第26話
長らくお待たせしました!
ほのかに潮を含んだ風に揺れて木々がざわざわと音を奏でる。その心地よいざわめきの隙間から聞こえるのは野太い笑い声だ。
木々が私達の姿を隠してはいるが、気配というのは隠しきれない。いや、騎士であるキースなら気配を消すことが出来るだろうが、たかだか侍女である私には土台無理な話である。自分達の存在を知らしめつつ、けれど決して捕まらない距離を見誤らないように慎重に声の聞こえる方へ足を進める。それはたかだか一介の侍女でしかない私にはとても難しい話のように思えた。でもだからといって他の選択肢はないのだ。
「随分と大きな声だな……」
そう呟いたキースの顔は不快と言わんばかりに歪んでいる。確かに、だ。森林中に響き渡る、がっはっは!という声は如何にも賊らしい不遜な笑い声である。だが私はキースが言うほど気にはなってはいない。恐らく賊であろう笑い声の主は、わざと私達に笑い声を聞かせているのだ。普通に考えれば自分達を追ってくる人間の存在なんて恐怖以外の何物でもない。あえて笑い声を響かせることで私達を煽っているのだ。そんなのにまんまと嵌まってなんかやるものか。
「……美しくない」
は?と言いかけて慌てて口を塞いだ。
今この男はなんと言っただろうか。聞き違い? 空耳? いやいや、間違いなく端麗なお顔についている魅惑な唇が奏でたのは絶対に「美しくない」という言葉である。
「……賊にそれを求めてはいけないと思うわよ……?」
「まぁ、それもそうだな」
「そ、そうよ」
美しさって、そんなものを賊が持ち合わせているわけがない。美しい賊、美しい賊………それなんて言う耽美小説?? とてもじゃないが想像つかない。素っ頓狂なことを言い出したキースを信じて大丈夫なのか不安が頭に過るが今更でもある。
チラリとキースの端正な顔を見上げ、そして多少の不安を抱えつつも、今更どうしようもない私は誘導に従って足を進めるしかなかったでのある。
そうして声の聞こえる方へしばらく進んでいくと木々が途切れ、開けた場所が先にあるのが分かった。
「……え?」
声は聞こえるのに賊の姿はない。間違いなく近くにいるはずなのに、視界に入る光景には人影すら見当たらないのだ。思わず私は小さな声を出してしまった。
すると、しっ、と人差し指を口元に当てたキース。手招きに従って開けた場所にまでゆっくりと進むと、キースは腰を屈めて這いずり始めた。戸惑いは一瞬。私も同じようにキースに続く。
「……ぁ」
小さな驚きが私の喉をつく。
這って辿り着いたのは、私が落下した崖ほどの高さはないが、それでも屋敷の三階分はありそうな断崖だ。そして、そこから見下ろした先には笑い声の主であろう人影。丁度馬車の幌に隠れて姿は確認できないが、周りを囲むようにして数人の男達がたむろっている。間違いない。私達を追ってきた賊である。
「あれを見ろ」
耳元でそう囁かれて思わず背中がゾクリ。それどころじゃないのは重々承知だが、生理的現象ばかりはどうしようもない。ついついジトリと横目で睨め付けるがキースは気にも留めない。状況的に仕方がないのは分かるが無駄に良い声を出さないでほしい、切実に!
私は心の中で毒づきながら、気を取り直してキースに促された方へ視線を向けた。
「あら……?」
キースが指さす方にあったのは、馬車を取り囲むようにして談笑している賊を少し離れた木々の間から窺う人影。
「……一般の人は立ち入れない区域って言っていたわよね?」
普通に話したとしても崖下までは聞こえはしないだろうが、用心に用心を重ねて私もキースに負けないくらいのささやき声で確認をとる。当たり前だが耳元ではなく適切な距離からだ。
私の問いにキースは静かに頷く。
「クワンダ国民ならここがどんな場所なのかを知っているからな」
そう言ったキースに私は眉をひそめた。どんな場所なのかを知っている、だなんて随分と意味深である。だが今はそれに気をとられている場合ではない。気にするべきは賊であろう男達とそれを付け狙っている人影の存在だ。
「貴方の部下では?」
この先にある廃村で落ち合う計画ならその可能性が高い、と私はまた問うがキースは首を横に振る。
「言っただろ。いくつかのパターンを考えた上で指示を与えてあるんだ。俺の部下に命令を無視するような愚か者はいない」
きっぱりとした否定によほど部下を信頼しているのか。でもそれでは人影の正体に見当がつかない。キースの怪訝そうな表情を見る限り、彼にも心当たりはなさそうだ。ちなみに一人称が俺様じゃない、と頭の片隅で思ったのはご愛敬である。我ながら緊張感が薄い自覚はしている。
「見ろ、動くぞ」
短くキースが言うのと同時に隠れていた三つの人影が馬車に向かって走り出した。賊と謎の三人組が衝突する、そう思った。
「「あ」」
が、決着は一瞬。
隠れていた謎の三人組が木々から飛び出したと思ったら、どこからともなく現れたフードをかぶった二人の男が瞬時に一人ずつ倒してしまった。残りの一人もうろたえながらも一人で馬車へ突進するが、それも残念。馬車の幌で隠れていた笑い声の主の見事な一本背負で圧勝である。
「……驚いたな、随分腕が立つ」
キースがぽつりと言った。
返り討ちにあった3人は剣を手に襲いかかっていた。背後からとはいえ、二人を倒したフード姿の男たちの手に武器らしきものは見えず、遠目では何をしたのか私には判別できなかった。本当に現れたと思った瞬間に、謎の男二人は崩れ落ちたのだ。笑い声の主に至っては、剣を持っていた残りの男を正面から相対していた。しかも恐らく油断しきっていただろう所を、だ。それなのに攻撃をあっさりと躱わし、振り下ろされた剣を握っていた腕をとっての一本背負い。ただ単に襲いかかった男達が弱かっただけなのか、それにしてもお見事の一言である。
だが私はキースの驚嘆とは別の所で動揺をしていた。
「どうした?」
その様子にキースが訝しげな視線を寄越してきたが、私はそれを気にすることなくおもむろに立ち上がった。
「お、おい!」
突然の私の行動にキースが焦った声を出すが、もう遅い。せっかく身を隠すように地面に這いつくばっていたのに崖下にいる賊が見上げれば今の私の姿は丸見えだろう。相手は馬車を使っている。ということは馬を伴っているということだ。私達を捕まえようと思えば崖上にいるという有利な状況なんてあっという間に翻される。だって木々が邪魔しないのなら人の足より馬の足の方が断然に早いのだから。
でも、もうそんなことを考えるのは意味がない。
「……すぅ」
音が聞こえる程に大きく息を吸う。深呼吸? そんな訳がない。私は崖下にいる見事な一本背負いをした笑い声の主に向けて大きく口を開けた。そして、
「なぁぁあんでこんな所にいるのよぉぉぉぉおおお、こぉの強面中年!」
お腹の底から出したこれでもかと言うほどの大声を出した。崖下からの多数の視線が私を突き刺さる。そして大きく目を見開いた賊と認定していた男との視線がぶつかった。
何が恐怖を煽るためにわざと大きな笑い声を立てているよ。我ながら予想を外しすぎていっそのこと大笑いするレベルだ。
私を捕まえる? やれるならやってみればいい。返り討ちにしてやるわよ。
「ガスパーーーーーーーーーーーァル!!!」
メアリ仕込みの強烈鼻フックでね!




