。それは婚約が無効になった時の私の事を考えて下さっていた故でのご命令だったのだ。
陛下が私に乳母を望んでいる以上、私の婚約者、または伴侶に座ろうとする有象無象が寄ってくる事は想像するまでもない。
私とて、その位の事は予想出来てはいた。
近づいてくる有象無象の目的が、私の婚約者、伴侶ではなく、あくまでも将来乳母になる私の肩書と、そして次期王位継承者の乳兄弟になるだろう子供であろう事も。
だがマイラ様が危惧されていたのは、そんな事ではなかった。その時のライニール様の台詞はこれだ。
「貴女はご自分が男性に、そして女性扱いにも慣れていない事を自覚なさい。私相手にあの様子だと、百戦錬磨の男性相手だと一瞬で引きずり込まれて気が付けば身動きできなくなっているでしょうね。その時になって後悔して逃げようとしても抜け出せない、底なし沼のように…きっと、足には同じような女性の手が絡みついて…ね」
例えが怖い! だけど、とても分かりやすく理解できましたとも。
つまりは変な男に捕まらないように、男性に慣れろ、女性扱いに慣れろ、口説かれ慣れろ、という事ですね。
そんな変な男に引っかかる程、愚かではありません、と反論したところ、やはり一蹴され、脳内お花畑と婚約を解消してから物を言え、と婉曲的に言い返されてしまった。何も言えず『そっか、あれは碌でもない男だもんね』と変な納得の仕方をしてしまったよ。
そしてライニール様の揶揄いはこれが理由だったのだと察した。甘い言葉も笑みも訓練的な物だと推察する。そう考えれば、ライニール様らしからぬ行動だったし、納得はいくのだけれど、出来れば先に言って欲しかった。無駄に精神力使うのは御免被りたい。
その他にもお説教は実家まで延々と続き、先程やっとお開きとなったのだ。
「はぁぁぁぁ、このまま寝てしまいたい…」
そういう訳にもいかないのは分かっているが、どうにも動きたくない。お腹は空いているし、ドレスも着替えたいし、父と兄にも会いたい。今寝てしまうと夜に眠れなくなるのだから、どうにか起きていたいのに瞼が段々と落ちてくる。
もう、諦めてこのまま夢の中に旅立ってしまおうか、そう思って睡魔に身を任せようとした時、ドアをノックする音が聞こえた。
「…ふぁい」
夢の中に片足を踏み入れたまま、なんとか返事を返す。
「あー、やっぱり」
ドアを開けて部屋に入ってきた聞きなれた声に、私はうっすらと瞼を開けた。
「…メアリ」
「はい。貴方のメイド、メアリですよ。ほら、頑張って起きて下さい。せっかくお帰りになったのに、寝ちゃうなんて勿体ないですよ」
カチャカチャと食器が擦れる音が聞こえ、かすかに香ってくる紅茶のいい香りに鼻が刺激された。
「お腹は空いてませんか。メアリ特製、スモークサーモンとクリームチーズのサンドです。し・か・も、我らがグレイシス領特産上級蜂蜜を添えて。そのまま食べるもよし、蜂蜜をかけて甘じょっぱく食べるもよし、またまた紅茶にお好みで垂らすもよし、お嬢様の好物ですよー。起きないとメアリのお腹の中に入っちゃいますけど宜しいですかー?」
なんだとー?
「うぅぅ…起きる!!」
あんなに眠くて仕方がなかったのに、食欲が眠気に勝利した瞬間である。
「そんなお嬢様が大好き。はい、ベッドから出て座って下さいな。紅茶が冷めちゃいます」
「はいはい、今行きますよ」
重い身体を起こしベッドから這い出る。その瞬間、頭から髪飾りが滑り落ちた。
「あら、お嬢様、こんな髪飾り持ってました?」
それを拾い上げたメアリが、そう言った。
「あー…、うん。頂いたの」
「へー、とっても素敵じゃないですか。どなたから頂いたんです?」
「…うん、ライニール様からなんだけど…」
それを渡されたのは、屋敷前でライニール様との別れ際だ。
『貴女はご自分が思っているよりずっと魅力的な女性ですよ。もっと自信を持ちなさい』
数分前までお説教をしていたとは思えない程柔らかい表情をしたライニール様が、ハンカチに包まれた髪飾りを差し出して言ったのだ。そして先程までのお説教の内容を思い出して身構える私に、慣れた仕草で差し込むタイプの髪飾りをライニール様ご自身の手で髪に飾ってくれたのだ。
『これは記念です。今日は貴女と私の初デートですからね。明日から髪飾りが貴女を彩ってくれる姿を楽しみにしています』
それはつまり身に付けて出仕しろ、という事ですね。
言いたい事だけ言って颯爽と行ってしまったライニール様を、私は身構えたまま見送ったのだけど。
「記念、というより、戒めにしか思えない」
お説教してからの記念と言う名の贈り物。正に飴と鞭。どう考えても、説教の内容を忘れない為の戒めにしなさい、という意味にしか聞こえない。
「ん? どういう意味です??」
「ううん。何でもない」
私は椅子に腰を掛けて、メアリの淹れてくれた紅茶を口に含んだ。
「それよりメアリ、ちょっと見ない内に太ったんじゃない」
久しぶりに会うメアリは、おデブとまでは言わないものの、確実にふっくらとしていた。
「それに、このサンドの量。私だけじゃなくてメアリも食べる気満々ね」
お皿に盛られたサンドの量は一人では食べきれる量ではない。二人分だとしても多すぎやしないだろうか。しかもカロリーお化け蜂蜜様がいらっしゃるのだ。
「大丈夫ですよ。この蜂蜜は旦那様から食べるように言い遣っておりますので、これもお仕事の内です」
「馬鹿おっしゃい。なんで蜂蜜を食べるのが仕事の内よ」
そんなお仕事で給料が発生して堪るものか。
「本当です。これを食べてしっかり栄養を取りなさい、っておっしゃいました。旦那様に聞いてみて貰ってもいいですよ」
これだけ堂々とメアリが言うからには、嘘ではないのだろうけれど、なぜ父がメアリに蜂蜜を食べろと命令する必要があるのだ。しかも普通の蜂蜜ではなく、いくら自領の物とはいえお値段がそれなりにする上級蜂蜜を?
「栄養も何も、もう十分じゃないの?」
それ以上ふくよかになってどうするの。顔もふっくらしているけれど、お腹周りがちょっと危なくない? エプロンの紐のリボンが、かなりギリギリに見えるのは気のせいですかね。若かりし頃、私に対してスタイル維持の為のスパルタぶりはどこにいった。
「あぁ、私の栄養じゃないですよ、お嬢様」
「そのお腹で?」
どう見てもメアリの脂肪、もとい栄養になっているように見受けられますが?
「はい、そうです」
メアリはそのまるまると脂肪の詰まったお腹に手を当てて、ゆっくりと撫でながら満面の笑みを浮かべた。
「この蜂蜜は、ここに居る赤ちゃんの栄養ですよ!」
「……………………………………………………………………………………は?」
何て? 何がお腹にいるって??
「っ……………はぁぁぁぁぁぁ!?」
それを理解した瞬間、とんでもない声がお腹の底から飛び出てきた。




