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第25話

「……は!」


 私は自分の息を呑む音で目を覚ました。

 起きたばかりだというのに、心臓が五月蠅いくらいに鳴っていて息が苦しかった。外からは川のせせらぎと、小鳥の鳴く声が聞こえる。なんてことはない、朝がきただけだ。

 でも、ここはどこだろう。視界に入る室内の風景に見覚えがなく、寝起きの頭では直ぐに思い出す事が出来なかった。

 体を起こそうと身じろぎをして、


「……んぅ…ぅ」


 というやたら色気満載の唸り声にぎょっと一気に覚醒した。


「え、え、えぇ?」


 私の身体に後ろから回された腕。耳もとで微かに感じる寝息。そして背中から伝わる温もり。もしかして抱き込まれてたりなんかしちゃってる、私?

 その現実にピキーンと頭と身体が硬直した。

 なんでこんなことになっているの? 昨日の間に何が起こったの? 思い返せども全然覚えていない。


「……うぅ、なんだ……起きたのか……?」


 ギャーーーー‼ 無駄に色気のある擦れ声で、耳もとで話さないでーー! 

 内心大絶叫である。なのに身体は身動き一つ出来ない。だって少しでも動けば今以上に密着してしまいそうなんだもの。むーりーーー!


「なんだ…? まだ具合が悪いのか?」


 のっそりと身体を起こしたキース。おかげで身体に回された腕が外れて、はぁぁぁっと大きく息を吐いた。緊張したぁ!


「おい、聞いているのか?」

「ひ、ひゃい!」


 だからその無駄に良い声で囁くなってば! もう半泣きである。

 キースは様子のおかしい私に対して、背後から覗き込むようにして体を傾けた。その体を支える腕が私の顔の真ん前に置かれて、出来上がった構図にまた身体が硬直。

 ギィィと油の切れたブリキ人形のような動きで覗き込むキースを見上げて直ぐに後悔した。気怠さ気なその表情となぜか半裸のキースは、私の心臓を潰すには十分過ぎる威力で、魂がぬけるかもしれない、と本気でそう思った。


「顔色は随分良くなったみたいだな。朝の準備するか」


 なっ、とキースはこちらが緊張しているのが馬鹿みたいに普通にベッドから立ち上がった。なんでこの状況でそんなに冷静でいられるのか、一人でパニックになっている自分が馬鹿みたいである。世の中の普通はこうなの? 私がおかしいの??


「え? え? えぇ?」


 その混乱が口から零れて、キースが訝し気な顔して私を見た。


「あぁ? 何言っているんだ、お前?」


 何言っているんだ、じゃないのよ。


「いやいやいや、待って待って。なんで一緒に寝ているの??」


 まずは一番の疑問はそこだ。


「あぁん? お前、昨日のことは覚えていないのか?」

「きのう?」


 昨日は雨が降りそうになる前に隠れ家にたどり着いたところまでは覚えている。だがその後のことはなんにも記憶になかった。


「……私が、何かをしたの?」


 プツンと途切れた記憶。覚えているのは直前まで凄く気分が悪くて、やけに喉が渇いて仕方がなかったことだけだ。


「あー…、いや、俺が戻ってきた時にはお前はもう気を失っていただけだ。んで、一つしかない寝室に運んでやったんだよ。感謝しろよ」


 あら、それはとんだお手数をかけてしまって申し訳ないわね。いや、でもね。


「だからと言って、一緒にベッドを使うことないじゃないの。わ、私は未婚なのよ⁉」


 既婚者でも困るけど、一応は妙齢の未婚女性なんだから、ちょっとは気を遣って貰いたかった。朝起きた時の衝撃たるやとんでもなかったんだから!


「そんな泣きそうになるようなことか? 別に手を出したわけじゃないだろ」

「そういう問題じゃない!」


 手を出したかどうかではなくて、もっと常識的に考えて行動して欲しかっただけだ。


「それに先に寝てしまった私も悪いけど、一応は追われている身よね。寝ずの番とかしてくれても良かったんじゃないの?」


 もし寝ている時に襲撃があったら、どうなっていたか。


「それは心配しなくても大丈夫だ。襲撃されることはないから、ここを選んだんだ」

「……え?」


 それは一体どういう意味なのだろう。追求するべきか迷って止めた。


「おかげでゆっくり休めただろう。ならいいじゃないか」

「そうだけど、そうだけどぉ……ぅ」


 そこでハッと気づいた。というか、今まで気づかなかったことに我ながら驚く。


「鳥肌がたってない……」


 男性が近づくだけで冷や汗と鳥肌に襲われていたのに、今は何も症状が出ていない。触れるどころか密着までしていたのに、だ。


「鳥肌だと? お前、俺様との添い寝に何の不満があるんだよ。世の女性からはお金を払ってでも添い寝してもらいたいって言われている俺様だぞ!?」

「不満か不満じゃないかって聞かれたら不満だけど、そういう意味じゃないわ。ごめんなさい」


 って、私が謝る必要はないのになんで謝るよ、私。でも、頭の片隅ではそんなアホみたいなことを言われているんだ? と呆れもした。自慢するようなことじゃあない。


「不満なのかよ!」


 そう思ってなかったら文句をつけていない。ま、それはさておき。


「男性恐怖症が治った……?」


 でも、いつどうやって? 頭の中にはてなマークが飛び交った。


「男性恐怖症だと? お前が?」

「あ」


 うっかり言っちゃった。でも治ったのなら言っても支障はないか、と開き直る。


「そう。つい数日前まで症状があったのに、全然出てない。何が切っ掛けで治ったのかわからないんだけどね?」


 でも確かにあった男性恐怖症の症状。今更ライニール様との特訓の成果が大爆発したとか、予期せぬ事態で何かのスイッチが切り変わったとか、何を考えついているのだろうかと、自分で失笑である。


「あー、なるほどなぁ」


 私が頭を悩ましていると、キースはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。なまじ顔が良いせいか下品な感じはしないが、なんか癪に障る。


「なによ?」

「さっき、なんであんなに騒いでいたのか良く分かったよ」

「?」


 それはキースが常識の外れた真似をするからだ。もう少し私に対して配慮して欲しかったと言ったまでである。


「おまえ、男知らないんだろ」

「は?」


 男を知らない。その意味を理解するのに少し時間が掛かった。でも意味がわかった瞬間に、どっかんと顔が熱くなった。


「あ、あ、あ、当たり前でしょおぉぉお!」


 未婚なんだから知らなくて当然だ。それをなんで指摘されなくてはいけないの!


「そんなに怒るなよ。別に悪いって言ってないだろ」


 言っていないけど、確実に馬鹿にしている。


「トマトみたいな顔して、くくく」

「~~~~~~~~~~~~~っ‼」


 はーらーがーたーつ!


「そんなに怒るなよ、子猫ちゃん」


 なーんてな、と手をヒラヒラさせて寝室を出て行くキースに怒りが大爆発。思いっきり投げつけた枕はぶつかる手前で閉じられたドアに阻まれて落ちて行った。

 くやしぃい~~~~っ!


 それからキースは私を『子猫ちゃん』と呼ぶようになった。いくら言っても怒鳴っても、ちっとも止めてくれない。むしろ言えば言うだけ面白がって『子猫ちゃん』を多用するのだ。


「私にはマーシャリィっていう名前があるんだから、子猫ちゃんは止めて」

「それは子猫ちゃんの本当の名前じゃないだろ? それにその名を騙るのは10年早い」


 それは俺の妻の名前だ。とキースは宣う。生まれてこの方マーシャリィ以外の名前をなのったことはないわ!


「10年って何よ。35歳にならないとマーシャリィって名乗っちゃいけないルールでもあるの?」


 そんな馬鹿な話があって堪るか。


「35歳ってなんだよ。10年以上になっているじゃないか」


 ばっかだなぁ、子猫ちゃんは、とゲラゲラと大笑いするキースのことにきょとん。


「キースって私のこと何歳だと思っているの? 私25歳よ」


 もしかして随分と下に見ているんじゃなかろうか。


「わかった、わかった。子猫ちゃんはあくまでもマーシャリィ・グレイシス嬢を騙りたいんだな。そんな直ぐにばれるサバを読んでも笑われるだけだぞ」


 読んでないから、サバ。実年齢だから。話が通じなさ過ぎだ。

それに年下に見られているという事実に本気でショックである。私そんなに童顔かな? 年下って、キースの目から何歳に見ているんだろう。聞きたいような聞きたくないような。 


「落ち着けって。女性は若く見られると嬉しいものなんだろ。褒められたとでも思っておけばいいじゃないか」

「私は嬉しくない」


 年相応に見られるのが一番いい。それに若く見られたいという女性たちも限度というものがあると思う。キースの口ぶりでは2、3個程度ではなかった。キースが私の2個下だから23歳。そこから2、3個以上年若く見られていたら、私10代ですよ。うっわ、考えたくない! 駄目だ、ショック過ぎて泣きそう。心の中ではもう既に大号泣だ。

 お、静かになったな、なんて言うキースの軽口が聞こえたが反応するもう気力はない。ちくしょう。

 シクシクと内心で泣きながらせっせと歩いていると、キースがおもむろに足を止めた。


「?」

 私がキースの方を見やり窺う仕草をすると、人差し指を唇に当てた。静かに、という意味だ。耳を澄ますと、どこからともなく聞こえて来た微かな笑い声。


「っ!」


 人がいる。それも複数の男性が。

 ゆっくりと私の傍まできたキースが声を潜め言った。


「ここ付近にはな、とある理由があって一般人が立ち入ることが禁止されている場所だ。言いたいことは分かるな」


 つまりこの笑い声の持ち主は許可なく、禁止区域に侵入する必要がある人間だということだ。


「ここに私たちがいることは内通者にそれとなく流しているのよね」


 キースは頷く。それなら十中八九私たちの追手だと考えるのが自然だ。


「間抜けな奴らだな。こんな大きな笑い声を立てたら気付くに決まっているのに。それとも俺を馬鹿にしているのか」


 憤慨するキースに私は首を振る。


「多分面白がっているのでしょうね。人を甚振るのが好きな人間というのはいるから」


 賊に身を落とす者は、そんな属性を持つことが多い。


「囮なら、私たちは彼らの前に姿を現しつつ引きつけながら逃げないといけないのよね」


 グラン国一行を無事に王都入りさせる為にだ。


「覚悟は出来ているか、相棒」


 キースはニヤリと口端を小気味に上げる。


「当然。行くわよ、相棒」


 私も同じような笑みを返し、お互いの拳をコツンと合わせた。

 

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