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第46話

 この頃の自分は無意識の驕りがあったのだ。そう今の私なら言うだろう。一言で表すのであれば『畑水練』とでも言おうか。実地の訓練をしない理論や方法を習ったつもりでは実際の役に立たない。まさに昔の私はそれだったのだ。

 それをひどく思い知ることになったのは、グラン国王位継承争いが活発になっていた時期に開催された、マイラ様が王太子妃として初めて参加した王家主催の狩猟大会の日のこと。

 その日が私にとって大きな『転機』になったのは間違いがない。


 やられた、と自覚した時にはもう既に遅く、マイラ様とマリィ、そして私の三人は薄暗い森深くに迷い込んでいた。


「マーシャ、ごめんなさい」


 涙混じりのか細い声でマイラ様は私を見上げ、そしてマイラ様の傍らにいるマリィもばつの悪い顔をしている。


「お説教は王宮に戻ってからです」


 覚悟しておきなさい、と私は二人を見下ろしながら言い放った。声音から感じ取れる怒気にマイラ様とマリィは肩を震わせる。そのくらい私は浅はかな行動をした二人に憤りを感じていたのだ。

 口を酸っぱくして何度も何度も勝手な行動は慎みなさい、まず私に聞いてから動きなさいと言い聞かせていたのに、初めての狩猟大会に好奇心が抑えきれなかったのだろう。敵に誘われるがままに罠に嵌まり、こうやって命の危機に晒されている。


「まずはどうやって天幕に戻るかです。マリィ、来た道は覚えている?」

「……分からない」


 消え入りそうな声だ。マリィは自分の失態を自覚しているのだろう。守るべきマイラ様を危険に晒したのは間違いなく自分だと。だからこそ居た堪れない思いに苛まれて、心の中はそれでいっぱいなはずだ。慰めてあげるのは簡単。でも、それは今じゃない。


「しっかりしなさい、マリィ。起こってしまったことを後悔しても現実は変わらないわ」


 私の叱咤にマリィの喉がぐっと鳴った。泣き出したいだろうに、それでも顔を上げたマリィの瞳には少しの涙も滲んでいなかった。さすが私が見込んだ子だ。


「恐らく近衛が私達を探しているでしょうから、刺客に見つかる前に彼らと合流しますよ」


 いいわね、とマイラ様とマリィを見下ろして告げる。


「でもどうやって?」


 そう問われてすぐ答えられる考えを私は持っていなかった。薄暗い木々に囲まれて太陽の位置から方位を推測することは出来ない。またむやみに歩き回るとさらに奥に迷い込んでしまうかもしれない。


「お二人とも獣避けの匂い袋は持っていますよね?」


 それは念のための確認だった、狩猟大会の参加が決まった時、万が一を考えて渡しておいたのだ。


「ちゃんと持ってるわ!」

「も、もちろんですぅ」


 ならよろしい、と私は頷いた。それから頭の中で必死に『森で迷った時の心得』という本の内容を思い出していた。

 むやみに歩き回ってはいけない。だからと言って安穏と救援が来るまで待つなんて事も、いつ何時刺客が襲ってくるか分からない状況ではできない。

 私はぐるりと周囲を見回した。どこを見ても同じような木ばかり。


「ひとまずは拠点を作りましょう。むやみに歩き回ってさらに迷うよりは救援を待つ方が安全ですから」

「でもマーシャさん。刺客がいつ襲ってくるか分からないですよぉ」

「えぇ、そうでしょうね。だから見つからないところに拠点を作ればいいんです」

「でもどこに隠れるというの? 木ばかりで隠れる所なんてないわ」


 不安そうなマイラ様に私は笑って答える。


「その木に隠れるんですよ」


 え? と二人が目を瞬かせる。


「刺客は私達を他殺ではなく事故死に見せかけたいはずです」


 王位争いの中、王太子妃が王家主催の狩猟会で殺されたなんて醜聞をさらすほど相手は馬鹿じゃない。疑われるのは間違いなく第二王子を王位にと望んでいる輩なのだから。


「狩猟会で事故を装うのだったら、獣に襲われての死というのが妥当でしょう。いくら獣除けの匂い袋を身に着けていても、襲われるときは襲われますからね」


 なら対策は獣の手の届かない場所に身を隠すのが一番だ。しかもこれだけ葉が生い茂っている木なら私達の姿を刺客から隠してもくれるだろう。もちろん絶対に安全とは言えないが、このまま森を彷徨い続けるよりずっとマシだ。


「でもそれでは近衛も私たちを見つけられないわ、マーシャ」

「それも大丈夫です。これがありますから」


 そう言ってポケットから取り出したのは鳥笛だ。それも特殊な鳥笛で、人間には聞こえない音で伝書用の鳥を呼び寄せることができる代物である。これは今の事態を予見して準備していたわけではない。ただ日常的にラインハルト王太子殿下、実際には殿下の乳兄弟であるダグラス様ではあるが、連携を取る為の連絡手段としてそのまま持ち歩いていただけである。これを使えばダグラス様に今の私達の居場所を知らせることができるだろう。


「マリィ、木に登って安全を確認したらこれを思いっきり吹きなさい」


 いいわね、と言い聞かせるとマリィは不安そうに瞳を揺らしながらもコクリと頷いた。


「さぁ、急ぐわよ」


 まずはマリィを木に登らせる。木登りの経験があるマリィは身軽にひょいひょいと登っていくが、マイラ様はそうはいかない。だからマリィが引っ張り上げるようにして何とか登らせた。


「もう少し登って。まだ下から見えるわ」


 きちんと姿を隠せるように、でも自力で降りられるような高さまで登らせる。


「まだ見えますかぁ?」


 マリィの声が少し遠くから聞こえてきた。


「そこで大丈夫よ。木の蔓で命綱を作るのを忘れないで」


 もしバランスを崩して落ちそうになっても大丈夫なように言い付ける。マイラ様とマリィの返事が聞こえ、ひとまずは安心だろうと私はホッと息を吐いた。これで獣に襲われるという脅威は避けられたはずだ。あと残ったのは私だけ。

 ここで困ったのが、私もマイラ様同様木登り未経験者ということである。知識として木登りのコツを知ってはいるものの、実際にやってみるとなると思った以上に登れない。

 悠長にしている暇はない。できるだけ登りやすそうな、けれど確実に身を隠せる木を探していると、マリィが大きく声を上げた。


「マーシャさん、危ない‼」


 その大声に顔を上げると、私に向かって何かが飛んでくるのが分かった。だが勢いよく向かってくるそれを私は避けることができず、ただ条件反射で体を竦ませる。


「ゃ…っ!」


 それが功を奏したのか、命中することはなかったが、すぐ傍にある木にぶつかり私の頭上から何かが降り注いだ。

 その飛び散った何か。それは鼻につく生臭い異臭を放つ血だ。

 心臓の音が大きく跳ねる中、その血が飛んできた方向に顔を向けると馬に乗った覆面を被った数人の男の姿が見えた。それなりの距離があるものの、その中の一人が持っているスリングらしきもので投げつけてきたのだ。


「くたばれ、阿婆擦れが!」


 用は済んだと言わんばかりに踵を返し走り去っていく男から投げつけられた罵倒。思考が一瞬止まったような気がした。


「マーシャ!」


 我を取り戻してくれたのはマイラ様の悲痛な叫び声。この状況が一体どういう事なのか、一気に頭の中で駆け巡る。それと同時にマイラ様とマリィがいる木から木の葉が落ちてきて、


「降りてきてはいけません‼」


 私は大きな声でそう叫んだ。私を案じて降りてこようとしたのだ。

 考えている暇はない。いつ血に誘われた獣が襲ってくるか分からないのだ。それは決して野生の獣だけとも限らない。私の予想が正しければ、間違いなく襲わせる為に飢えた獣が刺客によって放たれるはずだろう。


「二人とも、そのまま聞きなさい!」


 私は恐怖を必死に堪えながら、二人がいる木に向かって声を張り上げた。姿は見えないけれど、でもそこで私の言葉を聞いているだろう。


「二人とも分かっていますね」


 マリィの顔は強張っているに違いない。マイラ様はそんなマリィにしがみ付いているに違いない。そして私が何をするのか、何を話そうとしているのか、彼女達はもう察しているはず。


「どんなに怖くても、泣きたくても声に出してはいけません。息を、気配を殺すのです。そして何があっても、何が聞こえても、そこから動いてはいけません!」


 それが私の悲鳴だったとしても。その言葉は言わずともきっと分かってくれたはず。


「マリィ、後は任せます」


 そう言い放ったと同時に野犬の遠吠えが轟き、私は駆けだした。

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