第34話
案内された場所は、私達がいた所から少し進んだ先にあった。そこは大きな岩と大木に覆われていて、風だけではなく雨も凌げそうだ。現に悲鳴や泣き声も無音とまでは言わなくても、まるで屋内にいるかのように小さくなっている。
「ほぉ、自然に出来た物に人の手を入れたのか」
ガスパールが周囲を見回し、こりゃ見事だ、と唸った。
「この先の廃村までの休憩所にと作られた場所だ。野営も出来るし、ここなら落ち着いて話が出来る」
つまりは何だ。落ち着いてからではないと出来ない話と捉えていいのだろうか。
「おっと、忘れるところでやんした! はい、姐さん。お水でやんす。しっかり水分を摂らなきゃダメでやんすからね」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして、でやんす」
にっかりとした笑顔と共に渡された水筒。もっと警戒しなくてはいけないと思っているのに、どうしても毒気が抜かれてしまう。ヤンスはそんな私を他所に慣れた様子で火を焚き始め、リオはふらっとどこかに行ってしまった。
「嬢ちゃんはここでゆっくり座っとけな」
ガスパールは馬車から降ろしてきた毛布を丸めた場所に私をゆっくりと下ろし、更にもう一枚毛布を身体に巻き付け、
「ちっと離れるけどよ、良い子にしとくんだぞ」
と、私の頭を乱暴に撫でてから一緒に来た仲間の元に駆けて行った。多分何かしらの指示を出しに行ったのだろう。私達から少し離れたところに馬車を置き、数人の男達が野営の準備をし始めたのは分かった。
「別に逃げないのに、もぅ」
そんな子供扱いしなくても、と思わず口が尖る。
「そんな口尖らせておいて、お子様扱いされても文句は言えないだろ」
「………ちっ」
「一応は女なんだから舌打ちは止めろ」
無意識の産物にいちいち文句つけるんじゃないわ。それに一応は余計よ。そう言い返そうとして、キースの真っ白い顔色に文句をぐっと呑み込んだ。私ってば大人。
「キースも座りなさいよ。疲れたでしょう? はい、これを飲むと良いわ」
私に促されるがままに正面に座ったキースに、先ほどヤンスに渡された水筒を差し出す。
「レモン水ですって。口がすっきりするわよ」
「あぁ、助かる」
水筒を受け取ったキースはぐいっと水を呷り、そしてほぅっと息を吐いた。
「少しは落ち着いた?」
「……あぁ」
しばしの沈黙が降りる。ちらりと視線をやっても、少しもこちらを見ようともしないキース。昨日までの無駄に自信過剰な言動をしていた彼はどこに行ってしまったのか。
「ねぇ、そういえばキース」
私はおもむろに話しかけた。
「何だ?」
「さっきのことなんだけど……」
そう言いかけるとキースが目に見えてギクリと身体を強張らせたのが分かった。けれど私はそれに気付いていながらも無視して真剣な声音で訊いた。
「ガスパールとの間に何があったの?」
と。瞬間、ぽかんと間抜けな表情になったキース。
「…………は?」
「は? じゃなくて、さっきよさっき。あれだけ私達を疑っていたのに急に態度を変えちゃうんだもの。ちょっと理解が追い付かなくって」
それを当たり前に受け入れたガスパールにもびっくりしている訳ですよ。理由を聞きたいと思っても不思議ではないでしょう?
「…………え、いや、お前……」
「何よ」
そんなに変な顔して、せっかくの美形が台無しである。まぁ、ね。多分『呪い』について聞かれると思ったのだろうけれど、話したくないなら構わないと言ったはずなのに。
「それで、どうしてなのか説明してちょうだい。さっきから分からなさ過ぎて気持ち悪いのよ」
それともあれかしら。私には理解のできない世界が貴方達には見えているの? と私が小首を傾げて窺うと、キースは急に顔を背けブハッと噴き出した。
「え、やだ、何で笑うの?」
そんなに変なことを言った覚えはないのだけれど。
「さすが姐さんでやんすねぇ」
ヤンスまで⁉ と目を見張る私を他所にキースは馬鹿笑いしているし、ヤンスはヤンスで何か小さな子供を見るような温かい眼差しを向けてくるわで、とてもじゃないが解せない。
「何よ、二人して……」
馬鹿にされているみたいで気分が悪い。
「おぉ、何だ何だ。随分賑やかじゃねぇか」
むくれているとキースの笑い声を聞きつけたガスパールが戻ってきた。
「いやぁ、姐さんの天然砲が炸裂しやしてねぇ、にいさんがツボっちゃったでやんすよぉ」
その説明じゃ伝わらないでしょうに、と思った私の予想とは裏腹に、
「あぁ、嬢ちゃんのすっ惚けた奴か。たまに出るんだよな、がはは」
で、ある。正しくガーンという衝撃を受けましたとも、えぇ、とてつもなくね!
「何よ、気になったから訊いただけじゃない……」
天然砲って何よ、すっ惚けた奴って何よ。私は至って大真面目なのに!
「いやいやいや、姐さん。旦那達が何をしたかなんて知りやしませんけど、まず気にしないといけないのは『呪い』でやんしょう?」
「でもそれは関係者以外に話せないとキースが言ってたじゃないの」
無理に聞き出す必要はないでしょうに。いや、私だって気にならないわけではないけれど、ねぇ?
「そうでやんすけどね、普通の女の子だったらこんな悲鳴とか呪いとか良く分からない恐怖体験に泣き叫んでパニック起こしてもおかしくないでやんす」
「……それは私が普通の女の子ではないと?」
年齢的に女の子ではないかもしれないけれど、喧嘩売られているのかしらね、これって。
「そうじゃないでやんすよ! 姐さんは怖くないんでやんすかってことです!」
そんな冷たい目で見るの止めて欲しいでやんすよ、ヤンスは眉尻を下げる。
「怖がる理由がないわ」
「さすが姐さん、肝が据わってるでやんす」
ヒューヒューと口で囃し立てるヤンスに、私はため息一つ。
「あのね、肝が据わるも何も、これって悲鳴とか泣き声に聞こえるだけの風鳴りでしょ。何が怖いのよ、馬鹿らしい」
そりゃ最初こそ気味が悪くてパニックを起こしそうになったけれども、ここに移動するまでに冷静になって考えてみれば何にも驚くことはない。
「気がついて、いたのか……?」
ようやく笑いの発作が収まったのだろう、キースが信じられないといった風に私に言った。
「え、だって風と悲鳴が連動しているのだもの。嫌でも気が付くわよ」
風が弱く吹けば小さな泣き声。強い風が吹けば甲高い悲鳴。風向きが変われば唸り声。そして無風時には何も聞こえてこなかったのだから。
「どこかに風の通り道でもあるんじゃないかしら。そのせいで風鳴りが変な風に聞こえてしまうのよ」
風に乗ってくる仄かな潮の香りから、海風が強く吹きつけた時に鳴っているのだろうと予測。
「気味が悪いことに変わりはないけれど、風鳴りだって理解したら怖がる必要なんてないでしょう?」
それに、と私は言葉を続けた。
「呪いなんてあるわけないわ。そんな物があったのなら、私はとっくの昔に死んでるわね」
自嘲で申し訳ないが不特定多数から恨まれている自覚はあるのだ。例えそれが理不尽なものであっても。
「ガスパール達も気付いていたでしょう? 動揺一つしていなかったんだから」
それなのに、私が怖がらないことに文句つけられても、ねぇ。




