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第2話

 それから、ラウルからの連絡がないまま1週間が過ぎた。 


 そうして涙も枯れ果てたころ、父から呼び出された私は、久しぶりに自分の部屋から出て書斎に向かった。

 そこには、父だけではなく兄も揃っていた。

 私を見るなり抱きしめてくれる父と、いつもは粗野なのに優しく頭を撫でてくれた兄。心配して部屋を何度も訪ねてきてくれた事も知っている。やっと部屋から出てきた私を見て安心したことも。

 兄に促されるままソファに腰を掛けると、父がおもむろに話し出す。


「コールデン伯爵家と今後の事を話し合ってきたのだが…」

「はい」


 ラウルからの謝罪も釈明もないまま婚約は解消されるのだろう。

 この1週間、ラウルを待ちながらある程度の覚悟はしてきたけれど、心臓がギュッと締め付けられる。

  

「伯爵は、婚約継続を申し出てきた」

「え…?」


 思ってもいない父の言葉に一瞬何を言われたのか分からなかった。

 唖然としているのは私だけではない。


「はぁ? あいつ頭の中に蛆でもわいたのか??」


 と、口悪くのたまったのは、兄でありラウルの親友であるケイトだ。


「伯爵は婚約解消を望んでおられる様子だったが、ラウル自身が婚約の解消を拒んだようだ」

「ラウル様が、ですか?」

「そうだ」

「どうして…っ?」


 好きな人がいるのに。しかもその現場を私に見られているのに?


「それはわからん。ただ、約束通りマーシャが卒業次第婚姻をしたいと」


 頭を左右に振りながら、父はうなだれる。


「んなふざけた事言ってんのか、あいつ!」

「ラウルが何を考えているのかわからんよ。こんな不誠実な男だったとは…」

 

 なぜ、どうして、という言葉が頭の中を回る。

 婚約を継続したいのなら、まず謝罪なり何なり訪ねてくるべきだ。私と会いたくないのなら父だけにでも会いに来るのが先決だ。

 確かに、彼は伯爵家で、子爵家に比べれば爵位は上だ。けれど、コールデン家とグレイシス家の婚約はあくまでも同等の立場で婚約が成り立っていた。それは、私はもちろんラウルだって承知しているはずだ。それなのに、自分の希望だけで婚約を継続するなど、なんて傲慢なのだろう。


「…婚約破棄は、できないのですか?」


 震える声で父に告げた。


「できない訳ではない、だがいいのか?」

「……っ」


 婚約解消と婚約破棄は、似ているようで全く異なるものだ。

 婚約解消は、正当な理由があり双方の合意があった上で円満に解消するといったもので、どちらかの非があるわけでもなく、世間体的にも悪く言われることはそうそうないだろう。

 しかし、婚約破棄は違う。

 婚約後、正当な理由がなく一方的な事情で解消されるものであり、場合によっては慰謝料などの法的制裁が発生する。今回の場合、相手側の浮気という過失があり、子爵家が婚約破棄を施行したとしても正当破棄になり受理され、慰謝料が請求できる。逆に伯爵家が婚約破棄を施行しても、こちらには何の過失もないので不当破棄となり却下される。もちろん慰謝料請求など以ての外だ。また貴族社会ではそれが致命的な醜聞になり、今後の婚姻や出世に影響を及ぼすことがあるのだ。それはあくまでも同等の立場での婚約が成り立った場合に限るが。

 つまり、私が婚約破棄を申し立てることで、ラウルの将来に傷をつける。しかも伯爵家嫡男だ。彼だけではなく伯爵家そのものに傷をつけることになる。その覚悟があるのか、と父は私に問うているのだ。


「してやればいいじゃねぇか、それだけの事をあいつはしている」


 兄が即答できない私を後押しするように言い放つ。


「ほかの女に好きだと言っておいて、マーシャと結婚したいなんざ、どの口が言ってやがんだ!!俺の妹は玩具じゃねぇぞ!!!」

「ケイトっ!!」

「あ…悪い…」


 兄の言葉が心に突き刺さるけれど、私は首を横に振る。「玩具」なんて言い得て妙だと思ったのだ。兄の言う通りだとも。

 ラウルは彼女に心を残したまま私と結婚しても構わないと、そう思っている。私がそれにどんなに傷ついていても、彼にとっては気にも留めない事なのかもしれない。心が伴わない結婚なんて、貴族社会ではありふれてはいるけれど、私たちは違うと思っていた。それが間違いなのだ。


 馬鹿にされている。侮られているのだ。

 ラウルにとって私は、そういう真似をしても良い存在という事だ。


「……悔しい…っ」

 

 頭に血が上っていくのが分かった。あまりの悔しさに体中の血が沸騰しそうだった。

 彼に裏切られたのは悲しかった。けれど心ばかりはどうにもならないということも知っている。謝罪してくれれば、きっと私は彼を許しただろう。だって彼の想い人は、この国の第二王子の婚約者で、どうあがいても彼の想いが成就することはないのだから。時間をかけて彼の心が癒えるのを待つこともできたかもしれない。自分に心を寄せてくれる日まで努力できたかもしれない。

 だけど、もう無理だ。


「マーシャ…」


 兄が私の手を握り締める。私の身体の震えを兄も感じ取っているだろう。

 婚約破棄をして、彼の経歴だけではなくコールデン伯爵家にまで傷をつけることで、私の心が晴れるかと聞かれたら答えることができない。後悔するかもしれない、という思いが私に歯止めをかける。でも、この怒りの行き場がなくてどうしようもない。どこにぶつければいいのか。


「コールデン家に迷惑はかけたくないわ。でもこのまま結婚するのも絶対に嫌」


 我慢して結婚をするなんてごめんだ。そんなこと、絶対にしたくない。ラウルにだけだったら戸惑うことなく破棄を叩きつけてやれるのに。

 

「私は…っ、そんな軽く見られる女ではないわ…っ!」


 彼の隣に立つため努力をしてきた。

 清楚であれ、可憐であれ、淑女であれ。

 まだ未熟かもしれない。けれどこんな扱いを受ける筋合いはない。


「よく言った、マーシャ」

「当り前よ、冗談じゃないわ」


 兄の手を力強く握り返し、父と視線を合わす。


「お父様、婚約は継続でも構いません。けれど、時期については頷けません」

「どうする気だ?」

「結婚するのは、私がその気になった時です」


 そんな日が来るとは思えないけれど。


「その条件を彼が頷くと思うか?」

「頷かせてください。それが無理ならば婚約破棄を。それが私に出来る譲歩です」


 傲慢な行為には傲慢な行為で返してやる。勝手に私を使うなんて絶対に許さない。

 暫しの間の沈黙。その間、私は父から視線を外すことはしなかった。


「…わかった。伯爵に話しておこう」

「お願いします」


 もしこれに彼が頷かなくても、もう構わない。その時は破棄をするだけなのだから。







 その後、コールデン家から了承の返事があったと父から聞いた。




 きっと彼は私を甘く見ている。ほとぼりが冷めれば、私が絆されるとでも思っているのだろう。ラウルの知っている私は、彼の事が大好きで仕方がない子だったから。


 でもね、ラウルの知らない2年間で私は強くなったよ。


 私がその気になるのと、貴方がしびれを切らして婚約解消をするか、どちらが早いか根競べしてみようか。

 私は一切負ける気はないけれど。



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