第42話
廃村出身の元村人はとても疲弊していた。
村を出たものの新しく立ち上げた商売は上手くいかず借金が増えるばかり。次第に心の余裕を無くし、家族に当たり散らす日々を送っていた。
村を出てから数年、辛抱してくれていた妻も子もそんな元村人を捨て新しい夫の元へ行ってしまい、残されたのは昔の良き時代の思い出と、すでに返し切れない程に膨らんだ借金。後は絶望だった。
どうしてこうなってしまったのだ、と悔み、なぜ自分を捨てるのだ、と呪い、そしてあの時に嵐さえ来なければ、と泣いた。泣いて、泣いて泣いて、ひたすら泣いた後、元村人は村に帰ろうと決めた。
自分にはもう何もないのであれば、あの村での幸せだった日々を想いながら逝きたいと、そう思ったのだ。
死出の旅に必要な物は何もない。村人は何も持たずにただひたすら自分の愛した村を目指した。飲み食いも忘れ、休息すら時間が勿体ないと。
自分が捨てた村が近づく度に心は踊った。愛した日々がそこにある。もう戻らないと分かっていても、元村人の心にはそれが支えであり癒しだったのだ。
────ただいま、ただいま、ただいま。
そう元村人は歓喜に泣きながら村を囲う塀を潜り、そして目を疑った。朽ちたはずの村から、おかえりなさい、と次々に声をかけられたからだ。そこにはてっきり村と共に朽ちたと思っていた残された村人たちの姿があった。残っていた村人は彼を決して責めることなく温かく迎え、また一緒に頑張ろう、と励ました。
まだやり直せる、まだ頑張ってもいいんだ、と思った元村人は再起を誓った。そしてその誓いを手紙で自分の元から去った妻子に送ったのだ。出来るならやり直したい、戻ってきて欲しいと。
その手紙を受け取った妻子は喜んだ。元より妻子は村人の元から去ってはいなかった。自暴自棄になり働かなくなった元村人の代わりに出稼ぎに出たのを勘違いしただけ。
元村人が妻子と共にいることを望んだように、妻子も元村人と共にあることを望んだ。やり直したいと願っていたのは、元村人だけではなかったのだ。妻子はもちろん元村人を追いかけた。心に希望を宿して、新しい日々が始まると胸を弾ませて。
けれど村に辿り着いた妻子が目にしたのは、元村人が手紙で書いていたような希望に満ちたものではなかった。村を出てたった数年だというのに、すっかり見る影もなく朽ち果てた村と悲鳴のように響き渡る風鳴り。人気がない分、妻子がいた頃よりずっと物悲しく、また恐ろしさも感じた。
これは一体どういうことなのか、元村人の手紙に書かれていたことは嘘だったのか。そう考える間もなく、胸を襲った嫌な予感に妻子は昔暮らしていた家へと走った。
元村人なら必ず我が家にいるはず、と。きっと私達が帰ってくるのを待っていてくれると、必死に走った。けれど、無事でいてほしいと願った元村人の姿は妻子の願いを打ち砕くもの。目を疑いたくなるその光景は正しく狂い死と言っていい程に凄惨な元村人の姿だった。
妻子は嘆いた。嘆いて、嘆いて、とうとう発狂した。
ただ愛した日々を取り戻したかっただけなのに、なぜこんなにも酷い現実だけが自分たちを襲うのか、と。苦しくて、悲しくして、夫を、父を殺した全てが憎かった。だから呪ったのだ。自分たちを襲った全ての理不尽に対して、ただただひたすら呪った。そして最後には村人と同じ姿で呪いながら狂い死んでいったのだ。
その日を境に、廃村付近で不審死が続いた。それは廃村に迷い込んだ旅人だったり、追っ手から逃げている罪人だったり、または近くの近村の住人だった。その死が呪いのせいのか、もしくは只の偶然か。等しく共通しているのは、全ての人の死に顔が怯え苦し死にしたものだったということ。
次第にその噂は国中を駆け回り、呪いの廃村と呼ばれるようになるのに時間はかからなかった。
※※
「というのは表向きのお話でしてな」
まるで恐怖を煽るような語り口調だった翁は、そう言った。
「まぁ、そうでしょうねぇ」
ふふと微笑みながら、吃驚するくらい陳腐過ぎて大衆舞台でも受けないわね、なんて思っていたりする私である。
「お前は情緒とかそういうもの全般はどこに置いてきたんだ……」
おっといけない。思っていただけではなく口から出ていたみたい。うっかりうっかり。
「あと、その話し方を止めろ。気持ちが悪い」
そう心底思っているのだろうキースの呟きに一睨み。なんて失敬な。しかも残念な人を見るような眼差しを私に向けるのは止めて頂戴。
「何か仰いまして?」
これが私の通常運転です。
「…………」
そんなじとーっとした視線を寄越されても痛くとも何ともありませんよ。
「ほぉ、お二人は仲が良ろしいですな」
「「気のせいです(わ)」」
ほっほと朗らかに笑う翁にした反論が丸かぶりで思わず真顔である。
「またまた、仲が良いじゃないですか」
翁と同じことを繰り返したクライブ様の顔は思いっきり含み笑いだ。これがヤンスだったら中身は入っていようが気にせず手に持っているカップを投げつける所だが、相手は先ほどお会いしたばかりのクライブ様。どんなにイラッとしてもそんな真似出来やしない。心の中で盛大に舌打ちをしていると、バシーンといい音を鳴らしてクライブ様の頭が傾いだ。
「ふざけるのは時と場合を考えろ、と俺は言わなかったか?」
低い声音のキースのスナップの効いた制裁である。でかした、キース。
「どうして俺だけ……」
「話を戻すぞ」
「そうですわね。で、何のお話でした?」
どこかの騎士から小さな文句が飛んでくるが無視一択である。そもそも翁とクライブ様の言葉には大きな隔たりがあるじゃない。悪ふざけという隔たりがね。
「他に何か思うことはないのか、って話だ」
そうそう、そうだったわね。
「逆にお伺いしますけど、他に何を思えばよろしいのかしら?」
コテンと小首を傾げてキースに問うと、彼はまるで化け物を見るような視線を私に向けてきた。
「普通の女性は怖がるか、もしくは可哀想だと心を痛める」
それは私が普通ではない、と暗に揶揄しているのかな? むかっ腹立つわぁ。
「ですから、あまりにも作り話過ぎていて情緒や恐怖を覚える隙がありませんわよ」
もちろん同情や憐憫もだ。
「ご、豪胆ですねぇ」
クライブ様が言葉を詰まらせて言った台詞に、呆れを含んだため息がこぼれた。
「これは豪胆とかそういう話ではないでしょうに」
ここで怖がったり哀れんだりして、何が楽しいというのか。
「そもそもですね、元村人と妻子の凄惨な姿とやらはどなたが発見したのかしら?」
誰も居ないはずの廃村なのでしょう? そこからして話がおかしいじゃない。
「しかも知るはずもない元村人の心の内までなぜ知ることが出来るのです?」
「……遺書や日記が残されていたかもしれないだろ」
反論してくるキースに私は鼻で笑ってやる。
「あったんですか?」
「可愛くないな、おまえ……」
「可愛いと思ってもらわなくて結構」
しみじみと言われてしまっても、痛くも痒くもありません。
「まず、本当に災害で村に多大な損害があったのなら国からの援助や救済処置が働くでしょう。王都からそれほど離れていない村なのだから、国だって把握するのにそう時間はかからないはずですわ」
ましてやクワンダ国屈指の保養地だったのなら尚更だ。もしこれが戦時や国の腐敗が進んでいるような時代であれば分からないでもない。だがクワンダ国はここ百年ほど安定された統治が行われていたのはグラン国の人間でも知っている。
「それに復興が叶わなかったとしても、クワンダ国先代国王が村人ましてや老人や孤児をないがしろにするとは思えません」
隣国グランまで伝わっていたクワンダ国先代国王の政策は民をとても大切にしていたものだった。それを今のクワンダ国女王も受け継いでいるからこそ、貴賤関係なく能力重視で人材を重用しているのだ。国は王族の物であらず、民があってこその国であり、クワンダ国の宝は民である。そう何度も留学時代によく聞かされていた。
「まぁ、あれですわね。もしこの村に対して救済処置が行われなかったとしたら、それなりの理由があったと私は考えますわ」
例えば村ぐるみで犯罪行為を行っていた、とかね。
「そうでないのなら、まずあり得ないお話ですもの。これのどこに情緒を働かせろと言うのです?」
まったくこれっぽっちも私の情緒が動く隙はない。
「恨み妬み嫉みは生きている人間だけが抱く感情ですわ。それを理由に蛮行に及んだ、というのなら分からないでもない話ですが、死人に人を殺す力はありません」
ましてや『呪い』だなんて馬鹿馬鹿しい。
「それでも敢えて私に何かを思えと言うのであれば、腹立たしい、の一言ですわね。でもそれは『呪い』というものが存在していたら、の話ですが」
「腹立たしい、ですか?」
眉根を寄せ不愉快を隠しもしない私に意外そうな声を上げたのはクライブ様だ。
「えぇ、そうです」
はっきりと肯定すると、ほほう、とどこか感心したような翁の声が耳に届く。チラリと視線を向けると好奇混じりの眼差しとかち合った。
「だってそうでしょう? 呪いをまき散らすだけの力があるんだったら、生きるという選択が出来たはずですわ」
それはきっと簡単なことではないのはちゃんと分かっている。それが残酷だということも。でも、それでも私は強く思うのだ。
「死んで呪って何になります? 返ってくるのは空しさだけですわ。しかも呪い続けるとか何です、その苦行」
自分からそんな物を背負おうとするなんて考えるだけで嫌になる。そんなの楽しい? 世を呪うって、どこまで呪ったら満足するの? 際限ないよね。そんな辛い死を選ぶより、生きて足掻いて生き抜いて。
「私なら終わりのない死に地獄より、終わりのある生き地獄を選びますわ」
私がそう言い放った部屋はしんと静まりかえっていた。




