第29話
「馬鹿なことを……」
言うな、って? でもその反応が何よりの証拠ではないの? いつまでも私を偽物扱いして、王都入り出来ず式典に間に合わなかったらどうするつもりだった? その時になって本物だと理解しても、もう取り返しのつかない事態になっているだけだ。
本物である私はそれを簡単に受け入れることはできないのだ。マーシャリィ・グレイシスはその名の通り特例親善大使なのだから。
私はキースに詰め寄り、顔面に人差し指を突き立てる。
「ねぇ、私と約束をしたわよね」
私をマーシャリィ・グレイシスとして式典までに王都入りさせる、と。剣を喉元に突きつけられた直後でも、女王の名に誓った彼だから信用したのだ。それなのにキースはすぐに手の平を返したように私を疑う。
「私を守るのは当然。でも式典前に王都入りするってことを忘れないで。私をマーシャリィ・グレイシスというつもりで行動すると言ったでしょう!?」
確かに私の軽率な行動が彼の疑心を強めたのは否めないが、でもそれでも女王の名に誓ったのなら最後まで私を信用すべきだ。これは私の我儘ではない。主君の名に誓うとはそれだけ重いのだから。
「……それは悪かった、と思う」
「ならもう二度と私を疑わないで! 約束したならきちんと式典までに私を送り届けてよ。その為の手段を貴方の矜持なんかで邪魔しないでちょうだい!」
きっとね、キースの頭の中のマーシャリィ・グレイなら、こんなに感情的にならずにもっとスマートに話をまとめることが出来るんだろうね。でも所詮本物はこんなものなのよ。じんわり眦に滲む涙にぐっと唇を噛みしめる。
「嬢ちゃん、ちと落ち着けー。な?」
宥めるように背中をポンポンと叩かれてる。ほんの一瞬だけ男性恐怖症の癖で体がビクついたけれど、何の症状も起きなかったことに頭の片隅でホッともした。
「ガスパール……」
「ちーっとばかりヒートアップし過ぎだ、嬢ちゃん。らしくねぇぞ」
らしくない?
「……あ……っ、ごめん、なさい」
窘められてやっと気が付いた。これは何度目の失態だ。ここ数日、ずっと感情の起伏が激しくてコントロール出来ていないのには自覚があったのにこの体たらく。こんな状況下なら、なお更冷静でいるべきなのに。
悔しくて、情けなくて、何より自分に対して腹立たしい。
「顔色も悪ぃしよ。少し休もうぜ」
「……休んでいる時間なんてないわ」
グラン国一行はどうしただろうか。誰も怪我をしていないだろうか。シエルや兄、ノア様も留学生も同行している騎士たちも皆無事だろうか。不安は消えない。
「急がば回れって言うじゃねぇか。焦ったって良いこたぁないさ」
でもどうしても心が騒ぐ。それを落ち着かせるようにして、ガスパールがポンポンと優しく背中を叩く。何度も何度も叩かれて、そこでやっと少しずつ胸に溜まっていた不安や苛立ちが吐息と共にほぅっと口から漏れ始める。私はその振動に身を任せ、ほんの少しだけ鼻を啜った。
「あー、でキース・ミラー殿……いや悪ぃがにぃちゃんって呼ばせて貰うぜ。堅苦しいのは嫌いなんでな」
ガスパールはそう不貞不貞しく言いキースと向かい合う。
「にぃちゃんが俺達を信用出来んのは分かるさ。俺とにぃちゃんは初対面な上に、風貌もこんなだしな。自分で言うのも何だがなぁ、得体が知れないって警戒すんのは当然だ」
だがよぉ、と冷たい声と共にキースに向けられたのは殺気。鼻を啜っていた私はぎょっとしてガスパールの顔を見上げた。
「命の恩人だかなんだか知らんが、女に手をあげる男っちゅーのはどうなんだ?」
「っ、き、さま……っ」
その殺気に反応するようにキースが後ずさり腰にある剣に手をかけ構えた。そして珍しく厳しい顔つきのガスパールはそれを見咎める。
「え、ちょ、ガ、ガスパール?」
いきなりの緊迫した展開。何してんの!?という私の制止はその緊迫した空気に黙殺された。
「その剣を抜くなよ。俺ぁ自分に刃物を向ける奴に容赦するつもりはねぇ……」
やはり、とキースの呟きに内心頭を抱えた。彼の中で勘違いが確信に変わったのは間違いない。
ガスパールが私を背中に隠しキースと対峙する。ピリピリとした空気がその場を満たし、それに慌てるのは私一人だ。
「ちょっと、止めてよ!?」
ぐいぐいとガスパールの服の裾を引っ張り、なんとかこの空気を変えようとするが全然何も変わらない。むしろ空気になっているのは私の方だ。全く気にすら留められていない。
「貴様…最初からこのつもりだったのか?」
このつもりもそのつもりもありません!
「いつからだ。いつから俺を騙していた?」
キースの声が剣を私の喉元に突き付けた時と同じ声色になっている。殺気混じりの一段と低い声音だ。
「騙すったぁ人聞き悪いこと言うじゃねぇの。にぃちゃんはいつからだと?」
ちょちょちょっとぉぉ、ガスパールって何言ってんのぉ! ますます勘違いが加速していくじゃないのよ!
騙してなんかいないから! 騙す隙なんてどこにもありませんでしたから‼‼ と頭を大げさに横に振っても身体の前に大きくバッテンしても、無駄に図体の大きいガスパールの背中で隠れてキースにはちっとも伝わらない。っていうか、必死に訴えども一瞥すらしてくれない彼らの目に、私の姿が映っているのか甚だ疑問である。
「いや、そんなことは関係ないな。いつからだって構わない。それよりも彼女を離せ。危害を加えると容赦しないぞ」
ん?
「ほほう」
感心したようなガスパールが唸る。だが私は想像したのとはちょっと違う台詞が飛び出てきて吃驚だ。てっきり「貴様ら汚い真似を!」とか「マーシャリィ・グレイシス嬢の名を騙る不届き者の一味が」とか「俺様を騙すとはしてくれる…っ」的な、嫌悪丸出しの感じのことを言われるのかと思いきや、私の心配??
「面白いこというな。その彼女に手を上げてたのはにぃちゃんだろぉ?」
「あれはっ! ……っ……どうかしていただけだ……」
くぅ、と本当に心底悔いているかのように、でもどこか吐き捨てるような物言いに、ふと感じた違和感。でもすぐに、どうかしていたとかどうかしていないとか、もうそんなのどうでも良いから冷静になろうよ! と思考が切り替わった。
「どうかしていた、なぁ。だがそんな言い訳して女に手を上げる奴ぁ、屑って相場が決まってんだがな。にぃちゃんはどっちだ、ん?」
煽るなぁ、馬鹿!
「……それは侮辱か?」
キースの眉間にしわが寄り、あからさまにお怒りのご様子。どうしよう、さっきと違う意味で泣きたい。
「それはすぐに分かるさ、っ‼」
ダメ! と伸ばした手は後寸前のところで届かなかった。瞬時に間合いに詰め寄ったガスパールが剣を持ったキースの腕を捕る。投げられる、と思った瞬間キースは自分の腕を軸のように回しガスパールの手を外したかと思えば、今度はその勢いのまま後ろに回り込み剣を振り上げる。
「甘ぇ!」
ガスパールの声が飛び、振り下ろされた剣は空を斬る。何とも気持ちの悪い動きで剣を避けたガスパールは不安定な体勢のままキースの胴を取り、ふん!という鼻息と同時にキースの頭はあっという間に地面に叩き付けられた。
それはもう吃驚するくらい一瞬の出来事。
「キース!」
私は悲鳴をあげた。




