第9話
「どういう意味でしょうか?」
きょとん、と陛下に聞き返す。
「珍しく鈍いな、マーシャ」
お前らしくない。それとも敢えて考えないようにしているのか? と、陛下は片眉を上げる。
「『新枕の儀』が終われば、いずれ俺達には子が出来るだろう。その時の為にお前には結婚していて貰わんとならん」
結婚していることが必要な事。
「…それは私を乳母に、という解釈でよろしいでしょうか?」
「そうだ」
その事を考えなかったわけではない。乳母になりたくないわけではない。けれど、私が子を産み、乳母になれる資格があるとも思えなかった。
「失礼ながら陛下、乳母に関しては既に人選を重ねております。私でなくとも相応しい方が見つかる事でしょう」
「ただ乳母であれば良いと言う訳ではない」
陛下の眼差しが、親しみのあるものから王のそれに変わる。
「マーシャ、お前には世継ぎの乳母になってもらう」
これは決定事項だ。と陛下は言った。
本来ならば有難いお言葉だ。世継ぎの乳母に願われているという事は、両陛下からの信頼を頂けていると同義なのだから。
「しかし…私は…」
言葉に詰まった。
「お前がコールデンとの婚姻を望んでいない事は知っている。ならば、もう婚約破棄をしても良い頃ではないか?」
陛下の言う事も分かる。
私が今までダラダラと婚約を解消しなかったのは、別にラウルが拒んでいるだけが理由ではない。婚約破棄を申し立てなかったのは、破棄の時期を見誤ったせいもあるけれど、私にとって都合が良かったからだ。マイラ様が子を産めば、その必要もなくなる。いや、もうとっくの昔にその必要はなくなっていたのに、見ないふりをしていたのは私だ。
けれど、私が今更結婚をする? それは誰と?
頭の中に浮かんだ人物を慌てて消し去った。
「陛下、確かに私があれと婚約を継続している意味はもう無いでしょう。ですが、結婚というものは相手が存在して初めて成り立つものです。ましてや子を産めとおっしゃられても、今から相手を探したとしても間に合いません」
「乳を与える事だけが乳母の仕事ではない。世継ぎを教育するのも仕事だ。その点についてはお前以上に適任がいるとは思えない」
それは、マイラ様を王妃としてお育てした実績があるから。
これ以上に勝る信頼があるだろうか。
この国の未来の一端を私に任せてもいいと、この国の王がそこまで言ってくれているのだ。
「相手というなら、お前に相応しい相手を見つけてくる事ぐらい出来る」
両陛下にお仕えするための手段だと思えばいい。結婚は乳母としてこの国に貢献する為の手段だと。陛下が見つけてくれた相手なら、きっと信用が置けるに違いない。マイラ様に仕え続ける事が前提の相手なのだから私にとっても好都合だ。今までだって割り切って仕事をしてきたのだから、喜んでお受けすればいい。
「…ですが」
頭ではそう思ったのに、素直に話を受ける事が出来なかった。
じわりと心の奥にしまっていた暗いものが湧き出てくる感触がした。
行き遅れの私が、陛下の勧めで結婚出来るというのなら、きっと幸運な事なのだろう。25歳と言う年齢故に貰い手は限りなく少ないのだから。
「好いた男がいるなら私に言え。何とかしよう」
じわりと滲み出てきたものが、じくじくと何かを締め付け始める。
私は選ばれなかった女だ。選んでもらえなかった、女。そして愛のない結婚を拒んできた女でもある。その私が、今度は王命という名で相手にそれを望めとは、なんて皮肉なのだろう。
「好いた方などおりません」
「では、何が問題だ」
何が問題だと言われれば、それは私の心の問題だ。それを断る理由にするには弱すぎて答えられない
上手く伝える言葉を探して視線を彷徨わせ、一瞬で頭の中が真っ白になった。
「…っ!」
私の視界に入ってきたのは、とんでもない事をしようとする主の姿。
「最悪、相手がコールデンでも構わん。その場合、近衛を辞めてもら「マイラ様、いけません!」……何をする、マイラ」
ポタポタ、とお茶を滴らせる陛下。そして、頭上からカップを傾けているマイラ様に、そこに居た全員が仰天した。
「なんてことを…」
仕出かしてくれちゃってんの、マイラ様ぁ!!!!
ラウル・ダグラスに続いて、陛下もあれな男で申し訳ないでございます。
でもでも、まともな男だらけだと話にならんの(言い訳…てへ)




